一揆。百姓一揆と言われたように、それは、支配者への抗議、闘争などを目的とした農民の武装蜂起と辞書にはある。
被災地にはもちろん自衛隊や警察、さらにまだ、数は少なくなったとはいえ、ボランティアの人たちが活動を続けてくれている。全国から有形無形の援助が差し伸べられている。避難して行った人たちを暖かく迎え入れていてくれるところも人たちもいる。
しかしー。被災地とそうでないところでは「隔たり」が増幅されているような。
過日、「東北処分」という言葉を使ったが、東北処分は確実に進行していると思われる。
政治という世界ではそれが顕著である。被災地のためにと誰もが口を揃えていう。しかし、マスコミの伝え方にもよるだろうが、延命だとか居座りだとか、辞めろ辞めないから始まって、誠に箸にも棒にもかからないような「政局劇」、権力闘争。
被災地ではその帰趨や動向に意を用いている人はいない。どうでもいことなのだ。しかし、永田町の人たちは口を揃えていう。「あなた達被災者のために」と。この意識の感覚の隔たりをなんと見るか。
昨夜、農場を経営する青年や放射線量の高い地域に暮らしている青年など数人と会合。農場経営者は真剣に熱く語っていた。放射能の中でどうやって生きていくかを。
彼らは寝ずに勉強している。どうあるべきか、どうすべきかを。もちろんひまわり栽培はやっている。大麻草(違法の麻薬ではありません)のよる除染もありだとか。
土に携わっているものだからこそ生まれる発想と反省。「我々はいかに自然を軽率に扱ってきたか。神聖な山をどれだけないがしろにしてきたか」。自然には自然の摂理がある。農事歴をもとに、月の満ち欠けをもとに向き合ってきたならば、自然災害はもっと防げたはずなのに」。
そしてかれは一つの理想を語り始めた。「山に住もう。山に10家族位のコミュニティーを作り、木を植え、畑を耕し、山の手入れを怠らず、山の恵みを感じて暮らしてみよう。人が山を愛せば、山はそれに答えて恵みをもたらしてくれる。山の恵みは海にも及ぶはず」と。
「山を削ってニュータウンを作り何千人もの人が移り住む。そんなことをしたら、また山の怒りに触れる。山はそのままにして、その中で住まわせてもらう。そんな発想をしないとだめだ」とも。
たしかに。国土の大半が山であるにもかかわらず、山を人間は”征伐”してきた。間伐さえも怠り。開発、開発を。洪水は起こる。熊や猪は人里に来る。自然の摂理に背いたからだ。
酔う程に現実論も飛び出す。仲間うちでは真剣に語られて議論だという。汚染された土を、例えば校庭の表土でも、それらの土をダンプカーに満載して官邸や議事堂に持って行こう。おろしてこようと。
余りにも文明、文明に、その病に犯された平成という時代。文明を求めすぎた結果の惨禍、原発事故。
平成の農民一揆。「やろう!!」とけしかける亭主。そして名付けた「木こりプロジェクト」を実現させようと。
東北の怒りは、「隔たり」が故に永田町や霞が関には届かない。おざなりの視察では本質は見抜けない。見抜けないどころか「放射能のゴミは福島県に埋めろ」と視察に来たなんとかという政務官とかが言ったという。
一揆しかないのかもしれない。行動だけでなく意識も。
一揆という言葉にはもう一つの意味がある。心を同じくしてまとまることと辞書にはある。
どっちにしても一揆なのだ。求められているのは。
2011年6月22日水曜日
“チェルノブイリ”異聞
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