人間というのは不思議なもので、突然思考回路が飛ぶことがあります。亭主だけかもしれませんが。
数日前に書いたものに匿名さんからコメントが寄せられました。もちろん匿名さんなのでどこのどなたかはわかりませんし、どうもたまたま立ち寄られたみたいなんですが。
「幸せ」ということについての問題提起が書かれていました。とりあえず数行、返事はさしあげたのですが。幸せってことについてあれこれ考えを巡らせていたら、突然、さんまが歌っていたキッコーマン醤油のCM、「幸せってなんだっけ」って歌が浮かんできてしまって・・・。
もちろん大震災以前に、ずいぶん前から流れていたCM。様々な社会問題を抱えながらも、人それぞれが幸せな生活を望み、それを手にしていた時代。
あのCMは一つの問いかけをしていたような気がします。
日常生活の中に、醤油があるという平凡で、ささやかな幸せ。こんがりと焼かれた秋刀魚に大根おろしと醤油をかけて食べたあの味がある幸せ。秋刀魚とは戦後の食卓の象徴でした。
そのCMの最後の一節にこんなくだりがあります。
♪しあわせってなんだっけ なんだっけ 空に浮かんだ白い雲
しあわせってなんだっけ なんだっけ 抜いた指輪をまた戻す
しあわせってなんだっけ なんだっけ あほとアホとの思いやり♪
3・11以降、被災者たちは、生き残った人たちは悲惨な環境に身を置きながらも無意識に幸せを探していました。求めていました。
届けられたおにぎりひとつに幸せを感じた。一週間ぶりに入った風呂に幸せを感じた。避難所では人の優しさに幸せを感じた。与えられた幸せにありがとうと答えた。
家族を津波で亡くしながらも、生きていることへの複雑な思いを抱えながらも、どっかで何かを幸せと感じている。
栃木県の老夫婦がテレビか新聞で伝えられた被災者の声を知りました。18才の若いお母さんが、母乳がでなくなった。赤ん坊のミルクが無い、おむつが無いと訴えていました。
老夫婦はそれらを手配して避難所に送りました。数日後、お礼の電話がかかってきて、幸せだったと言われました。それ以来、老夫婦のこころの中に、その母子の幸せを願う部屋ができたということです。仮設に入れたかな、パパの仕事はどうなったかな、毎日毎日思うだけでした。
ある日、郵便受けに見覚えの無い筆跡の封書が入っていました。その若いお母さんからの手紙。可愛い模様の便箋に、娘が寝返りをうつようになった、やっとアパートに引っ越せたなどと近況が記されていました。そして、最後に。「あなたが困った時は今度、私が助けます!」という一行があったということです。被災した3人の家族の幸せをずっと願い続けて生きようと老夫婦は思ったということです。
幸せのおすそわけ・・・・。老夫婦は人生で最高の幸せを被災者から貰った。
こんな幸せの形が、たぶんあちこちで生まれているんだなと思います。
人のために何かをする。人のために役立つ。それが、やがて自分にも幸せを運んで来てくれる・・・。
福島県の子供たちが、表に出て青空の空気を思いっきり吸い込んだ時。子供たちは幸せをかんじるでしょう。酷暑の日、プールで遊べた時、戻って来た幸せを頭から浴びるでしょう。そういう日が早くくることを祈るのみです。
マザーテレサの言葉にこういうのがあります。
「この世の最大の不幸は、貧しさでも病気でもありません。自分が誰からも必要とされないと感じる時です」。
最小不幸社会の実現というお題目を掲げた首相が、今は最大の不幸を味わっている。ま、感じてないとは思いますが・・・。
あほとアホとの思いやり。幸せの原点なんでしょうか。
2011年6月29日水曜日
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