2013年11月12日火曜日

「個人線量計」が歩いていく朝

数日前から風邪をひいてしまった。すこぶる不快なのだ。眠くて仕方がない。勢い、朝起きるのが遅くなる。
今朝も然り。ようやく起きだし、コーヒーで目を覚まし、待ち構えている犬どもを散歩に。

玄関を出ると、ちょうど登校途中の近所の子供たちに出会った。「おはよう」と声をかける。犬は喜んでじゃれつく・・。

小学生、水筒を持ち、なにやら荷物も持ち、ランドセル。凄い体力。気が付いた。子供たちの首からタグが下げられている。なんだいと聞くと一様に答えが返ってくる。「線量計だよ」と。

いつも我が家に遊ぶに来る時は子供たちは線量計は下げていない。表遊びをしている時もしていない。

学校に行くときはしなければならないのだろう。

その子たちの親と以前話したことがある。母親の一人は言う。線量計の常時携行を強制することはしのびないと。それを首から下げるように諭すと、子供たちの表情が微妙に変わると。「特殊な環境」にいることの不思議さを感じているようだと。

線量計を下げた子供たちは田んぼのあぜ道を集合場所の方に向かう。僕と犬はまっすぐ行く・・・。バイバイと手を振りあって。

政府・与党と原子力規制委員会は、「1ミリシーベルトと20ミリシーベルト」の問題に結論を出したようだ。それに合わせて、モニタリングポストなどの空間線量から個人線量計による“被曝数値”をさまざまなことの判断基準にするらしい。いや、することになった。

いわゆる空間線量と個人線量計では、積算線量の数値が違う。正確なのは、いや、やみくもに数字に翻弄されないためには個人線量計の方がいいと思う。
20ミリシーベルト論も排除しない。

しかし、これとて遅すぎる指針決定なのだ。もう「1ミリシーベルト論」が定着してしまっているのだから。

一昨年、暫定基準値は5ミリシーベルトだった。学者や医者の一部がそれを猛攻撃した結果、時の政権、世論迎合政権は1ミリとした。そしてそれが「常識」とされるようになった。

多くのマスコミは言う。「個人線量計では数字が低く出る。避難している人達の帰還促進のために、低く出る数字を適用しようとしている」と。

避難している人達は、たしかに線量のことを帰還しないことの一つの理由に挙げる。でも、「帰らない」という決断の要素はそれだけではないはず。
ネズミに食われ、修復不可能な家、味わってしまった”便利な“生活。

無駄な除染よりも、それに使われる費用を移転に向ける。それも排除すべき議論ではない。

しかし、政権内で、永田町や霞が関での議論は、福島県民のことを真剣に思っての議論なのだろうか。やはり「疑問符」が付く。

昨日、格好つけて“提言”を官邸に持参した自民党の大島副総裁。彼の“言”が朝日新聞に書かれていた。書いた記者の意向はわからないが。記事の意向も理解しにくいが。
大島副総裁は11月上旬、周囲にこう語った。「どうだ、『政高党低』を押し戻しただろう」。

“被ばく問題”を政局にしてほしくない。まして、政党の優位争いの道具にしてほしくない。しかし、それが垣間見えてしまうという事。

あの子供たちは、小学生は、いったい、いつまで線量計を身に着けて暮らさないといけないのだろう。
その毎日をどう受け止めているのだろう。

彼らなりに解決していかなければならない「子供の領分」なのだろうか。

今朝の寒さは余計にこたえたような気がする。

きょうは塾の日。延々と続く「東北学」。レジュメを作り、資料を整え、このブログを書いて・・・。体調不良の身にはこたえる。
でも、塾生に話したいことがいっぱいある。話さなければならないことがある。
「ヘタレ」を言っている場合じゃないな。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...