2015年1月27日火曜日

「テロリズム」という言葉・・・。

なにも大仰なことを言うつもりではないが。

21世紀と言う時代は、テロリズムと向き合う時代になったということだ。

「イスラム国」によるテロ、テロという。僕もそう書いている。しかし、よく考えたら彼らはテロリストであり、思想としてのテロリズムに該当する集団なのだろうか。ふとそう考えた。

ちなみに、それが万能では無いという前提をおいても広辞苑にはこうある。

テロ・テロル・テロリズム。テロとはテロリズムの略語ということ。
テロリズムとは・・・。

① 政治目的のために、暴力あるいはその脅威に訴える傾向、その行為。
暴力主義。

「イスラム国」のやった行為。湯川さんを殺害し、後藤さんの身柄を盾に、最初は身代金、そしてヨルダンに収監されている死刑囚との「交換」。
そこに政治目的というのがあるとみるかどうか。

日本を始め、ヨルダン含め、アメリカなどの政府を混乱させている。政府を相手にしている。それは政治目的だろう。

が、やっていること言っていることは単なる集団殺人者、その集団、犯罪集団ということかもしれないと。

② 恐怖政治ともなっている。しかし、彼らは政治としての恐怖ではない。少く
とも他国に対しては。

テロ・・・。“体験”したテロは山口二矢による浅沼稲次郎の刺殺だった。

そして歴史の中では水戸藩の浪士による井伊直弼殺害、桜田門の変か。事例として挙げれば。

「テロルの決算」という本がある。ノンフィクションライターの沢木耕太郎が山口二矢の事を書いた本。1年間の取材を積み重ねて書きあげた「テロル」の根底、底辺にあるもの。
昭和53年に書かれたものだ。

桜田門外の変は、幕末期の開国か攘夷かをめぐるものだった。一言で言うなら。テロという言葉が無い時代。「変」と呼ばれてきたが。

「オウム事件」もテロだったのかもしれない・・・。

テロリズムを是認するものではない。「イスラム国」なるものをテロ集団と見るかどうかはともかくだ。

僕の中に「テロ」という言葉が芽生え、内的なテロリズムの衝動にかられた時がある。
2011年3月後半から4月以降の、この国の、国家としての有り様、右往左往するだけでなんら有意な対応を、国民を守る政治をとれなかったあの時の政府、そして「福島」をいわれなく悪しざまにいう人達の群れを見た時だ。

原発事故はテロではない。人がその意思をもって起こしたことではないから。
しかし、あの事故は、「カネ」を、経済成長という美名の中で「平和」というまやかしの言葉で人心を惑わせて作られた歴史の中での、「見えざる手」によってのテロだったと言えないことも無い。

その後遺症は大きい。未だもって。

今回の「事件」でも、政治は有意に作用しているのか。表面はともかく、手の打ちようが無い混乱に為政者たちは陥っている。
この国において、「外交」は働いていたのか。

2011年、2015年。どこか重なる。2011年当時、欧米からのさまざまな申し出があったことを含めて。

そして、21世紀のテロは「諜報戦」とも「情報戦」ともいわれる。日本の動きはあの集団には筒抜けだ。

あの集団に対して、日本がどのような「情報戦」を仕掛けられるのか。
国内の情報統制に走っているだけではないのか。

思いつく事象だけを列挙しているみたいだけど。

脈絡なく、太平洋戦争時の「東京ローズ」、米軍兵士の望郷の念、情感に訴えたあの唯一ともいえる“情報戦”のことが浮かんでくる・・・。

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