2015年1月1日木曜日

「貫かれた棒・・・」

“去年今年貫く棒の如きもの”。高浜虚子の句だ。

年賀状に時々引用させて貰っていた。

その賀状も2011年の正月で欠礼を決めた。古稀の故をもってして。
世間とのつながりを絶とうとしたわけでは決してない。
賀状は、無沙汰の知人、友人の消息を知ることが出来る在り難いものだったが。

欠礼の理由は敢えて書くまい。その風習を決して“否定”するわけではない事だけは確かだが。

もし、賀状を続けていたら、2012年の元旦に何を書けばよかったのだろう。
少なくとも、冒頭に「おめでとう」という言葉は書けなかった。

欠礼を“宣言”しておいてよかったと思う。

昨夜、カレンダーを替えた。12月が1月になった。
玄関の正月飾りも30日に飾っておいた。一夜飾りはいけないと親に言われていたので。
その母の仏壇に「南天」の実を手向けた。今朝、手を合せた。

虚子の句に戻る。貫く棒とは何かを考える。

年は変わった。だが、棒のような何物かが、旧年と新年をしっかり貫いている。
ということなのだろう。

「棒」とは何か。「棒」とは多分、“時間”なのだろう。年が変わろうが変わるまいが、時間は流れるということか。時の流れだけは止まらないということか。

今年は戦後70年と言う節目の年だ。70年・・・。

沖縄返還が無ければ日本の戦後は終わらないと佐藤栄作は言った。返還が決まった時、戦後は終わったと彼は言った。

では、沖縄の「時間」とは・・・。沖縄で変わったものとは・・・。

明治維新から70年後、太平洋戦争が事実上始まった。それが終わって70年。
これからの70年は・・・。
福島の70年後は。核のゴミの70年後は・・・。

たしかに、生活感覚としての時は流れていくのだろう。毎月一回暦を繰る度に。
春夏秋冬、四季を感じる度に。

一昨年だったか。毎月書いている随想もどきに「止まったままの時計」という一文を書いた。その年の「書展」に、書家はその一文を大書して、会場の正面に置いてくれていた。

散文調で書いた。「あなたの時計は今何時ですか。あなたの時計は動いていますか。僕の時計は止まったままです・・・」などと問いかけながら。

やはり僕の中には「止まったままの時計」があるようだ。まさに固い棒のように。

あの日のあの時間のままで止まり、放置されている時計が、まるで「モニュメント」のように、言葉を発しない無言の「抗議」の意志を示すかのように。

あの時計が動き出さない限り、僕の中の「時計」も止まったままなのかもしれない。

 時間という奴は、頼んだわけでもないのに勝手にやってくる。やってきたかと思えば、たちまち立ち去ってしまう。
半面、過ぎ去ることで、耐え難い不幸や苦痛さえも和らげてしまう力を持つ。

和らぎとしての時の移ろいは歓迎するのだが。

被爆70年の年、年頭にあたり天皇陛下が詠まれた句。
「爆心地の碑に白菊を供えたり 忘れざらめや往(い)にし彼の日を」

時計は止まったままだが、確実に言えることは一つ。わが身の老い。その老いの中に身を置くことを潔しとする。

皆様のご多幸を祈りつつ。

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