2015年1月18日日曜日

貫く棒のような“歌”~満月の夕~

まったく恥ずかしいくらいに、そんな歌があることを知らなかった。
昨日の夜中、それをテレビで知った。
阪神淡路大震災を歌った曲だ。被災者を慰問し、励まし、慰める歌だ。

20年前に作られてこの歌は、多くの人に聴かれていたという。ライブも何百回か行われていたという。

そして。そのバンドや歌い手たち、作った人達は、「3・11」後、東北に駆け付けたという。福島の相馬でもライブをやったという。

会場の人たちも一緒になって歌ったという。

「満月の夕(ゆうべ)」という曲。1995年1月17日の夜、神戸の空には満月が輝いていたという。

その歌詞を書き写す。


♪風が吹く 港の方から 焼けあとを包むようにおどす風
悲しくて すべてを笑う 乾く冬の夕

時を超え国境線から 幾千里のがれきの町に立つ
この胸の振り子は鳴らす “今”を刻むため

飼い主をなくした柴が 同胞とじゃれながら車道 (みち)をゆく
解き放たれ すべてを笑う 乾く冬の夕

ヤサホーヤ 唄がきこえる 眠らずに朝まで踊る
ヤサホーヤ 焚火を囲む 吐く息の白さが踊る
解き放て いのちで笑え 満月の夕

星が降る 満月が笑う 焼けあとを包むようにおどす風
解き放たれ すべてを笑う 乾く冬の夕

ヤサホーヤ 唄がきこえる 眠らずに朝まで踊る
ヤサホーヤ 三線鳴らす 吐く息の白さが踊る
解き放て いのちで笑え 満月の夕

ヤサホーヤ 唄がきこえる 眠らずに朝まで踊る
ヤサホーヤ 焚火を囲む 吐く息の白さが踊る
解き放て いのちで笑え 満月の夕
解き放て いのちで笑え 満月の夕

沖縄民謡のような曲調。ギタリストはギターを三線に持ち替えていた。
ロッミュージシャン。

祖父を津波で亡くした女川の漁師は、この作者と出会う。この曲を知っていた
から。彼は3・11後音楽と接してなかったという。接する気分になれなかっ
たという。ある日、車の中で、思いついたように持っていた音楽プレーヤーを
動かしたという。そして聞いたのがこの曲だった。

涙がこみ上げ、運転は出来なくなり、車を停めて30分号泣した。そして何か
が吹っ切れたと。
そう、彼らを繋いだのは、瓦礫の中にあったその漁師のターンテーブル。それ
を作者が写真に撮ってネットに上げたのがきっかけだったとか。


その番組を見ながら、曲に接しながら僕も目頭を熱くしていた・・・。

作者は沖縄出身なのか・・・。歌詞は、沖縄戦にも通じる。戦後の焼け跡の光
景にも通じる。そして「1・17」がそこにある。「3・11」にも通じる。
同じ光景だ。

2011年3月11日の夜は満月であり、星もあった記憶・・・。

「解き放なたれ、すべてを笑う。解き放て、いのちの笑い。いのちで笑う」。

そうだ。沖縄、戦後、大震災・・・。貫く棒のようなもの、皆、解き放たれよ
うとしていたのだ。時代の呪縛から。
そして笑うということは、明日を生きるということの“約束”なのだ。

そんな風に勝手に解釈していた・・・。

福島県の川内村では満月祭りというのが行われていた。そんなに古い話ではな
い。その日は全国から“ヒッピーもどき」の人たちが集まってきていた。
獏原人村へ。

“ヒッピー”と呼ばれていた若者たち、自らをそう呼んでいた人たち。発祥は
アメリカだが。

彼らが求めていたものは、あらゆる意味での「解放」だった・・・。

今、この国は実に「息苦しい」。さまざま息苦しい。生き苦しい。「解き放て」
というメッセージ・・・。“2015年”も歌っているように聞こえる。

この歌と、もっと早く出会っていたらなぁ・・・。知らなかったことへの悔い。

満月の夜、オオカミは月に向かって吠えるともいう・・・。

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