2011年6月1日水曜日

「義捐金」のこと

「おいしいコーヒーは心が和みます。その一杯分を被災地に!」「おいしいケーキを食べるとシアワセ~になります。その一個分を被災地に!」「食後の一服はまさにこの世の天国です。その一箱分を被災地に!」

過日新聞の投稿欄にあった一文。等身大の援助を長く続けて行きたいという呼び掛け。そうなんです。一過性では無く、息の長い援助が必要なんです。

支え合おう、つながろう、「足長おじさん」が必要だし、日本人は皆その思いを持っているものと。

震災直後から多くの義捐金が寄せられました。日赤や共同募金会、各マスコミになど。個人で億の単位の人もいた。

全額はわかりませんが数千億円は間違いなし。例えば日赤。きのう現在で2389億円。しかし、そのうち被災者に渡ったのは287億円。多くの義捐金が日赤の金庫の中に眠っているってことになります。

なぜか。国が出てきて「配分委員会」なるものを作り、基準を決めて自治体が配布という方法。配布する自治体は職員もいない、足りない、住民の動向が「捕捉」出来ない。配れない。

ここに日本人が大好きな「公平・公正」の原理原則が登場してきます。もちろんそうあるべきなんですが。

避難所とってみても義援金や見舞金が配布されたところもある。全くないところもある。公平じゃない。

津波の被災地。避難所で100人位の人が暮らしている。最近、その近くにスーパーが復旧した。そこそこの品揃え。だけど避難所の人は買い物に行かない。いや、行けないのです。お金が無いから。

「適当とはいわないけれど、おおまかの実態でいい。とにかく大雑把でいいから現金を配ってあげたら」。無一文ってのは辛すぎますよ。それが亭主の考え。あとで公平だったかどうか、誰かが非難するかもしれない。しかし、それを覚悟でやるってことが、人の命を救うこと。誰かのお役に立てたということで募金した人は納得できるはず。眠っていることには納得出来ない。善意が届いたとは言えない・・・。

原発避難民のいる郡山。東電や県から見舞金が支給されました。そのお金を持って街に飲みに出る人も。街で飲んで歌ってまたダンボールハウスに帰る。

中にはいます。「避難してきてお金貰ったからと言って飲んでるのはおかしい」と。いいじゃないですか、というより当然じゃないですか。あのダンボールハウスでもう三ヶ月近く。飲める人は酒でも飲んでないとやってられない。
むしろ「避難者割引」ってのがあってもいいくらいかと。たまに無理無態を言う人がいたとしても。

多くの支援物資が被災地に届けられています。衣類からはじまって日常の生活用品まで。その物資が入ったダンボールは倉庫に山積みされたまま。ダンボールには励ましや慰めのメッセージが手書きで書かれている。倉庫の中の物資。衣類はほとんどが冬物。だってあの時はまだ寒かった。毛布が必需品だった。
その支援物資が被災者の手にわたらない。なぜか。配る人がいないから。相当な労力を必要とするでしょう。仕分けや配布には。リサイクルショップのボランティアに頼んでいるという話もありますが。無料の青空市が開催されているという話もありますが。

もう季節は夏になります。夏物の衣料だって必要。

義援金は各県や市町村に送られているものもあります。義捐金以外に「支援金」というのもあります。支援金はある程度自治体の裁量で使われるもの。

例えばその支援金使って、避難所にいる人に、若い元気な人に「日当」払って物資の配布をやってもらったら。役場は手がまわらないことはわかっているのだから。民の力を活用しようと思えば、いろんな知恵も出てくるだろうし、多くの善意に報いる手段もあるはず。

コーヒー一杯、ケーキ一個の善意も億の善意も。善意にかわりなし。善意は被災者の手元に渡ってこそ生きた物になる。

援助を末永くつづけるために。知恵を出せ、原理原則、役所感覚をなくせ。滞貨一掃。それが次の善意を生むと。

政局で生き生きとしている永田町の金持様よ。全員で仕分け配布ボランティアへどうぞ。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...