「イスラム国」問題。メディアは“こう着状態”だと報じる。それはひとえにあちらからのメッセージがないからだろう。“沈黙”しているからだろう。
いわば、こちら側は「受け身」の立場に立たされているとうことか。
ネット社会、それは「饒舌な社会」である。饒舌であるがゆえに「沈黙」を恐れる。その「沈黙」の意味を探ろうと必死になる。
この「イスラム国」事件、いわばネットによる、それを“武器”にした「神経戦」であり、「情報戦」であり、「消耗戦」だと思う。
拘束されている後藤さんが、いかなる精神状態でいるか。精神力を保っていられるかが気になるということも含めて。
日本中が、いや、世界も含めて、「ネット社会」になったのはいつの頃からか。
たかだか20年くらいではないのか。
今、我々は「席巻されたネット社会」に暮らしている。インターネットによって世界は動く。
ちょっと前までの、中東地域の情報は「アルジャジーラ」というテレビ局に“依存”していた。
今は、この事件に関してはネットですべてがやりとりされている。
そしてネットを介在させた「戦略」は、どうも向うの方が上のようだ。
ネットにはあらゆる情報が流れている。無限といってもいいだろう。
無限とは、ある意味「ゼロ」に通じる。
その無限ともいえる情報の中から、たとえば”真実“や”事実“を、どう探り当てるのか。
イスラム国事件でもそうだ。ネットに流される情報の真贋を誰が見極められるのか。その中から彼らの“真意”をどう見つけられるのか・・・。
ネット戦争・・・。その最たるものがサイバー攻撃というものだろう。
武器を使わなくてもいい。サーバーを、相手国の枢要のサイバーをダウンさせれば、その相手国はパニックに陥る。
ネットがダウンする。パソコンが機能しない。それがどういう影響を及ぼすか。
電気だって容易に止められる。交通機関だって動かせない。全てがネットで、パソコンで管理されているからだ。
死者だって容易に出る。たとえば病院のサーバーをダウンさせたらどうなるのか。手術中の患者はどうなるのか・・・。
人間は便利なものを発明した。そして、その便利なものに支配される。
思考停止と言われる。その一因には「ネット」があると思う。ネットに横溢する情報を見ていれば、自分が何かを考えるひつようが無い。その無限とも言われる情報から好みのものを一つ取り出して自分の考えにすることも容易だ。
別の面からみても、あまりにも情報なるものが横溢していると、真反対の意見や論調が同時に入ってくると、何を選択するのかに困惑する。
考えることに疲れてくる。だから「考えること」をやめる・・・。
ネットは21世紀に於いては有力な武器になったということ。
そしてそのネットを有益なものとして活用するのか、一つの“有害”なものとして距離を置いて接するのか。
今、その“選択”が試されているのかもしれない。
ネットを使ってこれを書きながら、ネットに対して敵意は持たないものの、懐疑的になっている自分。それは以前からそうであったのだが、それとても“思考”の停止までは行かなくても、大いなる逡巡に材料になっているようにも思う。
こんなことを書きながら、後藤さんの安否がネットで伝えられる時を待っているというおかしさ。
そして「情報」をめぐり、それを必要とし、そしてそれに振り回されている福島。それは今でも同じだということ。
2015年1月31日土曜日
“チェルノブイリ”異聞
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