“去年今年貫く棒の如きもの”。高浜虚子の句だ。
年賀状に時々引用させて貰っていた。
その賀状も2011年の正月で欠礼を決めた。古稀の故をもってして。
世間とのつながりを絶とうとしたわけでは決してない。
賀状は、無沙汰の知人、友人の消息を知ることが出来る在り難いものだったが。
欠礼の理由は敢えて書くまい。その風習を決して“否定”するわけではない事だけは確かだが。
もし、賀状を続けていたら、2012年の元旦に何を書けばよかったのだろう。
少なくとも、冒頭に「おめでとう」という言葉は書けなかった。
欠礼を“宣言”しておいてよかったと思う。
昨夜、カレンダーを替えた。12月が1月になった。
玄関の正月飾りも30日に飾っておいた。一夜飾りはいけないと親に言われていたので。
その母の仏壇に「南天」の実を手向けた。今朝、手を合せた。
虚子の句に戻る。貫く棒とは何かを考える。
年は変わった。だが、棒のような何物かが、旧年と新年をしっかり貫いている。
ということなのだろう。
「棒」とは何か。「棒」とは多分、“時間”なのだろう。年が変わろうが変わるまいが、時間は流れるということか。時の流れだけは止まらないということか。
今年は戦後70年と言う節目の年だ。70年・・・。
沖縄返還が無ければ日本の戦後は終わらないと佐藤栄作は言った。返還が決まった時、戦後は終わったと彼は言った。
では、沖縄の「時間」とは・・・。沖縄で変わったものとは・・・。
明治維新から70年後、太平洋戦争が事実上始まった。それが終わって70年。
これからの70年は・・・。
福島の70年後は。核のゴミの70年後は・・・。
たしかに、生活感覚としての時は流れていくのだろう。毎月一回暦を繰る度に。
春夏秋冬、四季を感じる度に。
一昨年だったか。毎月書いている随想もどきに「止まったままの時計」という一文を書いた。その年の「書展」に、書家はその一文を大書して、会場の正面に置いてくれていた。
散文調で書いた。「あなたの時計は今何時ですか。あなたの時計は動いていますか。僕の時計は止まったままです・・・」などと問いかけながら。
やはり僕の中には「止まったままの時計」があるようだ。まさに固い棒のように。
あの日のあの時間のままで止まり、放置されている時計が、まるで「モニュメント」のように、言葉を発しない無言の「抗議」の意志を示すかのように。
あの時計が動き出さない限り、僕の中の「時計」も止まったままなのかもしれない。
時間という奴は、頼んだわけでもないのに勝手にやってくる。やってきたかと思えば、たちまち立ち去ってしまう。
半面、過ぎ去ることで、耐え難い不幸や苦痛さえも和らげてしまう力を持つ。
和らぎとしての時の移ろいは歓迎するのだが。
被爆70年の年、年頭にあたり天皇陛下が詠まれた句。
「爆心地の碑に白菊を供えたり 忘れざらめや往(い)にし彼の日を」
時計は止まったままだが、確実に言えることは一つ。わが身の老い。その老いの中に身を置くことを潔しとする。
皆様のご多幸を祈りつつ。
2015年1月1日木曜日
“チェルノブイリ”異聞
ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...
-
新しい年となった。雪の中だ。 良寛の詩作を引く。「草庵雪夜作」の題名。 回首七十有餘年 首 ( こうべ ) を回(めぐ)らせば七十有餘年 人間是非飽看破 人間の是非看破(かんぱ)に飽きたり 往来跡幽深夜雪 ...
-
ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...
-
そう、あれは6月の初めだったか。 急に視力が悪く、パソコンの画面が見え難くなった。 脳梗塞で入院した時、最初に診察してくれた当直の麻酔科の医師が「白内障が出てます。手術した方がいいですよ」と教えてくれていた。 その後転倒して、それも二回。 CT 検...