今日が大震災からの三カ月目。一つの、カレンダーとしての節目。メディアはそれぞれが特集を組んでいる。合点が行くものも行かないものも。
少なくとも、被災者に対してどういう目線で接しているか、アプローチしているか。
遠いところから、意識の距離感がある中で発せられる「非現実的な空想」。原発にたいしての。それが被災者に何ほどの励ましと力となるのか。話としては納得できるのだが。
菅が首相に就任したあとの沖縄米軍基地問題で、国会で行なった答弁の中に「今、琉球処分という本を読んでおりまして、いろいろ勉強させてもらっています」というようなくだりがあった。以降、その読後観を質問した議員はいない。本当に読破したのかどうかわからない。
明治政府による琉球王朝の廃止、廃藩置県策による沖縄県の設定。そして第二次世界大戦の本土防衛の最後の砦となり、多くの「県民」に犠牲を強いた”琉球処分”。
明治維新。官軍は会津藩を斗南藩に移封した。見知らぬ荒野。会津藩の人たちはまさに辛酸を舐めた。罪、咎を問うた中央政府の処置であった。処分であった。
それから100年あまり。東北地方を襲った大災害。一つ一つの事例を挙げるまでもない。家を無くし、家族を無くし、生業を無くし、生きる希望さえ失いかけている「生き残った」人たちへ、この国は何ほどのことを為しているのか。
悲痛な叫び声は、彼ら政治家が好きな言葉、「民意」としては中央政府に届いていない。届いていても無視しているとしか見えない。政治家も官僚も然り。既存の法律を盾に取り、規制だらけの法律を是として、それらは平時に作られたものであるにも関わらず、それを適用しようとする。問題の解決にならない。なぜなら今は戦時であり、非常時なのだから。
菅はきょうは被災地にいるという。それに何の意味があるのか。
すでにして、支援物資中止という報もある。避難所に暮らし、被災地に佇む人たちに自立を促す。これを是とすべきか。
震災をダシにして政争に明け暮れる人々の群れ。言葉として被災者に目がむいているようなことを言うが、心はむいていない。ダシなのである。
とにかく仮設、仮設、仮設住宅。菅はそれの”完成”を責任を果たすことだという。
昨日、郡山の仮設に行ってきました。雨露しのげ、風呂はあり、ライフラインは整っている。「狭いながらも楽しい我が家」の”形”だけはある。
原発避難民。仮設村でどういうコミュニティーが築かれるのか。隣に入居するひとは知らないという。三陸地方では仮設への入居を躊躇する人が多いともいう。
これらをあわせて、あえて言わせてもらう。中央政府のやっていること、不作為も含めて、この国の中で、同じ権利を持つ国民であるはずなのに、「東北処分」が行われていると。
もし、この大震災が東京や大阪で起きたことなら、対応は違っていただろう。
地理的な距離感だけではない。意識の、目線の、こころの距離のなんと大きいことか。
今日の日を一つのメモリアルデーとでもしているのか。「平和な町」では原発反対のデミもが行われていると聞く。原発反対。結構。良し。
水も無く、電気も無い日々を送りながらあすの国の形を考えることも出来ない環境にある人たちは群れて声を上げることも出来ない。
なぜかこの日を「東北処分の日」と呼びたくなった。
2011年6月11日土曜日
“チェルノブイリ”異聞
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