2015年1月9日金曜日

「和の民」としての東北

昔々、大昔のことです。今の山陰地方に「和」という国がありました。
出雲と言う国です。まだ日本と言う国が出来ていないころです。

因幡の白ウサギのおとぎ話で有名な、童謡にもなっていたところ。そこには大国主命、因幡の大黒様がいました。神様です。

そこに暮らす人たちは、“平和”な営みをしていました。

ある時、大陸から卑弥呼という人を親分にした大勢の人達がやってきました。

出雲の国を「支配」しようとしました。戦争をしかけてきたのです。

「和の民」は、居酒屋チェーンの和民ではありませんよ。争いを好みませんでした。

故事にある「出雲の国譲り」をしたのです。

その地の人達は卑弥呼に国を譲り、全国に散っていったのです。神様の全国に散りました。八百万の神となって。

だから、年に一回、散った神様たちは出雲に帰ってくるのです。神無月と言われる十月、神様たちは出雲大社に帰ってきます。そこだけは「神有月」と古くから言われています。

和の民の多くは陸奥の国、東北地方にやってきました。邪馬台国を名乗っていた卑弥呼の軍勢も来ないような遠隔の地です。

だからでしょうか。出雲弁と東北弁には似通ったイントネーシンや“単語”があるのです。

蝦夷の地、陸奥にやってきた和の民。その精神は蝦夷と合致するところがありました。
「戦」を、自分たちから“侵略、侵攻”していくのを好みませんでした。

宮城県に大和という町があります。「タイワ町」と読みます。町史を調べたわけではありませんが、国譲りの後、卑弥呼が大きな和の国を作ったと大陸に報告するため、その支配下にあった地域を「大和」としたいと申し出たこともありましたが、その時は「大和」は認められませんでした。

それ以降出来た「大和朝廷」からも、奥州はなにかと目の敵にされてきました。
権力の長は征夷大将軍という地位に任ぜられ、そう奥州は「夷敵」とされてきたのです。

中国では蛮族とされた民族とみなされていたのです。

鎌倉時代以降、奥州は幕府から侵攻されます。

奥州藤原三代。攻撃され続けてきました。平泉を中心にした栄華を極めた都。
莫大な金を埋蔵している地。

阿弖流為の時代には銅などの鉱物資源も持っていました。

滅亡された藤原一族。末裔は日本各地に散りました。多くは南下して、今の福島県いわき地方に住み着きました。

いわきの中心部、平という地名です。JRの駅もちょっと前まで平でした。

「平泉」を引きずる藤原一族は、その名前の半分の地名にしました。

極楽浄土を具現化したと言われる中尊寺や毛越寺。そこの庭園。それを模して白水阿弥陀堂を作りました。
白水・・・泉を二つに割った字です。

正確な歴史物語ではないかもしれません。僕が半ば勝手に作った珍説、模作かもしれませんが・・・。
おおむねあたっているのかもしれません。


国を追われる・・・。福島県の人達も国を追われました。あの「原発」というもののおかげで。その大きな力によって。

足尾銅山事件とうのが明治の時代にありました。鉱毒の垂れ流し事件です。
その足尾に住めなくなった人達、追われた人達は北海道にわたり、その地に足尾という地名をつけました。

国を追われる・・・。そんな“歴史”が続いているかのような。

東北人は我慢強い。怒らない。そうよく言われます。もちろん気候風土の問題もあるでしょう。越後人にも匹敵する。

原発事故もそのことが巷間よく言われました。

本当は皆怒っているのです。でも我慢しているのです。そして静かな怒りは蓄えたままでいるのです。

ふと思った「東北」のことです。“おとぎ話”としての。

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