「責任を持って」「それが責任」からはじまって「責任を取れ」「責任はどうする」などなど、毎日、毎日「責任」という言葉が飛び交っている。
飛び交えば飛び交うほど「責任」という言葉の重さが薄れ、意味を持たなくなってくる。
「責任を取れ」と迫り「責任をとります」と答えればそれで終わり。その責任なるものの実態は何にも無い。
子供を守るのは親の責任だという。この子たちに万一の事があったら誰がどういう責任を責任をとるのですかと責める。
誰かに責任を押し付ければそれで満足する。納得する。こんな風潮がまかり通っていないだろうか。通っている。
意味の無い、実態を伴わない責任論が横行していることにいささかうんざりしてきた。
首相が辞めれば「政治責任をとった」ということになるのだろう。東電の社長が辞めれば責任をとっての引責辞任ということになるのだろう。居直って「今、しなければならないことをやるのが責任を全うする所存」というのもあるし。
不毛で不能な政治のもとで苦しみを与えられている人がいる中で政治責任をとった人はいない。
刑事責任を問われれば裁判で有罪となり獄につながれる。刑を受けることで責任を果たしたと言われる。多分、裁判所というか司法が追及し、法の名の下で問える責任はそこに犯罪と言う実証出来る事実があってのこと。
子供たちの健康が心配だから。保護者と弁護士が「学校疎開」の仮処分申請をした。市を相手取って。市長の責任を、学校の責任を問うということか。
多分、おそらく、司法は判断を下せない。せいぜい「行政の裁量の範囲のことだから司法にはなじまない」ってことになるのでは。
社会通念上「責任」という言葉に実態は無い。あるのは刑事責任や民事責任を問われて裁かれることだけ。
「お前じゃわからん。責任者を出せ」。クレームや不服がある人たちが企業や役所の窓口で使う常とう句。責任者って単なる上司でしょ。
責任という言葉には「当然負わなければならない任務と義務」という意味もある。与えられた仕事を全うし、人の役に立ち、人から必要とされる。これ、人としての責任。利他の心。
意味の無い責任と言う言葉が横溢し、その言葉が余りも軽くなってしまった今。あげく、被災にあったのは「自己責任」なんて言われだされるのではないのかと危惧の念を覚える始末。
ああ、またなんかぐだぐだ書いている。亭主の責任って何だろう。何をもって責任を果たしていると言えるのだろう。
本来は重い意味を持っているはずの言葉が、余りにも軽くなっている今。
2011年6月26日日曜日
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