昔はいろんな虫がいた。癇癪虫、癪の虫。疳の虫(かんのむし)とか怒り虫。
よく泣く子は疳の虫が強い子と言われていた。
そして回虫もいた。回虫を持っていた。親も時々癇癪を起していた。怒っていた。
野菜、特にキャベツの中には必ずと言っていいほど虫がいた。
学校では回虫検査があり、虫下しを飲まされていた。
で、癇癪虫を退治する薬ってあったのだろうか・・・。
そんな虫を抑えるように、人々は尺取り虫のように、一歩一歩、歩き始めていた時代もあった。
やがて少なくとも回虫はいない時代になった。「衛生的」になったのである。
公徳心なるものがどうかはともかく、食品に対してだけは神経質になるくらい「うるさい消費者」が生まれた。
卑近な例では「マック」の“事例”。もちろんとんでもないことだけど。
マックの当事者は記者会見で、「解答を差し控える」を連発していた。
なんで控えるのか。それを聞くべきなのに、どうもその先には行かないような。
それはともかく・・・。
今はまた僕の中に一匹の虫が住み着いている。怒り虫だ。あの日以降住み着いてしまった虫だ。
その虫に対して、僕は虫下しを飲まない。飲むつもりはない。その虫のおかげで、ストレスが極端に溜り、体調不良になったとしてもだ。
怒るということはからだによくないと知っていてもだ。
何に対しての「怒り虫」か。何に対して怒っているのか。
嘘ばかり平気で言う奴らに対してだ。「東電」という会社の体質に対してだ。
弱いものを“見殺し”にするかのような労働条件も含めて。
コントロールされてなんかいないのに、されているように言う、体面を取り繕う「国」という巨大な権力へだ。
有ったことを無かったことのように言う。そこにある実態を見て見ぬ振りをする、見なかった振りをするその欺瞞性に対してだ。
あらゆる、それはほぼでっち上げに近い「風評」という“お化け”に対してだ。
訳知り顔に、福島を語る奴らにだ。
同情する振りをして、善意の人間を気取っている奴らにだ。
それこそ、福島産の食品には「虫」が入っているように言い放つ、言い募る奴らにだ。
どうも、僕の中に住み着いた怒りの虫は、成長しているようだ。怒りが激しくなってきているようだ。
それでも、ずいぶんと抑えているのだけれど。
怒りを無くすということは忘れるための心の“行為”だ。忘れるとは亡くす心と書く。
怒りを無くせば沈黙せざるを得ない。沈黙は何を招くか。忘却だ。忘却は風化につながる。
怒ることを忘れた人たちが、怒りを無くしてしまった人達が、今の世には多い。
それは70年前の戦争につてもあてはまる。沖縄についても、長崎、広島についても、食に関わることならば水俣に対してもだ。
怒りを忘れるということは、権力に盲従するということだ。盲従する民、それは収容所に向かう列車に唯々諾々として乗るユダヤ人の姿を連想させる。
猛獣とは言わないまでも、権力を批判してきたマスコミという輩も、徐々に盲従になろうとしている。
腹の虫が治まらない。
「12人の怒れる男」という映画があった。裁判ものだ。陪審員の話しだ。
ヘンリーフォンダにはなりきれない。なれない。11人の多数意見を覆すような力量は無い。
この映画の監督は、民主主義と言うものへの限りない期待感を持ってこの映画を作ったのではないかとも思う。
せめてその映画の陰のスタッフでいたいとも思っているのだが・・・。
それにしてもなんでこの映画は12人だったのか。陪審員が。
まさか「12使徒聖人」を意識したのではないかと憶測しても始まらないが。
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