2015年1月3日土曜日

「からから亭」という“居酒屋”のこと

2005年11月。小さな“居酒屋”がオープンしました。
その場所は?住所は?。ありません。ネットの中だけですから。

会社員時代から、漠然と思っていたことがあります。会社員を終わったら小さなカウンターだけのバーをやりたい。バーのマスター、一人だけの。
薄~くJAZZが流れていて、老マスターが、一人で来たお客さんの話し相手になれればいいな。なんという妄想。

会社員を終わてみれば、店を出す資金とて無し。そして気が付く体力の衰え。
物理的に無理だとわかったのです。

で、考えたのがネット居酒屋。酒は飲んだ気分。直に話さなくてキーボードでの会話。“下手な考え休むに似たり”でしたが。

「からから亭」という“屋号”で始めてみました。バーではなく居酒屋に見立てて。
からから亭というのは、ウイスキーのグラスの中で氷が「カラカラ」と音を立てている。そんな意味合いからつけたものです。

会話の糸口は毎日10行ほどの酒談義が中心。そんなに飲めるわけではないのに、酒好きのふりをして。

最初の口上が残っています。

「お店、きょうから、開店しました。まだお客さまはいらしていません。
そりゃそうですよね。レセプションの通知も差し上げていないのですから。
会社の中での息抜きに、晩酌のついでに、ナイトキャップのつまみさがしに
当店を覗いていただけたら幸いです。
郡山は風の季節になってきました。きょうも一日枯葉舞っていました。
郡山は風の街です。これからの季節、いろんな風が吹くでしょう。
枯葉は風を楽しむように、それぞれが踊っているようでした。
枯葉はやがて腐葉土になります。新しい生命を生むために土にかえります。
枯葉には枯葉の役割があるのだと思います。だから、見る人間にとっては淋
しい光景であっても、枯葉ちゃんにとっては、喜びの舞かもしれません。
今夜はヨセフ・コスマの名曲 ♪枯葉♪ を・・・」。

こんなことで始まった“店”です。ネットにかまけてないで、食うための仕事をすべきだったのですが・・・。

常連さん含め、お客さまが、ブログ「からから亭」に立ち寄ってくださる方があっと言う間に増えていきました。

ある日はこんなことも書いていました。


「亭主謹白 すべて人間の一生は 神の手によって書かれた 御伽噺にすぎない。アンデルセンの言葉です。出来上がったばかりの店に多数お立ち寄りいただき、恐縮しきりです。
公開コメント以外にも多数のメールいただきました。目薬片手のPC作業。出てくるのは目薬のしずくか、はたまた感動の涙か(^-^)。
ちょっと御伽噺の世界にいるような心境です。
笹の川の熱燗でいっぱい。十四代の焼酎で〆と行きますかな。今夜は。それにしても神様はいい仲間を
くれたもんだと思うことしきりです」。


そんな日々を送りながら楽しんでいました。やがてなんでだか、居酒屋談義を逸れて辛口を言うようになっていました。

年中無休でやっていましたが、週に数日開店という時もありました。そんなこんなで数年。あの日が来ました。2011年3月11日。

それ以降、長文を連日書くことになりました。というより、そう自分で決めたのです。それしか出来ることは無いから。字数はとてもじゃないが増えました。

今年で「開店10年」です。しんどくもあり、億劫に思う時もあり、書かねばならぬと奮起するときもあり。

「3・11」前の常連さんはお見えにならなくなりました。

時流に乗ったわけではありませんが、ツイッターに「告知」したり、フェイスブックが出来ると、それにリンクを貼ったり。

もう少し、からから亭は”営業“します。
永井荷風の断腸亭日乗の想いに似て、「からから亭日乗」と店名変更。断腸の思いの日常があったからでしょうか。

開店当初風に書いてみます。
「国民的行事、NHKの紅白歌合戦の視聴率が新聞に載っていました。サザンが出た後半は42,2%だったということです。視聴率も世論調査も、少ないサンプル数から割り出した数字。安倍内閣の支持率には及ばなかったような。それはともかく、今年も開店時間は気ままな当店ですが、ぜひご贔屓に」。

こんな具合だったのですが・・・。

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