2011年6月6日月曜日

「村社会」

村。商工業者を主とする「町」、都市に対して、第一次産業である農林水産業を主たる生業とする人々の集落を「村」という。農村、山村、漁村。
小学校の社会で習った定義。

市町村合併によって多くの村が消えていった。合併を”拒否”して存続している、しかも立派に存続している村もある。そこの根付いているのは相互扶助や連帯意識。ふるさととしての心の拠り所。

からから亭、毎度ご登場いただく飯舘村。村の一つのモデルケースかも。村長(むらおさ)のもとに作られた、良い意味での父系社会。

大震災。破壊された村の数々。行政区画としての名は残すだろうが事実上消えてしまう村もあるという。もはや人が住めないということで。

この国の原点は「村」にあるように思えてならない。

「こんな素晴らしい村をなくしてはならない」。飯舘村に寄せられたメッセージ。

物理的な苦難を乗り越えて、飯舘村は消えない。蘇ると思う。


村ーー。日本人はこの言葉にいろんな意味を込めてこだわる。
度し難い村。それは原子力村。いわば東電の中の派閥。武藤という副社長を村長にして、独自の風土を作り、その村の信条は「排他」。他所者の介入を許さない。身勝手な論理を構築し、勢力の誇示を図る。上下の、ボスと子分との秩序を最高のものとする。

この国の超一流企業の中にあったムラ社会。原子力や電気という文明を扱う企業の中に、第一次産業をなりわいとする村の感覚が持ち込まれている。本来の「村」とは全く違うカテゴリーで。この東電の中にあった原子力村が今日の悲劇を招いた。抹殺すべき村。

永田町という都会のど真ん中にある町に「村」が存在する。自民党の長期政権時代。政党を構成し支えていたのは派閥である。その派閥を、彼ら政治家は「ムラ」と呼んだ。なんら恥じることもなく。「村にもどって決めてきます」。相言葉だった。

たしかに派閥という言葉はあまり使われなくなった。呼び名を変えただけ。今は、気取って「グループ」。民主党も然り。なんとかグループの集合体。グループとはつまり派閥。はっきり言えばいいのにメディアもグループなんて呼び名を倣い、派閥の弊害なるものを隠そうとする。大の大人がグループになって時局に対処する。そのグループでの意思決定に従う。なんら派閥と変わらない。原子力村と同じような。

原子力村は東電の中だけではない。学者の中にも存在していた。多分、その「ムラオサ」は斑目という名前だったのだろう。この村も”悲劇”の主犯。

テレビでご託を並べていた斑目。「3.11以降のことは全て消したい」。意味不明。今からでは遅いが「あんたが消えろ」。

寄らば大樹のかげ。ムラ社会を象徴した言葉の使用法。

派閥とはその領袖を宰相にすることによって恩恵を得ようとする”我欲”の集団。さらに、例えば落選した時には面倒を見てもらえる相互扶助体制もできあがっていた。

その永田町ムラがまたぞろ動き始めた。この村にはろくな生物は生息していない。

原子力村が飯舘村を苦しめ、壊した。永田町村は三陸の村を救えない。
村と村は常に諍い事を起こしている。

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