子供の頃の遊び場。東京渋谷区の初台、幡ヶ谷、西原、上原、大山、そして明治神宮・・・。
前にも書いた。代々木上原に、近所の人が言う「フイフイ教」の教会があった。
イスラム教の、信者のモスクだ。
先週の安息日、そこでは日本に住むイスラム教徒が祈りをささげていた。
指導者は説教でこう言っていた。「命の尊厳」をテーマに。
「イスラムの教えは、迫害や暴力を認めていない。1人の人間を正当な理由もなく殺害することは、全人類を殺害することである」と。
その後、教徒たちは一斉に、人質2人の解放を祈ったという。
「同じイスラム教徒として事件は本当に残念。イスラム教という宗教がテロと暴力というイメージで見られ、偏見を助長しかねない」とそこの担当者は話していたという。
イスラム教徒と「イスラム国」を混同する人も中にはいる。中東は日本にとって馴染みが薄い国だからかもしれないから。
寛容という言葉がある。
シャルリー・エブドの事件も、今回の日本人拉致、殺害予告も、イスラム過激派という集団のやったこと。
あの自由を謳うフランスだって、9・11後のアメリカだってイスラム教徒を偏見の目でみた。警戒し、時には「排除」の論理さえ持出されていた。
日本でもそれがあるかもしれない。今のこの国は「排外主義思想」がまかり通っている空気なのだから。
同じイスラム教でも国によって、シーア派とかスンニ派とか、「原点」は同じであろうに、激しく対立している。争いも絶えない。
キリスト教でも、カトリックとプロテスタントでは対立がある。
仏教でも宗派によって時には“異端視”することさえある。
ユダヤの民同士でも争いが絶えない。
宗教とはあまねく「寛容」を求めるものであるとも思うのだが。
寛容の対義語は不寛容だ。
不寛容・・・それは福島でも存在するということ。意味合いは多少違っていたとしても。
テロは断じて容認できない。が、しかしだ。
アメリカは“正義”の名において、今回の事件が起こる以前から、「イスラム国」への空爆を行ってきた。イラクに対してもそうだった。
シリアの民兵組織に軍事訓練をほどこし、地上攻撃への備えもする。
壊滅、殲滅という暴力的言葉を使う。
拘束されている二人の日本人の安否が気になる。
日本人に対する殺害予告が為されたのは安倍のエジプトでの「演説」が引き金になっていたとみるのは妥当だろう。
アメリカに追随するかのような集団的自衛権なる発想も、テロ集団にすれば、日本もアメリカやヨーロッパ各国と同様と見られたのだろう。
テロ集団に寛容さを求めているのではない。しかし、欧米があの集団を、イスラム過激派を空爆する限り、その巻き添えを食った多くの彼の地の民間人、子どもが常に犠牲になっている。まるで大量虐殺が如くに。
犠牲になる、殺される一般の人たちのほとんどもイスラム教徒であるということ。
イスラエルとパレスチナとの関係に於いてもだ。
戦争の無い世界。それはもはや「絵空事」となってしまったのだろうか。
平和憲法なるものもを基本理念として持ってきた日本と言う国が、好むと好まざるとにかかわらず戦争に巻き込まれて行くということ。
寛容と不寛容という対極をどう埋めればいいのかということ。日本が排除すべき「テロ」に巻き込まれてしまったということ。
中東の地図を見ながら、“もろもろの想像”を“宗教の在り様”を“なぜテロが起こり、そこに他国の人間までがはせ参じるか”などなど。
整理が出来ないままの経過する時間・・・。
2015年1月24日土曜日
“チェルノブイリ”異聞
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