2011年6月10日金曜日

やはり時は止まったままだ

明日で震災から3カ月。原発は依然「進行中」。季節はすっかり変わり、あの日の寒さ、雪模様は嘘のよう。

被災地では、復旧の動きがと伝えられるものの。たとえば南三陸。未だ水道が復旧していない。川で洗濯する住民の姿に、時代が100年逆行したような“幻覚”すら覚える。

津波で流された家の時計がその時間で止まっているように、感覚としても時は止まったままなのだと。

時が止まったままというのは、結局何も変わっていないということ。周りの光景が少しは変わったとしても心の時計は止まったままの人のなんと多いことか。

全国紙の県版のコラムにあった多分若手であろう記者の一文。
「限りある紙面に被災者そっちのけの政治劇を扱わなければならないことを、やけに悲しく思う」と。

たしかに「辞める」と言ったはずなのに”続投”に意欲を見せる菅直人という人。案の定、不信任案否決は信任されたことだと開き直り。

政治の世界では時が止まっている。

テレビではAKB48の人気投票がすべての話題のように取り上げられ。「平和すぎる・・・」そうごちたコメンテーターもいたけれど。

メディアの世界では、この3カ月は無かったことのような。

現場で取材にあたる前線の記者は書きたい、伝えたいと思うことが山ほどあるはず。それが紙面や画面には反映されない。

「限りある紙面」という”言いわけ”では片付けられないような。

やけに悲しい。そうつぶやいたこの記者にエールを送る。その悲しさがわかる。

止まった時の中で、全く無意味な政変劇や政治家の、もちろん与野党問わずですが、政局に浮き身をやつす奴らのケツを追い、無意味な見通しを語ることに何の意味があるのか。

時が止まったまま、前へ進まない、進められないなら、いっそ時を逆戻りさせてみたはどうだろうか。御天道さまの恵みに感謝して、うちわや打ち水で涼をとっていた時代に。
少なくとも今よりは少しマシな、国を思う政治家がいた時代に。

一部の報道によれば、菅の伸子夫人は、公邸でビールとワインをあおり、「菅さんはそう簡単にはやめないわよ。決然として今を生きるというと書かれた福島県の僧侶であり作家である人の本を座右の銘としている」と言っているとか。

止まった時は人間を思考停止にもしてしまっているのかも。

“チェルノブイリ”異聞

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