以前もこのことを書いたと思う。新聞に毎週のように投稿し、ある日突然消えてしまった歌人のこと。
その名前は、それがペンネームかどうかはもちろん知らないが「公田耕一」と言う。職業欄には「ホームレス」とあった。
時の政権は麻生内閣だったと思う。
最初に出会った歌。
「(柔らかい時計)を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ」
柔らかい時計、サルバドール・ダリの“時計”である。記憶の固執に描かれたモチーフである。
この時計が意味するものは何か。このホームレス歌人は、何をそれで伝えたかったのか。炊き出しに並ぶことの忍耐力か、空腹の中で時間が溶けてしまったことを言いたいのか。
いずれにしてもダリの時計は通常の時間とは違う進み方をする。
今は冬季の閉館になっているが、ダリの作品を収蔵している屈指の美術館。裏磐梯にある諸橋近代美術館。
「ダリと三つのスフィンクス」という作品が掲示されているはずだ。
「核」に対する“警告”。ビキニの核実験、アインシュタイン。
ダリを“熟知”している「ホームレス」・・・。
東京の渋谷で、年末年始、ホームレスがねぐらにしていた公園から締め出され、あるいは閉じ込められ、炊き出し活動に支えられていた。炊き出しはカレーだった・・・。
ホームレス、いつの頃から“誕生”した言葉だろうか。いつの頃から“出現”したのだろうか。
戦後は乞食といわれ、ルンペンとも言われていた。高校生の時、毎朝見る光景。
戸山ハイツの脇にあった職安。仕事にあぶれた日雇い労務者がたき火を囲んで所在なさげに佇んでいた。
山谷にはドヤ街というのがあった。大阪には釜ヶ崎というのがあった。時折「暴動騒ぎ」を起こしていた。
ホームレスとは・・・なんでそれが生まれるのか。
会社が倒産した。会社をリストラされた。家族が離散した・・・。
この「豊か」で「富んで」いて、飽食の時代とも言われ、社会保障が制度としてある時代に、なぜホームレスというのが出来るのだろうか。
それぞれに理由があるのだろう。
中には、それこそダリの時計ではないが、束縛から離れて、精神的自由を選んだ人もいるかもしれないが・・・。
公田耕人という人の話に戻る。
歌壇には「返歌」が寄せられていた。
「炊き出しに並ぶ歌あり住所欄(ホームレス)とありて寒き日」
歌壇を見るのが習慣になっていった。なるべく見落とさないようにもした。
その度に、見た範囲で歌を書き留めていった。
「鍵持たぬ生活に慣れ年を越す今さら何を脱ぎ捨てたのか」
人物像を考えた。かなりのインテリジェンスを持った社会人であったであろうと。
「パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる」
読書家でもあったのだろうとも。
「美しき星空の下眠りゆくグレコの唄を聴くは幻」
音楽に造詣も深い人だったのだろう。
時には横浜にも居たようだ。浜のドヤ街に。
「哀しきは寿町と言ふ地名長者町さえ隣にはあり」。
今ここで「格差社会」と問うことはしない。「貧困」についても語るまい。
民主党政権時にも、日比谷公園での「越冬炊き出し支援問題」もあった。
暖かい部屋にいて、三食のメシを食い、風呂にも毎日入れる。そんな生活に慣れてしまっている身だからこそか。
ホームレスという言葉を眼にするたびに何か「走る」感情がある。
今日は寒い。まさに冬そのもの。季節が呼びさまさせてくれたホームレス歌人のこと。
2015年1月7日水曜日
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