東京の有名化粧品会社に勤めている知人からメッセージが届いていた。
発信は昨夜。読んだのは今朝。風邪で早寝してたから(笑)
「実は今夜の夜行バスで南相馬に行きます。会社が支援しているボランティア活動に応募して、今回参加することになりました。
団体行動なので郡山には寄れませんが。
私の役割は、仮設の集会所でメークやマッサージなどのサービスをすることです。少しでも気分転換になっていただけると嬉しいです。
自己満足にならないように、しっかりと行動したいと思います」。
今朝、返事を書いた。
「ありがとう。とうか、嬉しいというか。実情を知ってきてください。何かを感じてもらえればと思います。それが“風化”させないということだと思うし。それと“方言”に触れてみてください。それも勉強。
女性は何歳になっても綺麗になりたいという願望があるとか。笑顔にしてあげてください。笑顔を土産に持って帰ってください」。
また返事が来た。
「5:30頃、南相馬に着きました。メークアップのボランティアは震災以前からも私が将来的にやりたかったことなのです。今回は様々な現実を感じてきたいと思います」。
そう言えば、彼女は震災後、一昨年、郡山に、我が家に来た時言っていた。被災地でメイクアップボランティアの仕事をやりたいと。
自分がそう思っていたこと。それを会社が支援しているということ。
ややもすれば、僕は、毎日これを書いている時、「東京」という括りで、一刀両断の如く切り捨てている。それはある意味”安易“な表現でしかないということをわかっていながら。
やはり彼女の友達で、大手の商事会社に勤めている子がいる。その会社では、半ば“強制的”に、業務として被災地へのボランティア活動参加を義務付けているとか。そこそこの長期に亘って。
「どこの、どいいうボランティア活動を希望すればいいのでしょうか」と聞かれた。「それも自分で考えることだね」と問題提起みたいなことをしておいたが。
もう10年位前か。CSという言葉がどこの会社でも言われていた。社是に書いていた会社もあった。
意地悪な僕は、その会社の社長にCSの意味を聞いた。
「カスタマーサービス」だと社長は答えた。
「違う。カスタマーサティスファクション」だとたしなめた。
意味が違うから。意味が違えば、やることも違う。
その後、CSRという言葉が言われ始めた。「企業の社会的責任」。それを追求したいと考えていた若手の経営者もいた。
経済成長の大合唱。一部での景気回復。三本の矢とやらでの成長戦略。自動車会社の収益率は大幅に「改善」された。兆の単位での営業収益。
その会社だって「企業の社会的責任」はそれなりに果たしていると思うのだが。
仮設にいる高齢の女性のメイク。時々マスコミの話題になる。そこには笑顔があり、笑い声が溢れていた。
女性にとって化粧をするということは、身だしなみを整えるということは、きっと大事なことなのだろう。
メイクをしてもらうことでの一時的ではあるにしても、本来持っている願望に答え、非日常の世界に浸れるということ。
いや、それがある時代までは日常だった。
朝、母親はきちんと着物に着替え、割烹着を付け、家族の朝ごはんを作っていた。パジャマ姿でのお見送りなんていうのはなかった。
子供は母親の寝巻姿を見たことがなかった・・・。
震災後、原発事故後、子供たちの被ばくを気にかけていた郡山の女性小児科医がいた。先ごろ亡くなった。101歳。
車椅子生活だったが、病院でも朝起きると、必ず着替え、口紅を差していたという。子供といえども見舞客には寝巻姿は見せなかったという。70歳になった息子はそんな母親が誇りだったと先日、述懐していた。
ボランティアに行った彼女に得るものがあって欲しいと願う。
綺麗になった仮設の女性がこぼれんばかりの笑顔で照れ笑いを浮かべ、仲間と楽しく談笑している。そんな光景がきっとあるだろうことを勝手に想像している。なぜか、やはり「うれしい」。
身のまわりにあった小さな小さな話の一つ。
2013年11月9日土曜日
“チェルノブイリ”異聞
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