以前もこのことを書いたと思う。新聞に毎週のように投稿し、ある日突然消えてしまった歌人のこと。
その名前は、それがペンネームかどうかはもちろん知らないが「公田耕一」と言う。職業欄には「ホームレス」とあった。
時の政権は麻生内閣だったと思う。
最初に出会った歌。
「(柔らかい時計)を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ」
柔らかい時計、サルバドール・ダリの“時計”である。記憶の固執に描かれたモチーフである。
この時計が意味するものは何か。このホームレス歌人は、何をそれで伝えたかったのか。炊き出しに並ぶことの忍耐力か、空腹の中で時間が溶けてしまったことを言いたいのか。
いずれにしてもダリの時計は通常の時間とは違う進み方をする。
今は冬季の閉館になっているが、ダリの作品を収蔵している屈指の美術館。裏磐梯にある諸橋近代美術館。
「ダリと三つのスフィンクス」という作品が掲示されているはずだ。
「核」に対する“警告”。ビキニの核実験、アインシュタイン。
ダリを“熟知”している「ホームレス」・・・。
東京の渋谷で、年末年始、ホームレスがねぐらにしていた公園から締め出され、あるいは閉じ込められ、炊き出し活動に支えられていた。炊き出しはカレーだった・・・。
ホームレス、いつの頃から“誕生”した言葉だろうか。いつの頃から“出現”したのだろうか。
戦後は乞食といわれ、ルンペンとも言われていた。高校生の時、毎朝見る光景。
戸山ハイツの脇にあった職安。仕事にあぶれた日雇い労務者がたき火を囲んで所在なさげに佇んでいた。
山谷にはドヤ街というのがあった。大阪には釜ヶ崎というのがあった。時折「暴動騒ぎ」を起こしていた。
ホームレスとは・・・なんでそれが生まれるのか。
会社が倒産した。会社をリストラされた。家族が離散した・・・。
この「豊か」で「富んで」いて、飽食の時代とも言われ、社会保障が制度としてある時代に、なぜホームレスというのが出来るのだろうか。
それぞれに理由があるのだろう。
中には、それこそダリの時計ではないが、束縛から離れて、精神的自由を選んだ人もいるかもしれないが・・・。
公田耕人という人の話に戻る。
歌壇には「返歌」が寄せられていた。
「炊き出しに並ぶ歌あり住所欄(ホームレス)とありて寒き日」
歌壇を見るのが習慣になっていった。なるべく見落とさないようにもした。
その度に、見た範囲で歌を書き留めていった。
「鍵持たぬ生活に慣れ年を越す今さら何を脱ぎ捨てたのか」
人物像を考えた。かなりのインテリジェンスを持った社会人であったであろうと。
「パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる」
読書家でもあったのだろうとも。
「美しき星空の下眠りゆくグレコの唄を聴くは幻」
音楽に造詣も深い人だったのだろう。
時には横浜にも居たようだ。浜のドヤ街に。
「哀しきは寿町と言ふ地名長者町さえ隣にはあり」。
今ここで「格差社会」と問うことはしない。「貧困」についても語るまい。
民主党政権時にも、日比谷公園での「越冬炊き出し支援問題」もあった。
暖かい部屋にいて、三食のメシを食い、風呂にも毎日入れる。そんな生活に慣れてしまっている身だからこそか。
ホームレスという言葉を眼にするたびに何か「走る」感情がある。
今日は寒い。まさに冬そのもの。季節が呼びさまさせてくれたホームレス歌人のこと。
2015年1月7日水曜日
2015年1月6日火曜日
「礼」ということのあれこれ
礼に始まり礼に終わる。スポーツでよく言われる言葉だ。その祖は柔道のようだが。
それは対戦相手に対しての「礼」だ。
「礼」。そこには一つの精神世界があると思う。それは「敬意」を表するという意味でも、自分に対してでも。
初詣。社殿の前でたとえば二礼二拍の所作をする。そして手を合わせて拝む。
「礼」という所作は美しい。八百万の神への感謝と祈願、そして自分への願い、誓い・・・。
朝、犬と散歩している時、寺の境内に寄ることがある。本堂にむかって一礼をする。その場は礼をするのにふさわしい場所と思うから。
3・11後は特にそうだった。静謐が支配する境内。
とにかく祈っていた。
スポーツの話しに戻る。
駅伝、マラソンを見るのが好きだ。ゴールテープを切る、ゴールする。走って来た道路に頭を下げて礼をする選手を見かける。その選手が好きだ。
サッカーでもいる。選手交代時、ピッチに礼をしてベンチに帰る選手がいる。そんな選手を見ると涙ぐむ。
フィギアスケート。演技を終えてリンクを出るとき、必ずリンクに向かって礼をする選手がいる。
最近見た中では、そうしているのは男子では羽生結弦と、女子では本郷里華だったような。
観客にでは無く、リンクに礼をする。リンクに出て行くときも戻ってきたときも。一人一人の演技だ。対戦相手がいるわけでも無い。
走らせてくれた道に対して礼をする。滑走させてくれたリンクに対して礼をする。
高校野球の選手もそうだ。
必ずグラウンドに対して礼を欠かさない。
もちろん試合の前後には相手チームの選手同士で礼を交わす。
3・11以降、行かなくなったスポーツクラブ。そこのコーチの一人の女性は、スタジオに入ってくるとき、必ず一礼をしていた。
レッスンが終わってからもスタジオを出る時、振り返って礼をしていた。
ある時、その人に聞いた。礼をするわけを。
「あまり意識はしていませんが、なんとなくそうなるのです。これからの時間が、その場が自分にとって大事な場所だろうと思うから。そして、そこで“仕事”をさせて貰ったことに感謝したかったからでしょうか」。
その人のレッスンは必ず受けたいと思った。
礼をする。それが軽く頭を下げるだけの行為であっても、その意味合いは大きい。その若いコーチに教えられた。
「礼」とは相手があってすることなのだろうか。そうでもなさそうだ。
学生時代、教室に入るとき礼をしていたか。していなかった。
学びの場に対して、そこに礼をするということは無かった。
有ったのは先生が壇上に立って、起立、礼の級長の掛け声があった時だけ。
その場に対して礼をする。頭を下げる。それは「自分自身」への事なのだろうと。
テレビで初詣の光景を見ながら、ふと思ったこと。なぜか。
「礼」をする人が少なくなったからかもしれない。
かつて、国会で本会議場に入るときは、与野党問わず議場に向かって礼をして入っていた。着席する時も議長席に向かって礼をしていた。
単なる慣行だけだったのだろうか。いや、「議場は神聖なもの」という意識があったからではなかろうか。
格差社会である。
その中にあって「ノブレス・オブリージュ」は、それを果たすことは富める人の一つの「礼」ではないだろうかとも思う。
礼儀も礼のうちではないだろうか。
どんな小さな集まりであっても、その中で決められた自分の役割を果たすということ、それは仲間に対する「礼」ではないだろうか。
身近な些細なことからも「礼」ということを考える・・・。
それは対戦相手に対しての「礼」だ。
「礼」。そこには一つの精神世界があると思う。それは「敬意」を表するという意味でも、自分に対してでも。
初詣。社殿の前でたとえば二礼二拍の所作をする。そして手を合わせて拝む。
「礼」という所作は美しい。八百万の神への感謝と祈願、そして自分への願い、誓い・・・。
朝、犬と散歩している時、寺の境内に寄ることがある。本堂にむかって一礼をする。その場は礼をするのにふさわしい場所と思うから。
3・11後は特にそうだった。静謐が支配する境内。
とにかく祈っていた。
スポーツの話しに戻る。
駅伝、マラソンを見るのが好きだ。ゴールテープを切る、ゴールする。走って来た道路に頭を下げて礼をする選手を見かける。その選手が好きだ。
サッカーでもいる。選手交代時、ピッチに礼をしてベンチに帰る選手がいる。そんな選手を見ると涙ぐむ。
フィギアスケート。演技を終えてリンクを出るとき、必ずリンクに向かって礼をする選手がいる。
最近見た中では、そうしているのは男子では羽生結弦と、女子では本郷里華だったような。
観客にでは無く、リンクに礼をする。リンクに出て行くときも戻ってきたときも。一人一人の演技だ。対戦相手がいるわけでも無い。
走らせてくれた道に対して礼をする。滑走させてくれたリンクに対して礼をする。
高校野球の選手もそうだ。
必ずグラウンドに対して礼を欠かさない。
もちろん試合の前後には相手チームの選手同士で礼を交わす。
3・11以降、行かなくなったスポーツクラブ。そこのコーチの一人の女性は、スタジオに入ってくるとき、必ず一礼をしていた。
レッスンが終わってからもスタジオを出る時、振り返って礼をしていた。
ある時、その人に聞いた。礼をするわけを。
「あまり意識はしていませんが、なんとなくそうなるのです。これからの時間が、その場が自分にとって大事な場所だろうと思うから。そして、そこで“仕事”をさせて貰ったことに感謝したかったからでしょうか」。
その人のレッスンは必ず受けたいと思った。
礼をする。それが軽く頭を下げるだけの行為であっても、その意味合いは大きい。その若いコーチに教えられた。
「礼」とは相手があってすることなのだろうか。そうでもなさそうだ。
学生時代、教室に入るとき礼をしていたか。していなかった。
学びの場に対して、そこに礼をするということは無かった。
有ったのは先生が壇上に立って、起立、礼の級長の掛け声があった時だけ。
その場に対して礼をする。頭を下げる。それは「自分自身」への事なのだろうと。
テレビで初詣の光景を見ながら、ふと思ったこと。なぜか。
「礼」をする人が少なくなったからかもしれない。
かつて、国会で本会議場に入るときは、与野党問わず議場に向かって礼をして入っていた。着席する時も議長席に向かって礼をしていた。
単なる慣行だけだったのだろうか。いや、「議場は神聖なもの」という意識があったからではなかろうか。
格差社会である。
その中にあって「ノブレス・オブリージュ」は、それを果たすことは富める人の一つの「礼」ではないだろうかとも思う。
礼儀も礼のうちではないだろうか。
どんな小さな集まりであっても、その中で決められた自分の役割を果たすということ、それは仲間に対する「礼」ではないだろうか。
身近な些細なことからも「礼」ということを考える・・・。
2015年1月5日月曜日
「亀裂」と付き合いながら・・・
久しぶりに事務所に。
事務所といっても六畳一間くらいのアパートだけど。
壁にある、入った「亀裂」はそのままだ。あえてそのままにしている。
「あの日」を忘れないためにも。
モニュメントとしての亀裂。
六畳一間に刻まれた亀裂から、今の世の中にある亀裂を垣間見えるような「気がする。
日本社会に走っている三本の亀裂。
富裕層と貧困層の、貧困までいかなくても、いわゆる低所得者との間にある所得の亀裂。
東京を筆頭にした大都市圏と地方との間にある地域間の亀裂。
そして三つ目は高齢者と若者の間に微妙に存在する世代間の亀裂だ。
亀裂は広がる。広がれば分断になる。
分断、ひとつの良い例が沖縄だ。
そして福島にはもう一つの亀裂がある。県民同士、被災者同士、避難民同士に生まれた心の亀裂だ。
それは、あのバリケードで仕切られた、そのことが象徴するかのようなもの。
放射能のへの考え方、賠償金をめぐる誹り。避難するかどうかの家族間の亀裂。
それぞれがそれぞれの価値観を持つ中で、一度生まれた亀裂は、分断に突き進んでいくかもしれないと言う危惧。
福島にあって、今年のキーワードは「亀裂と分断」なのかもしれない。
亀裂は埋めなくてはならない。それが染みついてしまわないうちに。
でも、誰が、どうやって埋めて行くのか。
個々人の考えか、国家の問題か。
この国の今の政治が、その亀裂を埋める作業に真剣に取り組んでいるとか思えない。
政治の為の政治でしかないと思えるから。
自己保身と一部の人達を念頭に置いた、その場しのぎの「まつりごと」としか見えないから。
例えば「教育」の問題にしてもそうだ。最低限の教育は保障されている。しかし、教育の場にあって、貧困の子どもたちは“差別”という範疇に置かれる。
ゲーム機を持たない子どもたちは「孤」の空間にしかいたられない。
塾に通わなければ、上の学校には入れない。塾に通うにはカネがかかる。勢い、大学に進み、それも東京の大学に進み、大企業に就職するとか、官僚になるとか、嫌味ではないが「支配層」に属するためにはカネがかかると言うこと。
その子たちのせいではないが、貧困を知らない若者が、支配層になるということ。価値観の中に「貧困」が入ってないという人達が君臨しはじめるということ。
それは「戦争」についてだって言える。戦争を知らない人達が指導者になっている時代。
全ての戦争は「自衛」という名分から始まっている。
どうやってこの「亀裂」を埋めるのだ・・・。
福島の亀裂だって、科学者や医学者の、科学的知見、医学的知見と言う「虚構」の論理の中でもたらされてはいないか。
政治を見捨ててはいない。政治家に覚醒を求めたいのだ。民のための政治とは何かを、原点を学んで、考え直して欲しいのだ。
政治だってどうしようもないこともある。ならば個々人が考え直すことは多いはず。
唐突だが、歌壇にあった一つの句。
「復興の願いを友は語れども、4度目の冬も二間の仮設」。
この句から亀裂の兆しを感じるは愚なりしか。
亀裂を「共有」する方途はありやなしやとも。事務所の壁の亀裂は今年もそのままにしておく・・・。
事務所といっても六畳一間くらいのアパートだけど。
壁にある、入った「亀裂」はそのままだ。あえてそのままにしている。
「あの日」を忘れないためにも。
モニュメントとしての亀裂。
六畳一間に刻まれた亀裂から、今の世の中にある亀裂を垣間見えるような「気がする。
日本社会に走っている三本の亀裂。
富裕層と貧困層の、貧困までいかなくても、いわゆる低所得者との間にある所得の亀裂。
東京を筆頭にした大都市圏と地方との間にある地域間の亀裂。
そして三つ目は高齢者と若者の間に微妙に存在する世代間の亀裂だ。
亀裂は広がる。広がれば分断になる。
分断、ひとつの良い例が沖縄だ。
そして福島にはもう一つの亀裂がある。県民同士、被災者同士、避難民同士に生まれた心の亀裂だ。
それは、あのバリケードで仕切られた、そのことが象徴するかのようなもの。
放射能のへの考え方、賠償金をめぐる誹り。避難するかどうかの家族間の亀裂。
それぞれがそれぞれの価値観を持つ中で、一度生まれた亀裂は、分断に突き進んでいくかもしれないと言う危惧。
福島にあって、今年のキーワードは「亀裂と分断」なのかもしれない。
亀裂は埋めなくてはならない。それが染みついてしまわないうちに。
でも、誰が、どうやって埋めて行くのか。
個々人の考えか、国家の問題か。
この国の今の政治が、その亀裂を埋める作業に真剣に取り組んでいるとか思えない。
政治の為の政治でしかないと思えるから。
自己保身と一部の人達を念頭に置いた、その場しのぎの「まつりごと」としか見えないから。
例えば「教育」の問題にしてもそうだ。最低限の教育は保障されている。しかし、教育の場にあって、貧困の子どもたちは“差別”という範疇に置かれる。
ゲーム機を持たない子どもたちは「孤」の空間にしかいたられない。
塾に通わなければ、上の学校には入れない。塾に通うにはカネがかかる。勢い、大学に進み、それも東京の大学に進み、大企業に就職するとか、官僚になるとか、嫌味ではないが「支配層」に属するためにはカネがかかると言うこと。
その子たちのせいではないが、貧困を知らない若者が、支配層になるということ。価値観の中に「貧困」が入ってないという人達が君臨しはじめるということ。
それは「戦争」についてだって言える。戦争を知らない人達が指導者になっている時代。
全ての戦争は「自衛」という名分から始まっている。
どうやってこの「亀裂」を埋めるのだ・・・。
福島の亀裂だって、科学者や医学者の、科学的知見、医学的知見と言う「虚構」の論理の中でもたらされてはいないか。
政治を見捨ててはいない。政治家に覚醒を求めたいのだ。民のための政治とは何かを、原点を学んで、考え直して欲しいのだ。
政治だってどうしようもないこともある。ならば個々人が考え直すことは多いはず。
唐突だが、歌壇にあった一つの句。
「復興の願いを友は語れども、4度目の冬も二間の仮設」。
この句から亀裂の兆しを感じるは愚なりしか。
亀裂を「共有」する方途はありやなしやとも。事務所の壁の亀裂は今年もそのままにしておく・・・。
2015年1月4日日曜日
「自由」という言葉に思うこと
1900年代、ファシズムが横行していた時代に、反ファシズム、レジスタンス運動家だったフランスの詩人、ポール・エリュアールはこんな詩を書いている。
年始、古い手帳を繰っていたら、その片隅に書き留めてあった詩だ。
「僕のノートの上に、僕の机、僕の樹の上に、砂の上、雪の上に、僕は書く、君の名前を。
読みつくしたすべてのページの上、まだ書いてないすべての上に
石や皿や紙や灰に、僕は書く、君の名前を。
密林の上、砂漠の上に、巣の上に、エニシダの上に
幼い日のこだまの上に、僕は書く、君の名前を。
夜毎の奇蹟の上に、日々のパンの上に、季節季節の上に、僕は書く、君の名前を。
そして、ただ一つの言葉によって、僕はもう一度人生を始める。僕は生まれたのだ。君を知るために。君に名付けるために。“自由(リベルテ)”と」。
自由。日頃、何気なく使っている言葉になった。
憲法でも保障されている。さまざまな自由が。思想・信条の自由かたはじまって。
今年は、その憲法をめぐる動きが、より加速化されるだろう。改憲に向けての動きが。
そんな「空気」を慮ってか、察知されたか、天皇陛下は改憲に、語れる範囲ぎりぎりで、言葉を選びながらも釘を刺している。
去年の誕生日にあたり述べられた言葉だ。
「日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました」と述べられている。そして「今後とも憲法を遵守する立場に立って、事に当たっていく」とも明言されている。
改憲を声高に言う人たちは、この陛下の言葉をどう受け止めたのだろうか。
そこには「大いなる齟齬」があるように思えるのだが。
天皇陛下は、新年にあたっての感想でもこう述べられている。
そこにあるのは、世上にある“空気”への柔らかな警鐘だと受け取る。
「東日本大震災からは4度目の冬になり,放射能汚染により、かつて住んだ土地に戻れずにいる人々や仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々もいまだ多いことも案じられます。昨今の状況を思う時、それぞれの地域で人々が防災に関心を寄せ、地域を守っていくことが、いかに重要かということを感じています」。
この言葉の前には、去年あった多くの自然災害のこと、それの犠牲になった人達への想いも語られているのだが。
明治時代、民主主義を求めた自由民権運動というのがあった。板垣退助が首唱し、各地でそれに呼応する人が立ち上がった。
福島県浪江には狩宿仲衛という人がいた。三春には河野広中がいた。
仲衛の墓石は「3・11」で倒壊した。まだそのままなのかもしれない。
戦後の憲法制定にあたり、自ら「草案」を書いた人もいる。相馬の小高出身の人だ。
安蔵の草案にある精神は、今の憲法にも生かされている。
多分、陛下はそのこともご存知だったのかもしれないが。
こんな「現代史」は教科書には載っていないのだろう。現代史に行き着く前で終わっているのかもしれない。
言論の自由という。もちろん、その意味をはき違えている人たちもいるが、本来的な意味での「言論の自由」は、束縛される時代になってしまった。
その「自由」は、戦争というとんでもない惨禍を代償として“獲得”したにも関わらずだ。
職業選択の自由だって、そこには大いなる障害が生まれている。社会的な「壁」となって。
自由の女神像を「国家のシンボル」として掲げるアメリカにだって、どこまで自由が存在しているのか。
フイーダムかリバティーか。
自由とは普遍的なものか、可変的なものか。
手帳の片隅に書き留められていた詩。たぶん、30年も前に写したものだと思うけど。
年始、古い手帳を繰っていたら、その片隅に書き留めてあった詩だ。
「僕のノートの上に、僕の机、僕の樹の上に、砂の上、雪の上に、僕は書く、君の名前を。
読みつくしたすべてのページの上、まだ書いてないすべての上に
石や皿や紙や灰に、僕は書く、君の名前を。
密林の上、砂漠の上に、巣の上に、エニシダの上に
幼い日のこだまの上に、僕は書く、君の名前を。
夜毎の奇蹟の上に、日々のパンの上に、季節季節の上に、僕は書く、君の名前を。
そして、ただ一つの言葉によって、僕はもう一度人生を始める。僕は生まれたのだ。君を知るために。君に名付けるために。“自由(リベルテ)”と」。
自由。日頃、何気なく使っている言葉になった。
憲法でも保障されている。さまざまな自由が。思想・信条の自由かたはじまって。
今年は、その憲法をめぐる動きが、より加速化されるだろう。改憲に向けての動きが。
そんな「空気」を慮ってか、察知されたか、天皇陛下は改憲に、語れる範囲ぎりぎりで、言葉を選びながらも釘を刺している。
去年の誕生日にあたり述べられた言葉だ。
「日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました」と述べられている。そして「今後とも憲法を遵守する立場に立って、事に当たっていく」とも明言されている。
改憲を声高に言う人たちは、この陛下の言葉をどう受け止めたのだろうか。
そこには「大いなる齟齬」があるように思えるのだが。
天皇陛下は、新年にあたっての感想でもこう述べられている。
そこにあるのは、世上にある“空気”への柔らかな警鐘だと受け取る。
「東日本大震災からは4度目の冬になり,放射能汚染により、かつて住んだ土地に戻れずにいる人々や仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々もいまだ多いことも案じられます。昨今の状況を思う時、それぞれの地域で人々が防災に関心を寄せ、地域を守っていくことが、いかに重要かということを感じています」。
この言葉の前には、去年あった多くの自然災害のこと、それの犠牲になった人達への想いも語られているのだが。
明治時代、民主主義を求めた自由民権運動というのがあった。板垣退助が首唱し、各地でそれに呼応する人が立ち上がった。
福島県浪江には狩宿仲衛という人がいた。三春には河野広中がいた。
仲衛の墓石は「3・11」で倒壊した。まだそのままなのかもしれない。
戦後の憲法制定にあたり、自ら「草案」を書いた人もいる。相馬の小高出身の人だ。
安蔵の草案にある精神は、今の憲法にも生かされている。
多分、陛下はそのこともご存知だったのかもしれないが。
こんな「現代史」は教科書には載っていないのだろう。現代史に行き着く前で終わっているのかもしれない。
言論の自由という。もちろん、その意味をはき違えている人たちもいるが、本来的な意味での「言論の自由」は、束縛される時代になってしまった。
その「自由」は、戦争というとんでもない惨禍を代償として“獲得”したにも関わらずだ。
職業選択の自由だって、そこには大いなる障害が生まれている。社会的な「壁」となって。
自由の女神像を「国家のシンボル」として掲げるアメリカにだって、どこまで自由が存在しているのか。
フイーダムかリバティーか。
自由とは普遍的なものか、可変的なものか。
手帳の片隅に書き留められていた詩。たぶん、30年も前に写したものだと思うけど。
2015年1月3日土曜日
「からから亭」という“居酒屋”のこと
2005年11月。小さな“居酒屋”がオープンしました。
その場所は?住所は?。ありません。ネットの中だけですから。
会社員時代から、漠然と思っていたことがあります。会社員を終わったら小さなカウンターだけのバーをやりたい。バーのマスター、一人だけの。
薄~くJAZZが流れていて、老マスターが、一人で来たお客さんの話し相手になれればいいな。なんという妄想。
会社員を終わてみれば、店を出す資金とて無し。そして気が付く体力の衰え。
物理的に無理だとわかったのです。
で、考えたのがネット居酒屋。酒は飲んだ気分。直に話さなくてキーボードでの会話。“下手な考え休むに似たり”でしたが。
「からから亭」という“屋号”で始めてみました。バーではなく居酒屋に見立てて。
からから亭というのは、ウイスキーのグラスの中で氷が「カラカラ」と音を立てている。そんな意味合いからつけたものです。
会話の糸口は毎日10行ほどの酒談義が中心。そんなに飲めるわけではないのに、酒好きのふりをして。
最初の口上が残っています。
「お店、きょうから、開店しました。まだお客さまはいらしていません。
そりゃそうですよね。レセプションの通知も差し上げていないのですから。
会社の中での息抜きに、晩酌のついでに、ナイトキャップのつまみさがしに
当店を覗いていただけたら幸いです。
郡山は風の季節になってきました。きょうも一日枯葉舞っていました。
郡山は風の街です。これからの季節、いろんな風が吹くでしょう。
枯葉は風を楽しむように、それぞれが踊っているようでした。
枯葉はやがて腐葉土になります。新しい生命を生むために土にかえります。
枯葉には枯葉の役割があるのだと思います。だから、見る人間にとっては淋
しい光景であっても、枯葉ちゃんにとっては、喜びの舞かもしれません。
今夜はヨセフ・コスマの名曲 ♪枯葉♪ を・・・」。
こんなことで始まった“店”です。ネットにかまけてないで、食うための仕事をすべきだったのですが・・・。
常連さん含め、お客さまが、ブログ「からから亭」に立ち寄ってくださる方があっと言う間に増えていきました。
ある日はこんなことも書いていました。
「亭主謹白 すべて人間の一生は 神の手によって書かれた 御伽噺にすぎない。アンデルセンの言葉です。出来上がったばかりの店に多数お立ち寄りいただき、恐縮しきりです。
公開コメント以外にも多数のメールいただきました。目薬片手のPC作業。出てくるのは目薬のしずくか、はたまた感動の涙か(^-^)。
ちょっと御伽噺の世界にいるような心境です。
笹の川の熱燗でいっぱい。十四代の焼酎で〆と行きますかな。今夜は。それにしても神様はいい仲間を
くれたもんだと思うことしきりです」。
そんな日々を送りながら楽しんでいました。やがてなんでだか、居酒屋談義を逸れて辛口を言うようになっていました。
年中無休でやっていましたが、週に数日開店という時もありました。そんなこんなで数年。あの日が来ました。2011年3月11日。
それ以降、長文を連日書くことになりました。というより、そう自分で決めたのです。それしか出来ることは無いから。字数はとてもじゃないが増えました。
今年で「開店10年」です。しんどくもあり、億劫に思う時もあり、書かねばならぬと奮起するときもあり。
「3・11」前の常連さんはお見えにならなくなりました。
時流に乗ったわけではありませんが、ツイッターに「告知」したり、フェイスブックが出来ると、それにリンクを貼ったり。
もう少し、からから亭は”営業“します。
永井荷風の断腸亭日乗の想いに似て、「からから亭日乗」と店名変更。断腸の思いの日常があったからでしょうか。
開店当初風に書いてみます。
「国民的行事、NHKの紅白歌合戦の視聴率が新聞に載っていました。サザンが出た後半は42,2%だったということです。視聴率も世論調査も、少ないサンプル数から割り出した数字。安倍内閣の支持率には及ばなかったような。それはともかく、今年も開店時間は気ままな当店ですが、ぜひご贔屓に」。
こんな具合だったのですが・・・。
その場所は?住所は?。ありません。ネットの中だけですから。
会社員時代から、漠然と思っていたことがあります。会社員を終わったら小さなカウンターだけのバーをやりたい。バーのマスター、一人だけの。
薄~くJAZZが流れていて、老マスターが、一人で来たお客さんの話し相手になれればいいな。なんという妄想。
会社員を終わてみれば、店を出す資金とて無し。そして気が付く体力の衰え。
物理的に無理だとわかったのです。
で、考えたのがネット居酒屋。酒は飲んだ気分。直に話さなくてキーボードでの会話。“下手な考え休むに似たり”でしたが。
「からから亭」という“屋号”で始めてみました。バーではなく居酒屋に見立てて。
からから亭というのは、ウイスキーのグラスの中で氷が「カラカラ」と音を立てている。そんな意味合いからつけたものです。
会話の糸口は毎日10行ほどの酒談義が中心。そんなに飲めるわけではないのに、酒好きのふりをして。
最初の口上が残っています。
「お店、きょうから、開店しました。まだお客さまはいらしていません。
そりゃそうですよね。レセプションの通知も差し上げていないのですから。
会社の中での息抜きに、晩酌のついでに、ナイトキャップのつまみさがしに
当店を覗いていただけたら幸いです。
郡山は風の季節になってきました。きょうも一日枯葉舞っていました。
郡山は風の街です。これからの季節、いろんな風が吹くでしょう。
枯葉は風を楽しむように、それぞれが踊っているようでした。
枯葉はやがて腐葉土になります。新しい生命を生むために土にかえります。
枯葉には枯葉の役割があるのだと思います。だから、見る人間にとっては淋
しい光景であっても、枯葉ちゃんにとっては、喜びの舞かもしれません。
今夜はヨセフ・コスマの名曲 ♪枯葉♪ を・・・」。
こんなことで始まった“店”です。ネットにかまけてないで、食うための仕事をすべきだったのですが・・・。
常連さん含め、お客さまが、ブログ「からから亭」に立ち寄ってくださる方があっと言う間に増えていきました。
ある日はこんなことも書いていました。
「亭主謹白 すべて人間の一生は 神の手によって書かれた 御伽噺にすぎない。アンデルセンの言葉です。出来上がったばかりの店に多数お立ち寄りいただき、恐縮しきりです。
公開コメント以外にも多数のメールいただきました。目薬片手のPC作業。出てくるのは目薬のしずくか、はたまた感動の涙か(^-^)。
ちょっと御伽噺の世界にいるような心境です。
笹の川の熱燗でいっぱい。十四代の焼酎で〆と行きますかな。今夜は。それにしても神様はいい仲間を
くれたもんだと思うことしきりです」。
そんな日々を送りながら楽しんでいました。やがてなんでだか、居酒屋談義を逸れて辛口を言うようになっていました。
年中無休でやっていましたが、週に数日開店という時もありました。そんなこんなで数年。あの日が来ました。2011年3月11日。
それ以降、長文を連日書くことになりました。というより、そう自分で決めたのです。それしか出来ることは無いから。字数はとてもじゃないが増えました。
今年で「開店10年」です。しんどくもあり、億劫に思う時もあり、書かねばならぬと奮起するときもあり。
「3・11」前の常連さんはお見えにならなくなりました。
時流に乗ったわけではありませんが、ツイッターに「告知」したり、フェイスブックが出来ると、それにリンクを貼ったり。
もう少し、からから亭は”営業“します。
永井荷風の断腸亭日乗の想いに似て、「からから亭日乗」と店名変更。断腸の思いの日常があったからでしょうか。
開店当初風に書いてみます。
「国民的行事、NHKの紅白歌合戦の視聴率が新聞に載っていました。サザンが出た後半は42,2%だったということです。視聴率も世論調査も、少ないサンプル数から割り出した数字。安倍内閣の支持率には及ばなかったような。それはともかく、今年も開店時間は気ままな当店ですが、ぜひご贔屓に」。
こんな具合だったのですが・・・。
2015年1月2日金曜日
「ピース」と「ハイライト」は煙草の銘柄では無かった
初めて吸ったフィルター付の煙草はハイライトだった。
若いころ“業界人”を気取ってピー缶を持ち歩いていた・・・。
だから♪ピースとハイライト♪という曲名を目にした時、煙草の歌かと思っていたっけ。
旧臘の話だ。
大晦日、飲み物が欲しくて下の居間に降りて行った。テレビでは紅白歌合戦をやっていた。
長淵剛をやっていた。なんとなくVTR臭かったが・・・。
「明日へ続く道」。被災地応援ソングだ。彼流の。
2011年5月。長淵が被災地救援にあたる自衛隊員を激励するために格納庫か体育館かでやっていたコンサート。塾生達と集まり、長淵の歌を歌った。
込み上げてくる感情を抑えながら・・・。
紅白はサザンオールスターズ、桑田圭祐に変わる。31年ぶりの出場とか。それも“特別企画”として。
横浜アリーナのライブ会場からの中継。付け髭の桑田が立っていた。
司会者が言う。交渉を重ねていて、二日前に決まった出場ですと。
そして歌った曲が♪ピースとハイライト♪
字幕を追いながら歌を聞いていて驚いた。2013年に作られた曲だというが、会場で、放送に合わせて歌詞を多少いじったのかどうかは知らないが。
完全な「安倍批判」だ。
ネットで引っ張り出した歌詞を写してみる。記録としてもだ。
♪何気なく観たニュースで お隣の人が怒ってた
今までどんなに対話(はな)しても それぞれの主張は変わらない
教科書は現代史を やる前に時間切れ
そこが一番知りたいのに 何でそうなっちゃうの?
希望の苗を植えていこうよ 地上に愛を育てようよ
未来に平和の花咲くまでは…憂鬱(Blue)
絵空事かな?お伽話かな? 互いの幸せ願うことなど
歴史を照らし合わせて 助け合えたらいいじゃない
硬い拳を振り上げても 心開かない 都合のいい大義名分(かいしゃく)で
争いを仕掛けて 裸の王様が牛耳る世は…狂気(Insane)
20世紀で懲りたはずでしょう?
燻る火種が燃え上がるだけ 色んな事情があるけどさ
知ろうよ 互いのいいところ!!
希望の苗を植えていこうよ 地上に愛を育てようよ
この素晴らしい地球(ふるさと)に生まれ 悲しい過去も 愚かな行為も
人間(ひと)は何故に忘れてしまう?愛することを躊躇(ためら)わないで♪
安倍批判というより、今の世相に、一部の世相にぶつけた渾身の“抵抗”だ。
彼も思っていたのだ。連想していたのだ。「裸の王様」を。
そして知った。ピースはもちろん平和、ハイライトは極右だということを。
2万人弱の横浜スタジアムを埋めた観客は、歌詞を噛みしめたかどうかはわからない。でも、その歌に歓声を上げ、酔っていた。
3千人余りのNHKホール。なんか“空気”が違っていた。
なんか考えてしまった。桑田は去年の、紅白で言えば、その年、紫綬褒章を受章した稀代の歌手だ。
「権威」が好きなNHK。秋の叙勲の受章者をどうしても参加させたかったのだろう。桑田はなぜかNHKが嫌いだという話だ。だって31年ぶりの出演というのがその証左だ。
司会者が言っていた「調整」とは何か。NHKの放送時間に制約されるライブ。それを嫌ったということもあるだろう。でも承諾したのだろう。二日前、それはカメラや音声をセットするためにはぎりぎりだったはずだし。
桑田の条件は、自分が歌いたい歌を歌うということだったのではないか。
紅白のプロデューサーやディレクターは、局内調整に精を出したのだろう。上層部の意向を忖度しながら許可を得るために。
数日前、安倍は桑田のコンサートに行った。そこで歌われて曲。「爆笑アイランド」。安倍が来ているのを知ってか、桑田は歌詞の一部を替えた。「衆院解散なんてむちゃを言う」と。
安倍はのけぞっていたと新聞報道にはあったが。
たぶん、桑田のところにはそちらの“勢力”から激しい非難が寄せられていることだろう。フアンである安倍は紅白を見ていたのかどうかしらない。
なんの反応もされていないようだ。
年始明け、閣僚や党幹部の記者会見で、この大晦日の事が話題にされるのだろうか。桑田批判の声が上がるのだろうか。
かつて放送禁止とされて歌がいくつもあった。局側の自主規制も含めて。この「タバコの歌」がこれからも電波に乗って歌われるのだろうか。
封印ってことになるなんてあるのかな。
“デビュー以来ずっと目立ちたい一心で、下劣極まりない音楽をやり続けてきた私が、このような高貴な章をいただけるとするならば、そんな音楽を喜んでくださったたくさんのファンの方々と、大衆芸能を導いて来られた数多の偉大なる先達たちのおかげであると、心から感謝いたしております。
これからも、みなさまに喜んでいただける音楽を創り続けていけるよう、日々励んでいく所存です。日本が、そして世界が平和でありますように”。
紫綬褒章受章にあたっての桑田のコメント。
あの歌は下劣極まりない音楽だったのだろうか・・・。なんか桑田が好きになってきたような・・・。
もうピースはおろかハイライトも吸えない。とてもじゃないがきつくて。
一番「軽い」、1ミリの煙草が定番な亭主。
若いころ“業界人”を気取ってピー缶を持ち歩いていた・・・。
だから♪ピースとハイライト♪という曲名を目にした時、煙草の歌かと思っていたっけ。
旧臘の話だ。
大晦日、飲み物が欲しくて下の居間に降りて行った。テレビでは紅白歌合戦をやっていた。
長淵剛をやっていた。なんとなくVTR臭かったが・・・。
「明日へ続く道」。被災地応援ソングだ。彼流の。
2011年5月。長淵が被災地救援にあたる自衛隊員を激励するために格納庫か体育館かでやっていたコンサート。塾生達と集まり、長淵の歌を歌った。
込み上げてくる感情を抑えながら・・・。
紅白はサザンオールスターズ、桑田圭祐に変わる。31年ぶりの出場とか。それも“特別企画”として。
横浜アリーナのライブ会場からの中継。付け髭の桑田が立っていた。
司会者が言う。交渉を重ねていて、二日前に決まった出場ですと。
そして歌った曲が♪ピースとハイライト♪
字幕を追いながら歌を聞いていて驚いた。2013年に作られた曲だというが、会場で、放送に合わせて歌詞を多少いじったのかどうかは知らないが。
完全な「安倍批判」だ。
ネットで引っ張り出した歌詞を写してみる。記録としてもだ。
♪何気なく観たニュースで お隣の人が怒ってた
今までどんなに対話(はな)しても それぞれの主張は変わらない
教科書は現代史を やる前に時間切れ
そこが一番知りたいのに 何でそうなっちゃうの?
希望の苗を植えていこうよ 地上に愛を育てようよ
未来に平和の花咲くまでは…憂鬱(Blue)
絵空事かな?お伽話かな? 互いの幸せ願うことなど
歴史を照らし合わせて 助け合えたらいいじゃない
硬い拳を振り上げても 心開かない 都合のいい大義名分(かいしゃく)で
争いを仕掛けて 裸の王様が牛耳る世は…狂気(Insane)
20世紀で懲りたはずでしょう?
燻る火種が燃え上がるだけ 色んな事情があるけどさ
知ろうよ 互いのいいところ!!
希望の苗を植えていこうよ 地上に愛を育てようよ
この素晴らしい地球(ふるさと)に生まれ 悲しい過去も 愚かな行為も
人間(ひと)は何故に忘れてしまう?愛することを躊躇(ためら)わないで♪
安倍批判というより、今の世相に、一部の世相にぶつけた渾身の“抵抗”だ。
彼も思っていたのだ。連想していたのだ。「裸の王様」を。
そして知った。ピースはもちろん平和、ハイライトは極右だということを。
2万人弱の横浜スタジアムを埋めた観客は、歌詞を噛みしめたかどうかはわからない。でも、その歌に歓声を上げ、酔っていた。
3千人余りのNHKホール。なんか“空気”が違っていた。
なんか考えてしまった。桑田は去年の、紅白で言えば、その年、紫綬褒章を受章した稀代の歌手だ。
「権威」が好きなNHK。秋の叙勲の受章者をどうしても参加させたかったのだろう。桑田はなぜかNHKが嫌いだという話だ。だって31年ぶりの出演というのがその証左だ。
司会者が言っていた「調整」とは何か。NHKの放送時間に制約されるライブ。それを嫌ったということもあるだろう。でも承諾したのだろう。二日前、それはカメラや音声をセットするためにはぎりぎりだったはずだし。
桑田の条件は、自分が歌いたい歌を歌うということだったのではないか。
紅白のプロデューサーやディレクターは、局内調整に精を出したのだろう。上層部の意向を忖度しながら許可を得るために。
数日前、安倍は桑田のコンサートに行った。そこで歌われて曲。「爆笑アイランド」。安倍が来ているのを知ってか、桑田は歌詞の一部を替えた。「衆院解散なんてむちゃを言う」と。
安倍はのけぞっていたと新聞報道にはあったが。
たぶん、桑田のところにはそちらの“勢力”から激しい非難が寄せられていることだろう。フアンである安倍は紅白を見ていたのかどうかしらない。
なんの反応もされていないようだ。
年始明け、閣僚や党幹部の記者会見で、この大晦日の事が話題にされるのだろうか。桑田批判の声が上がるのだろうか。
かつて放送禁止とされて歌がいくつもあった。局側の自主規制も含めて。この「タバコの歌」がこれからも電波に乗って歌われるのだろうか。
封印ってことになるなんてあるのかな。
“デビュー以来ずっと目立ちたい一心で、下劣極まりない音楽をやり続けてきた私が、このような高貴な章をいただけるとするならば、そんな音楽を喜んでくださったたくさんのファンの方々と、大衆芸能を導いて来られた数多の偉大なる先達たちのおかげであると、心から感謝いたしております。
これからも、みなさまに喜んでいただける音楽を創り続けていけるよう、日々励んでいく所存です。日本が、そして世界が平和でありますように”。
紫綬褒章受章にあたっての桑田のコメント。
あの歌は下劣極まりない音楽だったのだろうか・・・。なんか桑田が好きになってきたような・・・。
もうピースはおろかハイライトも吸えない。とてもじゃないがきつくて。
一番「軽い」、1ミリの煙草が定番な亭主。
2015年1月1日木曜日
「貫かれた棒・・・」
“去年今年貫く棒の如きもの”。高浜虚子の句だ。
年賀状に時々引用させて貰っていた。
その賀状も2011年の正月で欠礼を決めた。古稀の故をもってして。
世間とのつながりを絶とうとしたわけでは決してない。
賀状は、無沙汰の知人、友人の消息を知ることが出来る在り難いものだったが。
欠礼の理由は敢えて書くまい。その風習を決して“否定”するわけではない事だけは確かだが。
もし、賀状を続けていたら、2012年の元旦に何を書けばよかったのだろう。
少なくとも、冒頭に「おめでとう」という言葉は書けなかった。
欠礼を“宣言”しておいてよかったと思う。
昨夜、カレンダーを替えた。12月が1月になった。
玄関の正月飾りも30日に飾っておいた。一夜飾りはいけないと親に言われていたので。
その母の仏壇に「南天」の実を手向けた。今朝、手を合せた。
虚子の句に戻る。貫く棒とは何かを考える。
年は変わった。だが、棒のような何物かが、旧年と新年をしっかり貫いている。
ということなのだろう。
「棒」とは何か。「棒」とは多分、“時間”なのだろう。年が変わろうが変わるまいが、時間は流れるということか。時の流れだけは止まらないということか。
今年は戦後70年と言う節目の年だ。70年・・・。
沖縄返還が無ければ日本の戦後は終わらないと佐藤栄作は言った。返還が決まった時、戦後は終わったと彼は言った。
では、沖縄の「時間」とは・・・。沖縄で変わったものとは・・・。
明治維新から70年後、太平洋戦争が事実上始まった。それが終わって70年。
これからの70年は・・・。
福島の70年後は。核のゴミの70年後は・・・。
たしかに、生活感覚としての時は流れていくのだろう。毎月一回暦を繰る度に。
春夏秋冬、四季を感じる度に。
一昨年だったか。毎月書いている随想もどきに「止まったままの時計」という一文を書いた。その年の「書展」に、書家はその一文を大書して、会場の正面に置いてくれていた。
散文調で書いた。「あなたの時計は今何時ですか。あなたの時計は動いていますか。僕の時計は止まったままです・・・」などと問いかけながら。
やはり僕の中には「止まったままの時計」があるようだ。まさに固い棒のように。
あの日のあの時間のままで止まり、放置されている時計が、まるで「モニュメント」のように、言葉を発しない無言の「抗議」の意志を示すかのように。
あの時計が動き出さない限り、僕の中の「時計」も止まったままなのかもしれない。
時間という奴は、頼んだわけでもないのに勝手にやってくる。やってきたかと思えば、たちまち立ち去ってしまう。
半面、過ぎ去ることで、耐え難い不幸や苦痛さえも和らげてしまう力を持つ。
和らぎとしての時の移ろいは歓迎するのだが。
被爆70年の年、年頭にあたり天皇陛下が詠まれた句。
「爆心地の碑に白菊を供えたり 忘れざらめや往(い)にし彼の日を」
時計は止まったままだが、確実に言えることは一つ。わが身の老い。その老いの中に身を置くことを潔しとする。
皆様のご多幸を祈りつつ。
年賀状に時々引用させて貰っていた。
その賀状も2011年の正月で欠礼を決めた。古稀の故をもってして。
世間とのつながりを絶とうとしたわけでは決してない。
賀状は、無沙汰の知人、友人の消息を知ることが出来る在り難いものだったが。
欠礼の理由は敢えて書くまい。その風習を決して“否定”するわけではない事だけは確かだが。
もし、賀状を続けていたら、2012年の元旦に何を書けばよかったのだろう。
少なくとも、冒頭に「おめでとう」という言葉は書けなかった。
欠礼を“宣言”しておいてよかったと思う。
昨夜、カレンダーを替えた。12月が1月になった。
玄関の正月飾りも30日に飾っておいた。一夜飾りはいけないと親に言われていたので。
その母の仏壇に「南天」の実を手向けた。今朝、手を合せた。
虚子の句に戻る。貫く棒とは何かを考える。
年は変わった。だが、棒のような何物かが、旧年と新年をしっかり貫いている。
ということなのだろう。
「棒」とは何か。「棒」とは多分、“時間”なのだろう。年が変わろうが変わるまいが、時間は流れるということか。時の流れだけは止まらないということか。
今年は戦後70年と言う節目の年だ。70年・・・。
沖縄返還が無ければ日本の戦後は終わらないと佐藤栄作は言った。返還が決まった時、戦後は終わったと彼は言った。
では、沖縄の「時間」とは・・・。沖縄で変わったものとは・・・。
明治維新から70年後、太平洋戦争が事実上始まった。それが終わって70年。
これからの70年は・・・。
福島の70年後は。核のゴミの70年後は・・・。
たしかに、生活感覚としての時は流れていくのだろう。毎月一回暦を繰る度に。
春夏秋冬、四季を感じる度に。
一昨年だったか。毎月書いている随想もどきに「止まったままの時計」という一文を書いた。その年の「書展」に、書家はその一文を大書して、会場の正面に置いてくれていた。
散文調で書いた。「あなたの時計は今何時ですか。あなたの時計は動いていますか。僕の時計は止まったままです・・・」などと問いかけながら。
やはり僕の中には「止まったままの時計」があるようだ。まさに固い棒のように。
あの日のあの時間のままで止まり、放置されている時計が、まるで「モニュメント」のように、言葉を発しない無言の「抗議」の意志を示すかのように。
あの時計が動き出さない限り、僕の中の「時計」も止まったままなのかもしれない。
時間という奴は、頼んだわけでもないのに勝手にやってくる。やってきたかと思えば、たちまち立ち去ってしまう。
半面、過ぎ去ることで、耐え難い不幸や苦痛さえも和らげてしまう力を持つ。
和らぎとしての時の移ろいは歓迎するのだが。
被爆70年の年、年頭にあたり天皇陛下が詠まれた句。
「爆心地の碑に白菊を供えたり 忘れざらめや往(い)にし彼の日を」
時計は止まったままだが、確実に言えることは一つ。わが身の老い。その老いの中に身を置くことを潔しとする。
皆様のご多幸を祈りつつ。
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