以前にも書いたかもしれませんが。あらためて想起される言葉。
旧約聖書、伝道の書。第三章。略記します。
天の下のすべての事には季節があり、すべての業には時がある。
生まるるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、
植えたものを抜くに時があり・・・・・。殺すに、いやすに、壊すに、
建てるに、泣くに、笑うに、悲しむに、捜すに、失うに、保つに、
捨てるに、黙るに、語るに・・・。時があると。
別に聖書の読み解きをするのではなく、人間、引き際も「時」だと思うから。
「武士(もののふ)の進退は、ある日ある時、瞬時にして決すべし」。宰相としての評価はともかく、竹下 登はよくこの言葉を口にしていた。彼が佐藤栄作や田中角栄の引き際を見てきていただろうからか。もちろんこの言葉も誰かの受け売りだろ思うけれども。
宰相学の一つである。誰かも言っていた。過去の首相。「総理になったとたん考えることは、いつ、どのように辞めるかということだ」と。
辞任、辞職が取りざたされたら、もうその政権はおしまい。死に体と言われている。誰もついていかない。これを成し遂げてからという思いはあってもそれを達成することは不可能。
真逆の発想を持って、それが菅の政治家としての使命感であると理解しても。責任感だとしてもだ。
メディアはすでにして「後継」が話題に。
被災地の惨状改善の兆しなし。原発ますます泥沼の感。
救国内閣以外に方途は無しと。菅、小沢、鳩山。すべて引きなさい。谷垣も引きなさい。民主・自民が新しい盟主を立てて事に当たらねば、この国は終わりにひとしくなる。未だ政治に一縷の望みを託するとしたらこれ以外には方途は無いものと。
一期一会という茶の精神を説いた言葉がある。「その時にその人が為すべきことはただ一つである」と解釈します。
延命寺からお遍路を再開するのでなく、仁為寺(そういう寺があるかどうか知りませんが)からのお遍路を。そして世捨て人になられんことを。身を殺して仁を為す。その機会を得られたことだけでの菅は幸せ者だったと。
鳥のまさに死なんとするやその鳴くや哀し。人のまさに死なんとするや、その言や善し。論語を引き合いに出すまでもないでしょう。いかなる死に際を選ぶか。それによってのみ「事定まる」のではと。
この政権と出会ったことも「すべての事には時がある」という聖書の一節の中の言葉で、納得しなければならないのか・・・。
2011年6月5日日曜日
“チェルノブイリ”異聞
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