2011年6月19日日曜日

普通に戻ったテレビ

あれから100日が過ぎ、なによりも”普通”さを取り戻したのがテレビではないかと。

震災後最長72時間のノーCM放送をやっていた民放。やがてACだらけになっていた民放。ACも例の「ポポポ~ン」は無くなったけどたまに空き枠埋めるために登場するくらい。

CMの内容はかなり震災の被災者に気をつかっている様子。下手なCM流せば企業イメージが損なわれるということだろうか。中には被災地へのメッセージになるような工夫されて上手いものも。

どうもいただけないのが番組。惨禍を忘れたような、今も進行中の放射能のことなど忘れたような100日前と変わらぬくだらないオバカなバラエティー番組。
どうでもいいような御笑い番組。

どっかの局のプロデューサーがツイッターでつぶやいて反響を呼んでるとか。「民放の夜7時台。ゴールデンタイムの視聴率が軒並み一ケタになってしまった」。一ケタとは10%以下。内閣支持率の”危険水域”ではないけれど、番組打ち切りの危険水域。

東日本だけじゃない。全国やはり震災の大いなる影響を受けている。気持ちだって晴れない。それこそ「閉塞感」。そんな中でテレビだけは、ま、かくもノー天気でいられるのかってくらいのつまらない、くだらない番組だらけ。どこの局を見ても同じような。

そしてドラマ。もちろんほとんど見ませんが、番宣見てるだけでギョっとする。なんだってこうも殺人物、殺人事件ものが多いのか。人が殺されないと刑事物のドラマは成り立たないのか。

地震、津波によって奪われた人命は1万5千人以上。人が死ぬということにどれだけの人に嘆き悲しみ苦しみを与え、それを背負って生きて行くのか。人が死ぬということはもう嫌なんです。

テレビは毎日のように人を”殺して”いる。視聴者の気持ちをよそに勝手に普通に戻ってしまったテレビ。映像は時にはよりリアル化され。

空に届くような巨大なテレビ塔が喧伝され、さまざまな機能を持った新型テレビが登場し。

「正直、見たい番組がない。もうテレビはいらないかも・・・」。そんなリツイートが多数寄せられたとか。

普通に戻るってことがいいのかどうか。少なくともテレビに関しては。

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