2011年6月12日日曜日

自分の言葉を持たない政治家

菅直人がきのう被災地岩手県で乞われて寄せ書きをした。そこに書かれた言葉は「決然と生きる 菅直人」。唖然としましたね。きのうかおととい書いたけど、これって福島県三春の住職であり、芥川賞受賞作家、玄脩宗久さんの言葉。「なりゆきを決然として生きる」。被災後の心境を、たしか、吉岡忍との対談で言って言葉。相当お気に召したらしい。で、玄脩さんは復興構想会議のメンバーへ。菅は座右の銘にしたとか。

人の言葉に感銘を受け、座右の銘にするのはいいことですよ。しかし、寄せ書き見るとまるで自分の言葉扱い。署名入り。そして、主語が無い。自分の心境なのか、被災地へのメッセージなのか。決然として生きていないのはアナタだ。

確かに菅は「辞任」という言葉を口にしていない。代議士会での発言。「一定のメドがついた段階で、私がやるべき一定の役割が果たせた段階で、若い世代の皆さんにいろいろな責務を引き継いでもらいたい」。この発言、塩野七生さんが書いた「日本人へ、リーダー篇」に書かれた、拝啓 小泉純一郎さまに出てくる表現と同じ。「刀折れ、矢尽きて、満身創痍になるまで責務を果たし続け、そのあとで今はまだ若造でしかない次の世代にバトンタッチして政治家としての命を終えてください」ってくだりと酷似していませんか。

自分の言葉は持たない。思いつきで手にいれた他人の言葉をパクッって恥じない人。

いまさら言っても仕方ないことなんですが「自分の言葉を持たない政治家」はすでにしてその器に非ずなんです。何を言っても馬の耳に念仏なんでしょうが。

馬でもいいや。馬なら同じ動物の悲鳴は聞こえるはず。殺処分に回された飯舘村のあの牛の鳴き声を聞け!
「元気で行ってこいや、ごめんね」。泣いて見送るばあちゃんの声は耳に入らないだろうけど。

元市民運動家。とばっちりのようだけど仙谷は元全共闘の闘士。極左が極右に“転向”したように、反権力を標榜してきた人に限って、実は、凄い権力欲にもえている。市民をダシにして権力の頂点を極め、市民は目線の外。

市川房江の門下生だった時代の盟友、田上等がホームレスになったことも、させたことももはや存念の外に置ける人。一人の友人を救えないで多くの国民を救えるわけが無い。

厚生大臣の時にある講演会で出会ったことがあります。当時は時代の”寵児”だった菅直人。印象。傲慢な奴。市民運動家と称する奴らは、常に、二面性を持っているんだ。そんなことを感じた昔。

四国での御遍路。マスコミはもてはやした。免罪符を与えた。「マスコミがいないところでは車に乗っていたよ」。当時たまたま御遍路をしていた亭主の知り合いだった男の”証言”。

ばかげた政局報道を見てほくそ笑んでることでしょう。その言葉の持つ意味を理解しないまま「決然」「決然」とお題目のように唱えながら。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...