2013年11月27日水曜日

それでも「国会」に信を置きますか・・・

もし、一昨日の福島市で行われて地方公聴会に、もし、公述人として呼ばれていたら、限りなく国会というところが形式主義であり、いかなら環境にあっても“欺瞞の場”であることを知っている身としてはこう言っただろう。

公聴会の冒頭で委員長、額賀福志郎に、居並ぶ国会議員に対して。
「この公聴会で述べられた意見をあなた方は参考にしますか。少なくとも国民の一人であるはずの我々の意見を審議の“要件”としますか。お一人お一人の見解を聞きたい。この場で言わせておいて、それは委員会の記録にには残るだろうが、きょうの明日、採決と言う前提でのセレモニーに使うという事ならば、私のすべてをかけて抗議するという意味で発言はしません」と。

福島の声は、決して過激でも無く、原発事故を体験した、そのことによってさまざまな事が複雑化し、生活もままならない現状にいるものの声。あだやおそろかにしてはならないもの。

見え透いた異例の福島での公聴会。普通は予算審議でしか行われない公聴会。その公聴会なるものの単なる手順ではあるのだが。

国会の“仕組み”を知り尽くしている身にとっては、それは単なるセレモニーに過ぎない、言い訳をするための手段にしか過ぎないということではあったが、呼ばれた人たちは言葉を練りにねって、どうしたらわかってもらえるかと、真剣に考え、真面目に発言したはず。

それらの労苦はいっさい報われなかったということ。

馬場町長、議会を招集しなさい。そこで、すべての顛末を町民に披瀝しなさい。
浪江町には、明治の時代、自由民権運動に身を投じた、仮宿仲衛という人を排出していたところ。平成の自由民権運動の発祥地になろうぜと町民を鼓舞してみてはいかがかと。

学校の先生も公述人として出席していた。ぜひ、あなた方が教えている学生さんたちに伝えて欲しい。君たちが生きているこの時代の民主主義とはこの程度のものなのだと。

きょうから参院での審議なるものが始まった。衆院では40時間も審議に費やしたと安倍は豪語する。同じ時間を確保しなさい。

昨日の衆院本会議。自民党から出た“造反者”、村上誠一郎、よくぞやった。
みんなの党の反対にまわった二人、キミたちは立派だった。
江田も含めて「離党のすすめ」だ。

世田谷区議がみんなの党を離党した。そうあるべきだ。キミたちの主張を支持する。

国家に秘密が存在する。そのことを決して否定はしない。外交交渉はそれが妥結するまでは秘密であって然るべき。防衛問題でも然り。
すべてが公開された中で、ことは進まない。そんなことは解りきっている。

この法案のあやしげなところは、問題の根幹は、秘密の範囲があいまいであり、いくらでも拡大解釈できるということだ。

政令で定める・・・。とんでもない政令に馴染むことではない。まして時の大臣や総理大臣が指定を決める。ふざけるなということ。
その任にあって然りなんていう大臣は、数人しかお会いしたことが無い。

いわゆる強行採決というものを何回も見てきた。その多くは「シナリオ」が書かれた与野党“談合”の強行採決。
マスコミは通り一遍の「言論の府にあるまじき暴挙」と書き続けてきたが、野党は物理的抵抗をもってしても阻止できなかったと言い、与党は多少、世間の批判を浴びても結果さえ得られればということだった。

安保国会。野党議員や秘書が、議長の本会議入場を阻止しとうと座り込みをしても、警官隊を国会に導入してごぼう抜きで排除し、野党議員が議長席に殺到しても、マイクを奪っても、何があっても法案は、条約は、“可決”されてきた。

参院でこの法案を阻止できるか。廃案や継続審議に持ち込めるか。とりあえずの最大野党である民主党にはその力はない。知恵を巡らせる人材もいない。
多分(いくばくかの期待をこめて多分という)、法案は成立するのだろう。
成立を阻む力は今の野党には無い。どこまでが野党で、どこまでが与党かもわからないような今の国会の勢力分野。

でも、自公を勝たせたのは我々選挙民、国民・・・・。

「国会は何でも出来る、男を女に変える以外は」。そう豪語していた人が昔いたな。その通りの国会運営を計っていたな。
時間切れ寸前の妥協合意。参院本会議場の時計は止まったまま。そう「時計を止める」というのも国会の常套語だった・・・。

多数決原理、少数意見の尊重。それが議会制民主主義だと学校で教わった。現実は「数の力、数の論理」ですべてが決まっていくということ。

いろいろ知っているだけに余計悔しさが募るのであり・・・。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...