日本列島酷暑です。熱中症患者急増。きのうは4人の死者が出たとか。熱中症患者は去年の六倍だという。
もちろん熱中症患者は家の中で発症した人だけではなく、表で作業していた人などもいるわけですが。
ニュースの伝え方。熱中症と節電を関連付けるような伝え方。たしかに、中にはエアコンを使わずに、我慢していて熱中症になった方もおられるかもしれません。
。。。。ここにきて、、googleブロガーの不調。。。
二回書き直して・・・。
要は、電力不足、節電。
「電力需給量」云々は、電力会社の「陰謀」があり「からくり」があるという懸念がぬぐい去れないということ。
日本人は生真面目で素直な国民。マスコミまで巻き込んでの節電大キャンペーン。それにのっかるのは命懸けかとも。とりあえずきょうはこのへんで止めておきます。ブルガー不調が怖いんで。これも「電気」のせい?(笑)。
ブロガーの不調、よろしくお願いしますよ。googleさん!!
2011年6月30日木曜日
2011年6月29日水曜日
幸せってなんだっけ
人間というのは不思議なもので、突然思考回路が飛ぶことがあります。亭主だけかもしれませんが。
数日前に書いたものに匿名さんからコメントが寄せられました。もちろん匿名さんなのでどこのどなたかはわかりませんし、どうもたまたま立ち寄られたみたいなんですが。
「幸せ」ということについての問題提起が書かれていました。とりあえず数行、返事はさしあげたのですが。幸せってことについてあれこれ考えを巡らせていたら、突然、さんまが歌っていたキッコーマン醤油のCM、「幸せってなんだっけ」って歌が浮かんできてしまって・・・。
もちろん大震災以前に、ずいぶん前から流れていたCM。様々な社会問題を抱えながらも、人それぞれが幸せな生活を望み、それを手にしていた時代。
あのCMは一つの問いかけをしていたような気がします。
日常生活の中に、醤油があるという平凡で、ささやかな幸せ。こんがりと焼かれた秋刀魚に大根おろしと醤油をかけて食べたあの味がある幸せ。秋刀魚とは戦後の食卓の象徴でした。
そのCMの最後の一節にこんなくだりがあります。
♪しあわせってなんだっけ なんだっけ 空に浮かんだ白い雲
しあわせってなんだっけ なんだっけ 抜いた指輪をまた戻す
しあわせってなんだっけ なんだっけ あほとアホとの思いやり♪
3・11以降、被災者たちは、生き残った人たちは悲惨な環境に身を置きながらも無意識に幸せを探していました。求めていました。
届けられたおにぎりひとつに幸せを感じた。一週間ぶりに入った風呂に幸せを感じた。避難所では人の優しさに幸せを感じた。与えられた幸せにありがとうと答えた。
家族を津波で亡くしながらも、生きていることへの複雑な思いを抱えながらも、どっかで何かを幸せと感じている。
栃木県の老夫婦がテレビか新聞で伝えられた被災者の声を知りました。18才の若いお母さんが、母乳がでなくなった。赤ん坊のミルクが無い、おむつが無いと訴えていました。
老夫婦はそれらを手配して避難所に送りました。数日後、お礼の電話がかかってきて、幸せだったと言われました。それ以来、老夫婦のこころの中に、その母子の幸せを願う部屋ができたということです。仮設に入れたかな、パパの仕事はどうなったかな、毎日毎日思うだけでした。
ある日、郵便受けに見覚えの無い筆跡の封書が入っていました。その若いお母さんからの手紙。可愛い模様の便箋に、娘が寝返りをうつようになった、やっとアパートに引っ越せたなどと近況が記されていました。そして、最後に。「あなたが困った時は今度、私が助けます!」という一行があったということです。被災した3人の家族の幸せをずっと願い続けて生きようと老夫婦は思ったということです。
幸せのおすそわけ・・・・。老夫婦は人生で最高の幸せを被災者から貰った。
こんな幸せの形が、たぶんあちこちで生まれているんだなと思います。
人のために何かをする。人のために役立つ。それが、やがて自分にも幸せを運んで来てくれる・・・。
福島県の子供たちが、表に出て青空の空気を思いっきり吸い込んだ時。子供たちは幸せをかんじるでしょう。酷暑の日、プールで遊べた時、戻って来た幸せを頭から浴びるでしょう。そういう日が早くくることを祈るのみです。
マザーテレサの言葉にこういうのがあります。
「この世の最大の不幸は、貧しさでも病気でもありません。自分が誰からも必要とされないと感じる時です」。
最小不幸社会の実現というお題目を掲げた首相が、今は最大の不幸を味わっている。ま、感じてないとは思いますが・・・。
あほとアホとの思いやり。幸せの原点なんでしょうか。
数日前に書いたものに匿名さんからコメントが寄せられました。もちろん匿名さんなのでどこのどなたかはわかりませんし、どうもたまたま立ち寄られたみたいなんですが。
「幸せ」ということについての問題提起が書かれていました。とりあえず数行、返事はさしあげたのですが。幸せってことについてあれこれ考えを巡らせていたら、突然、さんまが歌っていたキッコーマン醤油のCM、「幸せってなんだっけ」って歌が浮かんできてしまって・・・。
もちろん大震災以前に、ずいぶん前から流れていたCM。様々な社会問題を抱えながらも、人それぞれが幸せな生活を望み、それを手にしていた時代。
あのCMは一つの問いかけをしていたような気がします。
日常生活の中に、醤油があるという平凡で、ささやかな幸せ。こんがりと焼かれた秋刀魚に大根おろしと醤油をかけて食べたあの味がある幸せ。秋刀魚とは戦後の食卓の象徴でした。
そのCMの最後の一節にこんなくだりがあります。
♪しあわせってなんだっけ なんだっけ 空に浮かんだ白い雲
しあわせってなんだっけ なんだっけ 抜いた指輪をまた戻す
しあわせってなんだっけ なんだっけ あほとアホとの思いやり♪
3・11以降、被災者たちは、生き残った人たちは悲惨な環境に身を置きながらも無意識に幸せを探していました。求めていました。
届けられたおにぎりひとつに幸せを感じた。一週間ぶりに入った風呂に幸せを感じた。避難所では人の優しさに幸せを感じた。与えられた幸せにありがとうと答えた。
家族を津波で亡くしながらも、生きていることへの複雑な思いを抱えながらも、どっかで何かを幸せと感じている。
栃木県の老夫婦がテレビか新聞で伝えられた被災者の声を知りました。18才の若いお母さんが、母乳がでなくなった。赤ん坊のミルクが無い、おむつが無いと訴えていました。
老夫婦はそれらを手配して避難所に送りました。数日後、お礼の電話がかかってきて、幸せだったと言われました。それ以来、老夫婦のこころの中に、その母子の幸せを願う部屋ができたということです。仮設に入れたかな、パパの仕事はどうなったかな、毎日毎日思うだけでした。
ある日、郵便受けに見覚えの無い筆跡の封書が入っていました。その若いお母さんからの手紙。可愛い模様の便箋に、娘が寝返りをうつようになった、やっとアパートに引っ越せたなどと近況が記されていました。そして、最後に。「あなたが困った時は今度、私が助けます!」という一行があったということです。被災した3人の家族の幸せをずっと願い続けて生きようと老夫婦は思ったということです。
幸せのおすそわけ・・・・。老夫婦は人生で最高の幸せを被災者から貰った。
こんな幸せの形が、たぶんあちこちで生まれているんだなと思います。
人のために何かをする。人のために役立つ。それが、やがて自分にも幸せを運んで来てくれる・・・。
福島県の子供たちが、表に出て青空の空気を思いっきり吸い込んだ時。子供たちは幸せをかんじるでしょう。酷暑の日、プールで遊べた時、戻って来た幸せを頭から浴びるでしょう。そういう日が早くくることを祈るのみです。
マザーテレサの言葉にこういうのがあります。
「この世の最大の不幸は、貧しさでも病気でもありません。自分が誰からも必要とされないと感じる時です」。
最小不幸社会の実現というお題目を掲げた首相が、今は最大の不幸を味わっている。ま、感じてないとは思いますが・・・。
あほとアホとの思いやり。幸せの原点なんでしょうか。
2011年6月28日火曜日
かくも絶望的な乖離
言うまでもなく、菅をとりまく政治の有り様と被災者の気持ちのことである。絶望的な乖離。
昨夜、テレビで中継されていた菅の記者会見を見ていた。あるフリーランスの記者が菅の政治哲学を問うた。菅は一瞬たじろぎ、国民それぞれが・・と訳のわからないことを言い始め、テレビの中継は終わりになった。聞くことができなかった。きょうの新聞にもなんら書かれていない。
退陣の時期や人事のあり方を質問するが、菅ははぐらかして明言しない。一人一問と決められているのか、たたみこむ質問は無い。次に名指しされた人は別な事を質す。なんで同僚記者の質問に答えが食い足りないと思ったら他社でもそれについて二の矢、三の矢をはなとうとしないのか。官邸報道室が取り仕切る記者会見の限界か、記者の質か。
突っ込んだ論戦は記者会見では不可能なのか。ならば国会論戦しかない。その国会で果たして論戦が行われるのか。
迷走、混迷。もはや菅の政治手法を語る言葉さえ持ち合わせない。それでも政治に一縷の望みを託さなければならない被災地や原発難民や哀れ。
菅直人という男はまさに”我欲”の人間なんだと思う。自分さえよければいい。自分の都合の良い人にだけ擦り寄る。盟友であるべき民主党の執行部の意見など取り入れない。自分の辞任を迫る奴らは途端に敵に見える。
亀井の意向を良しとし、それに習う。あげく石井一もだとか。古い自民党政治を生き抜いてきた政局だけを生きがいにしているような奴らと手を組む。
権力の座を射止めそれを死守しようとすることに血道を上げる男。生き残りを画策する男。その頭の中には被災者の日常のことなど消し去られているのでは。
不信でもない。失望でもない。もはや絶望しか無い。政治にいくら絶望しても被災地の人間も、国民も、今日も、明日も、生きていかなければないらない。
最後まで防災無線のマイクを離さず「高台に避難してください」と訴え続け波に飲まれた南三陸の遠藤未來さん。彼女の声が多くの人の命を救った。
彼女の死を悼み世界中からも哀悼の手紙が寄せられているという。死を覚悟しながらも己の使命を全うした。そんな人のことを「利他の心」と呼ぶ。やはり身を捨てたというお釈迦様の教え。
第二の、第三の遠藤未來さんが被災地にはいた。
身を捨てて、己を殺して民を救おうとする政治家はありや。政治家の言葉に希望の光は見いだせるのか。ありえない。
民主党議員の覚醒を望む。何も内閣の一員だからとか、執行部だからとか「大人」の理屈を口実にして身をすくめているときではない。
きょうも・・・。東電の株主総会は荒れ、永田町では政争、政局というゲームが繰り広げられている。そう、単なるゲームが。
原発では暗中模索の作業が続けられ、被災者、避難民たちは明日の方向すら見つけられないでいる。
今、この時。福島県に居てよかったと思う。津波で家族を失ってしまった人たちを身近な知人として持ち、放射能の”恐怖”におののく人たちの中で暮らしていることを。被災者の近くにいるからこそボクにはいささか語る資格があると思う。
昨夜、テレビで中継されていた菅の記者会見を見ていた。あるフリーランスの記者が菅の政治哲学を問うた。菅は一瞬たじろぎ、国民それぞれが・・と訳のわからないことを言い始め、テレビの中継は終わりになった。聞くことができなかった。きょうの新聞にもなんら書かれていない。
退陣の時期や人事のあり方を質問するが、菅ははぐらかして明言しない。一人一問と決められているのか、たたみこむ質問は無い。次に名指しされた人は別な事を質す。なんで同僚記者の質問に答えが食い足りないと思ったら他社でもそれについて二の矢、三の矢をはなとうとしないのか。官邸報道室が取り仕切る記者会見の限界か、記者の質か。
突っ込んだ論戦は記者会見では不可能なのか。ならば国会論戦しかない。その国会で果たして論戦が行われるのか。
迷走、混迷。もはや菅の政治手法を語る言葉さえ持ち合わせない。それでも政治に一縷の望みを託さなければならない被災地や原発難民や哀れ。
菅直人という男はまさに”我欲”の人間なんだと思う。自分さえよければいい。自分の都合の良い人にだけ擦り寄る。盟友であるべき民主党の執行部の意見など取り入れない。自分の辞任を迫る奴らは途端に敵に見える。
亀井の意向を良しとし、それに習う。あげく石井一もだとか。古い自民党政治を生き抜いてきた政局だけを生きがいにしているような奴らと手を組む。
権力の座を射止めそれを死守しようとすることに血道を上げる男。生き残りを画策する男。その頭の中には被災者の日常のことなど消し去られているのでは。
不信でもない。失望でもない。もはや絶望しか無い。政治にいくら絶望しても被災地の人間も、国民も、今日も、明日も、生きていかなければないらない。
最後まで防災無線のマイクを離さず「高台に避難してください」と訴え続け波に飲まれた南三陸の遠藤未來さん。彼女の声が多くの人の命を救った。
彼女の死を悼み世界中からも哀悼の手紙が寄せられているという。死を覚悟しながらも己の使命を全うした。そんな人のことを「利他の心」と呼ぶ。やはり身を捨てたというお釈迦様の教え。
第二の、第三の遠藤未來さんが被災地にはいた。
身を捨てて、己を殺して民を救おうとする政治家はありや。政治家の言葉に希望の光は見いだせるのか。ありえない。
民主党議員の覚醒を望む。何も内閣の一員だからとか、執行部だからとか「大人」の理屈を口実にして身をすくめているときではない。
きょうも・・・。東電の株主総会は荒れ、永田町では政争、政局というゲームが繰り広げられている。そう、単なるゲームが。
原発では暗中模索の作業が続けられ、被災者、避難民たちは明日の方向すら見つけられないでいる。
今、この時。福島県に居てよかったと思う。津波で家族を失ってしまった人たちを身近な知人として持ち、放射能の”恐怖”におののく人たちの中で暮らしていることを。被災者の近くにいるからこそボクにはいささか語る資格があると思う。
2011年6月27日月曜日
「測定」した後は・・・・
放射能の恐怖から、不安から解放されない日々・・・。当初は福島県だけのことと思われていたのが関東地方にも、いやその他の地域にも及んでいることが判明するにつれて「測定」が日常の光景に。
なにやらメディアの関心も関東地方に。0.4マイクロシーベルトもあろうものなら「きゃ~~高い」と。こっちは毎日1.3から4.0の中で暮らしている。
週刊誌の見出しはまさに放射能汚染列島。この「ムード」よろしくないですよ。
「年間積算放射線量は20ミリシーベルト」。信用出来るかどうかはともかく国が決めた基準。今の数値では県内の一部を除いては超えることはまずない。
「数値に振り回されないで。日々の測定値に」。
福島県民は200万人余り。全員の健康調査を実施するとか。私事ではありますが、亭主はX線検査を去年は二回やっている。たしかCTもやった。16年前には放射線治療。かなりの被曝者かと。
ま、亭主の場合だととりあえず問診票というか行動調査票あたりが回って来て、もう100日以上も前の行動なんて記憶にないけど、あまり意味ない表とにらめっこして終わりかと。仮にホールボディーカウンターで内部被曝の線量検査したらどうなるんだろう。興味だけは無きにしもあらず。
きょう浪江町の住人が10人ほど専門機関の検査を受けに行きました。どういう結果が出るのか。受診者のひとりの方が言っていました。「はかってもらって安心したい」と。
そうなんです。測定とは安心の確保なんだと。
放射能の影響。癌が言われてきました。しかし、専門家と称する人たちによれば、もちろん全員ではありませんが。他の健康被害もありうるとか。しかし、いくらでどうなるかなんて医者だってわからない。
もし、仮に年間20ミリを超えるであろう、いや仮にすでに超えてしまった人がいたらどうするの。治療方法みたいなものはあるの。ヨウ素は安定ヨウ素剤なんて言われたけどセシュウムは?。
被爆量を軽減する医療ってあるの?この疑問、答えは聞いたことない。
広島、長崎の経験は今回は生かされないのか。
県民全員が20ミリシーベルト超えていないことを祈るのみ。
なにやらメディアの関心も関東地方に。0.4マイクロシーベルトもあろうものなら「きゃ~~高い」と。こっちは毎日1.3から4.0の中で暮らしている。
週刊誌の見出しはまさに放射能汚染列島。この「ムード」よろしくないですよ。
「年間積算放射線量は20ミリシーベルト」。信用出来るかどうかはともかく国が決めた基準。今の数値では県内の一部を除いては超えることはまずない。
「数値に振り回されないで。日々の測定値に」。
福島県民は200万人余り。全員の健康調査を実施するとか。私事ではありますが、亭主はX線検査を去年は二回やっている。たしかCTもやった。16年前には放射線治療。かなりの被曝者かと。
ま、亭主の場合だととりあえず問診票というか行動調査票あたりが回って来て、もう100日以上も前の行動なんて記憶にないけど、あまり意味ない表とにらめっこして終わりかと。仮にホールボディーカウンターで内部被曝の線量検査したらどうなるんだろう。興味だけは無きにしもあらず。
きょう浪江町の住人が10人ほど専門機関の検査を受けに行きました。どういう結果が出るのか。受診者のひとりの方が言っていました。「はかってもらって安心したい」と。
そうなんです。測定とは安心の確保なんだと。
放射能の影響。癌が言われてきました。しかし、専門家と称する人たちによれば、もちろん全員ではありませんが。他の健康被害もありうるとか。しかし、いくらでどうなるかなんて医者だってわからない。
もし、仮に年間20ミリを超えるであろう、いや仮にすでに超えてしまった人がいたらどうするの。治療方法みたいなものはあるの。ヨウ素は安定ヨウ素剤なんて言われたけどセシュウムは?。
被爆量を軽減する医療ってあるの?この疑問、答えは聞いたことない。
広島、長崎の経験は今回は生かされないのか。
県民全員が20ミリシーベルト超えていないことを祈るのみ。
2011年6月26日日曜日
「責任」という無意味な言葉
「責任を持って」「それが責任」からはじまって「責任を取れ」「責任はどうする」などなど、毎日、毎日「責任」という言葉が飛び交っている。
飛び交えば飛び交うほど「責任」という言葉の重さが薄れ、意味を持たなくなってくる。
「責任を取れ」と迫り「責任をとります」と答えればそれで終わり。その責任なるものの実態は何にも無い。
子供を守るのは親の責任だという。この子たちに万一の事があったら誰がどういう責任を責任をとるのですかと責める。
誰かに責任を押し付ければそれで満足する。納得する。こんな風潮がまかり通っていないだろうか。通っている。
意味の無い、実態を伴わない責任論が横行していることにいささかうんざりしてきた。
首相が辞めれば「政治責任をとった」ということになるのだろう。東電の社長が辞めれば責任をとっての引責辞任ということになるのだろう。居直って「今、しなければならないことをやるのが責任を全うする所存」というのもあるし。
不毛で不能な政治のもとで苦しみを与えられている人がいる中で政治責任をとった人はいない。
刑事責任を問われれば裁判で有罪となり獄につながれる。刑を受けることで責任を果たしたと言われる。多分、裁判所というか司法が追及し、法の名の下で問える責任はそこに犯罪と言う実証出来る事実があってのこと。
子供たちの健康が心配だから。保護者と弁護士が「学校疎開」の仮処分申請をした。市を相手取って。市長の責任を、学校の責任を問うということか。
多分、おそらく、司法は判断を下せない。せいぜい「行政の裁量の範囲のことだから司法にはなじまない」ってことになるのでは。
社会通念上「責任」という言葉に実態は無い。あるのは刑事責任や民事責任を問われて裁かれることだけ。
「お前じゃわからん。責任者を出せ」。クレームや不服がある人たちが企業や役所の窓口で使う常とう句。責任者って単なる上司でしょ。
責任という言葉には「当然負わなければならない任務と義務」という意味もある。与えられた仕事を全うし、人の役に立ち、人から必要とされる。これ、人としての責任。利他の心。
意味の無い責任と言う言葉が横溢し、その言葉が余りも軽くなってしまった今。あげく、被災にあったのは「自己責任」なんて言われだされるのではないのかと危惧の念を覚える始末。
ああ、またなんかぐだぐだ書いている。亭主の責任って何だろう。何をもって責任を果たしていると言えるのだろう。
本来は重い意味を持っているはずの言葉が、余りにも軽くなっている今。
飛び交えば飛び交うほど「責任」という言葉の重さが薄れ、意味を持たなくなってくる。
「責任を取れ」と迫り「責任をとります」と答えればそれで終わり。その責任なるものの実態は何にも無い。
子供を守るのは親の責任だという。この子たちに万一の事があったら誰がどういう責任を責任をとるのですかと責める。
誰かに責任を押し付ければそれで満足する。納得する。こんな風潮がまかり通っていないだろうか。通っている。
意味の無い、実態を伴わない責任論が横行していることにいささかうんざりしてきた。
首相が辞めれば「政治責任をとった」ということになるのだろう。東電の社長が辞めれば責任をとっての引責辞任ということになるのだろう。居直って「今、しなければならないことをやるのが責任を全うする所存」というのもあるし。
不毛で不能な政治のもとで苦しみを与えられている人がいる中で政治責任をとった人はいない。
刑事責任を問われれば裁判で有罪となり獄につながれる。刑を受けることで責任を果たしたと言われる。多分、裁判所というか司法が追及し、法の名の下で問える責任はそこに犯罪と言う実証出来る事実があってのこと。
子供たちの健康が心配だから。保護者と弁護士が「学校疎開」の仮処分申請をした。市を相手取って。市長の責任を、学校の責任を問うということか。
多分、おそらく、司法は判断を下せない。せいぜい「行政の裁量の範囲のことだから司法にはなじまない」ってことになるのでは。
社会通念上「責任」という言葉に実態は無い。あるのは刑事責任や民事責任を問われて裁かれることだけ。
「お前じゃわからん。責任者を出せ」。クレームや不服がある人たちが企業や役所の窓口で使う常とう句。責任者って単なる上司でしょ。
責任という言葉には「当然負わなければならない任務と義務」という意味もある。与えられた仕事を全うし、人の役に立ち、人から必要とされる。これ、人としての責任。利他の心。
意味の無い責任と言う言葉が横溢し、その言葉が余りも軽くなってしまった今。あげく、被災にあったのは「自己責任」なんて言われだされるのではないのかと危惧の念を覚える始末。
ああ、またなんかぐだぐだ書いている。亭主の責任って何だろう。何をもって責任を果たしていると言えるのだろう。
本来は重い意味を持っているはずの言葉が、余りにも軽くなっている今。
2011年6月25日土曜日
電力不足のこと
我慢して耐えましたが、昨日、一昨日の暑さは凄かった。
もはや国民の間に刷り込まれてしまった「節電」というコトバ。節電に越したことは無いのですが。
テレビの節電キャンペーン。ものすごいです。節電グッズ。節電対策。熱中症予防のあらゆる“方策”。
マスコミこぞってやれ「サマータイム」だの、休暇の取り方だの。
「電力需給量」。この数字って東電がだしてるものでしょ。何万キロワット、供給量の90%越えとか。この数字ってホントなのかって疑ってしまう。
散々騙しに騙してきた、隠しに隠して来た東電。まったく信用、信頼を失ってしまっている東電の数字に右往左往ってのがなんか納得いかない。
酷暑、電気が足りない、足りないってあれだけマスコミがやれば、危機感募るばかり。で、我慢にも限界が来ると、やはり原発がないと・・・って思わせるような話題ばかり。
意図はしてないものの「原発必要」ってことにマスコミが使われてしまっているような。
気象庁の予報も暑い夏。この酷暑にどれでけ人が耐えられるか。根をあげてしまうのでは。
省エネ、節電キャンペーンは新たなビジネスモデルも作り出している。なんでもかんでも省エネ商品。
なんか異様な光景にさえ思えてくるのですが。
自然エネルギー。太陽光パネル。電力量確保するために、またもや新たな「利権構造」が生まれないとも限らない。
とにかく電気が無いと生活できない。世の中動かない。もうそんな文明社会が確立されてしまっている。経済活動全般も含めて。
電気が足りない世界でどうやって生きていけるのか。この夏はどうにか我慢出来ても、この冬は。来年の夏は。冬は灯油が高騰するでしょう。
扇風機は売り切れ状態だとか。まさか扇風機の買占めってことは無いでしょうが。被災証明書がネットオークションで出品される時代・・・。
本当に電気は足りないのだろうか。凄い疑問なんですけど。あの数字の信憑性は。みんな発表数字を信じている。それに従って行動している、我慢している。電気を使えば“非国民”になる・・・・。
もはや国民の間に刷り込まれてしまった「節電」というコトバ。節電に越したことは無いのですが。
テレビの節電キャンペーン。ものすごいです。節電グッズ。節電対策。熱中症予防のあらゆる“方策”。
マスコミこぞってやれ「サマータイム」だの、休暇の取り方だの。
「電力需給量」。この数字って東電がだしてるものでしょ。何万キロワット、供給量の90%越えとか。この数字ってホントなのかって疑ってしまう。
散々騙しに騙してきた、隠しに隠して来た東電。まったく信用、信頼を失ってしまっている東電の数字に右往左往ってのがなんか納得いかない。
酷暑、電気が足りない、足りないってあれだけマスコミがやれば、危機感募るばかり。で、我慢にも限界が来ると、やはり原発がないと・・・って思わせるような話題ばかり。
意図はしてないものの「原発必要」ってことにマスコミが使われてしまっているような。
気象庁の予報も暑い夏。この酷暑にどれでけ人が耐えられるか。根をあげてしまうのでは。
省エネ、節電キャンペーンは新たなビジネスモデルも作り出している。なんでもかんでも省エネ商品。
なんか異様な光景にさえ思えてくるのですが。
自然エネルギー。太陽光パネル。電力量確保するために、またもや新たな「利権構造」が生まれないとも限らない。
とにかく電気が無いと生活できない。世の中動かない。もうそんな文明社会が確立されてしまっている。経済活動全般も含めて。
電気が足りない世界でどうやって生きていけるのか。この夏はどうにか我慢出来ても、この冬は。来年の夏は。冬は灯油が高騰するでしょう。
扇風機は売り切れ状態だとか。まさか扇風機の買占めってことは無いでしょうが。被災証明書がネットオークションで出品される時代・・・。
本当に電気は足りないのだろうか。凄い疑問なんですけど。あの数字の信憑性は。みんな発表数字を信じている。それに従って行動している、我慢している。電気を使えば“非国民”になる・・・・。
2011年6月24日金曜日
「命のつかいかた」
塾生が一冊の本を届けてくれた。「3・11 心に残る140字の物語」。
内藤みかさんという作家でエッセイストの女性が編者としてまとめた本。
震災後、茫然自失として書く事さえ辞めていた内藤さんが、ふと気づいてツイッターを開く。そこにはなんと多くの「物語」が展開されていた。140字という限られて字数の中で、いや限られているからこそ、余分なものはすべて削ぎとり、様々な思いを凝縮させた物語。内藤さんはそのなかから100篇を拾って本にまとめたという。
その中の一つの物語を引かせてもらう。
「命のつかいかた」
王は言った。
「一からこの国を再建する。しかし生贄が必要だ。誰かこの国の未来の為 に名乗り出てはもらえないか」
予定を上回る若者が集まった。誰の顔にも迷いはない。王は心から安堵し、自ら毒を飲み干した。
「生贄は余だ。お前たちはよく話し合い新たな王を選べ」
復興は早かった。
この本を菅直人が読むことはまず、絶対にないだろう。しかし、読んで貰えればと思う。
この本の帯封にはこう書かれています。
ほっとする。涙が落ちる。明日への勇気が湧いてくる。
一人ひとりの気持ちが集まって大きな募金になるように、小さな作品が集まって一冊の本になりました。この本ができるのは、誰かの心を温かくさせる「ココロの支援」。そっと開いてみてください。
集められた「物語」は被災地の人が書いたものもあれば、そうでない人たちのものもあります。
先週、書いた随想。そこに亭主は書きました。「表現が”生きる”ということに結びついてくる。絶望的な状況に置かれた時、こうした”表現”することを持っているかどうかが重要な意味になる、と。
この本に集められた物語の作者たちは、皆、強く生きようとしているのでしょう。
書かなくてもいい。しゃべるだけでもいい。怒りの感情でもいい。
何かをすることで何かが変わる。何かをすることで自分も変わる。
この本を何回か読み返すつもりです。自分の中の何かが変わるかもしれない。そっと開くつもりです。そして、多分、頁を繰る度に涙をながすことになるでしょう。
ひとつだけ挙げた物語。作者のツイッター名はもちろん書かれています。だけど、どこの誰だかは探さないことにします。
内藤みかさんという作家でエッセイストの女性が編者としてまとめた本。
震災後、茫然自失として書く事さえ辞めていた内藤さんが、ふと気づいてツイッターを開く。そこにはなんと多くの「物語」が展開されていた。140字という限られて字数の中で、いや限られているからこそ、余分なものはすべて削ぎとり、様々な思いを凝縮させた物語。内藤さんはそのなかから100篇を拾って本にまとめたという。
その中の一つの物語を引かせてもらう。
「命のつかいかた」
王は言った。
「一からこの国を再建する。しかし生贄が必要だ。誰かこの国の未来の為 に名乗り出てはもらえないか」
予定を上回る若者が集まった。誰の顔にも迷いはない。王は心から安堵し、自ら毒を飲み干した。
「生贄は余だ。お前たちはよく話し合い新たな王を選べ」
復興は早かった。
この本を菅直人が読むことはまず、絶対にないだろう。しかし、読んで貰えればと思う。
この本の帯封にはこう書かれています。
ほっとする。涙が落ちる。明日への勇気が湧いてくる。
一人ひとりの気持ちが集まって大きな募金になるように、小さな作品が集まって一冊の本になりました。この本ができるのは、誰かの心を温かくさせる「ココロの支援」。そっと開いてみてください。
集められた「物語」は被災地の人が書いたものもあれば、そうでない人たちのものもあります。
先週、書いた随想。そこに亭主は書きました。「表現が”生きる”ということに結びついてくる。絶望的な状況に置かれた時、こうした”表現”することを持っているかどうかが重要な意味になる、と。
この本に集められた物語の作者たちは、皆、強く生きようとしているのでしょう。
書かなくてもいい。しゃべるだけでもいい。怒りの感情でもいい。
何かをすることで何かが変わる。何かをすることで自分も変わる。
この本を何回か読み返すつもりです。自分の中の何かが変わるかもしれない。そっと開くつもりです。そして、多分、頁を繰る度に涙をながすことになるでしょう。
ひとつだけ挙げた物語。作者のツイッター名はもちろん書かれています。だけど、どこの誰だかは探さないことにします。
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“チェルノブイリ”異聞
ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...
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ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...
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新しい年となった。雪の中だ。 良寛の詩作を引く。「草庵雪夜作」の題名。 回首七十有餘年 首 ( こうべ ) を回(めぐ)らせば七十有餘年 人間是非飽看破 人間の是非看破(かんぱ)に飽きたり 往来跡幽深夜雪 ...
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そう、あれは6月の初めだったか。 急に視力が悪く、パソコンの画面が見え難くなった。 脳梗塞で入院した時、最初に診察してくれた当直の麻酔科の医師が「白内障が出てます。手術した方がいいですよ」と教えてくれていた。 その後転倒して、それも二回。 CT 検...