2015年2月28日土曜日

「ザル」ということ、思うこと。

「ざる」。♪誰か故郷を思わざる♪って歌にもあったような、“否定形”としての「ざる」ではない。

「笊」のことだ。どこの家庭にもある必需品は笊。竹のものもあれば、金属で作ったものもある。あの水だけが落ちていく“すぐれもの”。
家庭にあっては、農家にあってはザルはすぐれものだ。ザルが無いとどうにもならないくらい不便だ。

郡山に「うすい」というデパートがある。今は三越系の全くの都市型、高級デパートだ。
20数年前まで、今のような近代的ビルになる前、そこはいわばデパートとはいえ、大型スーパーのようなところだった。

そこの食品売り場、魚や野菜。そこにあったのは「ザルスター」と呼ばれる“名品”だった。天井から吊り下げたザルがレジだった。売り上げはそこに入れる、つり銭もそこから出す。

レジスターが行きわたっていたころのザルスター。味があったような。

政治資金規正法は「ザル法」と呼ばれてきた。抜け穴だらけという意味に使われていた。

同じ「ザル」という言葉にもいい意味と悪い意味があるということ。

ザル法は何度も改正され、政党助成金なるものまでが導入されるようになって、献金、カネにまつわる“抜け穴”は無いようにとされてきた。企業献金の禁止や個人献金への制限などなど。

しかし、やはり「ザル」は「ザル」だったのだなという実感。

そう、今言われている、問題になっている“疑惑”の数々。
国の補助金を受けた団体や企業は1年間献金出来ないとされているが、これとて「ザル」の延長にあるもの。

政治にかかわる人、政治家や秘書、後援会。なんとかして抜け穴を見つけて「献金」に励む。なぜ献金があるのか。見返りがあるからという以外にない。

違法献金がバレると「知らなかった」が連発される。あげく、“補助金から1年間”の条項さえ知らないかったという政治家。

「知らなければ合法」。そんな屁理屈通用しないはず。

そういう奴を「ザル頭」と言う。ザルどころか中身まで抜け落ちている。
「知らなかったと言っているのだから違法ではない」。なんと総理大臣さまが大音声でのたまわったお言葉だ。

こんな川柳もどきの句があった。
「世の中は住むと濁ると大違い。ハケ(刷毛)の毛があり、ハゲ(禿げ)に毛は無し」。

濁点があるかないかでの日本語の洒落。

ならば、ザルの濁点を取ってサルにしたらどう見えるかだ。

サル知恵なんて言って、お猿さんを馬鹿にしたようにいう人間。猿の世界でも通用しないようなザルを見つけるのに営々と励む政治家たち。

サル知恵をかばうボス猿。

原発事故現場からは、そう、まるでザルのように汚染水が漏れている。“猿知恵”を働かせて、それを隠す。それがバレるとまた猿知恵を働かせてなんとかごまかそうと言い繕う。

あらゆるインテリジェンス(情報)は、まるで「ザル」の中にあるように漏れ出ている。

「ザル法」から浮かんだサルのこと。猿山はボスが支配している。でも、そのボスは子分を守る。子分とはその山(国)のあまねく国民だ。

だけど・・・取り巻きだけは庇うが、その他には冷遇をもってあたるし、攻撃の対象にする。

今やるべきこと。このザル法を徹底的にあらためることだ。助成金があるのだから、なんであっても献金は止めるという制度だ。政治に見返りを求める意地汚い根性を選挙民が無くすことだ。

「井戸塀政治家」って言葉があったよな。政治家になったら、井戸と塀しか残らないという“要諦”。

おおよそ、今の「センセイ」たちは豪邸や瀟洒な家にお住まいだ。安い家賃の高級マンションまがいの議員宿舎にお住まいだ。

ザル法やめてサル法にしては如何。濁点とれば、清くなり、サルは“去る”にも通じるかもしれないし。

汚染水・・ザルの代わる妙手ってあるのだろうか。猿にでも聞いてごらん。

2015年2月27日金曜日

「隠ぺい」の結果として・・・

東電の2号機屋上からの汚染水の流出問題。報道によれば、爆発時から起きていたことだという。
1年間の不公表でへない。4年間もだ。

なぜ東電は「隠ぺい」を続けるのか。日常的にそうするのか。その意図を忖度しても始まらない。

隠し続けて来た結果が何を招いたか。

いわき漁協は「信頼関係は完全に崩れた」とする。県民の怒りの感情は増幅される。

あまりにも「想像力」が無さすぎる。いわば「出口戦略」を考えていないという企業の在り方。

外洋の放射性物質検査では“異常”は見られないという。でも、それが東電の発表である限り、信用する人はいないだろう。
漁協も独自に検査している。獲れた魚の検査もしている。「安全」は保たれている。

でも、この事が「福島」を見る眼に変化を与える。せっかく回復してきたいわき産の漁業に対して「不安感」をまた生む。

実はこういうことはあまり書きたくないのだ。いらぬ風評を招くこと必定だから。

でも、信頼を失った企業、信頼できない国家。そこに生きているという立場に立てばその非を問題視しないわけにはいかない。

人は都合の悪いことは隠したがる。そして隠し通せると思っている。それは、国家にとって都合の悪いと思われることに於いては歴史も隠す。

きょう国会では「政治とカネ」を巡っての集中審議が行われている。

西川公也につづいて、文部科学大臣、環境大臣、あげく法務大臣までが政治資金疑惑の俎上にあがっている。
「知らなかった」という単純な言葉で事を隠ぺいしている。

官邸はその「隠ぺい」に加担する・・・。

「嘘をついたら閻魔さまに舌を抜かれますよ」。子供の頃はそんな諭がまだ生きていたけど。

1F構内に視察に行った人達は何を見て来たのだろう。取材者だってそうだ。東電のバスに乗せられ、東電の都合のいい部分だけ見せられ、測られ、それで納得して帰ってくる。見てきた、視察してきたと自慢げに語る。

見るべきところを見ていないということ。

外洋につながる「水路」はわかるはず。それをたどっていけばどこに戻るのかもわかるはず。素人考えではそう思う。

東電の作業員である「ハッピーさん」はツイッターでこう指摘している。
久しぶりに開いたツイッターのお気に入り。

「今回の汚染水流出の件はかなり問題になるかも。東電が隠し持ってる全てのデータを過去分も含め洗いざらい公表しない限り、前には進めない気が・・・。
東電が公表していないデータも相当ある。港湾内外の魚は毎日採取してるはずだし、海のデータもあらゆるポイントデータを持っているはずだし」。

「やっぱり最初から1F廃炉作業に関わる環境データは、東電や政府、官僚と利害関係の無い第三者機関で行うべきなんだよね。そうでないと当事者の都合のいい情報しか出てこないのは、今回の件ではっきりしたし。毎日、毎日、廃炉の為に頑張っている作業員も浮かばれないよ。オイラもガックリでし」。

「今日の東電の会見でわかったこと。これからも情報公開すると言い続けるが、データはすべて出すわけじゃないって事。
“我々が理解できないデータは出しても意味が無い”って言葉から、東電は事故前と変わらず物凄いプライドが高いって事。以上二つのことがわかったでし」。

そうなんだよな。作業員の士気もそいでいるのだ。

隠ぺいのイタチゴッコ。それが意味することは・・・。

お白洲に東電幹部を引っ張り出しても大岡越前はいないというこの時代。
そして、よくもまあ次から次へと明るみに出る政治資金疑惑。

「民主党政権時も外国人から献金受けていた幹部がいたでしょ」。相変わらず安倍は開き直っていたし。

2015年2月26日木曜日

「2月26日」という日

今はあるかどうかわからないが、麻布の龍土町、六本木の交差点から乃木坂に向かったところに「龍土軒」という洋食屋があった。

そこは、2・26事件を起こした陸軍歩兵連隊があったところであり、蹶起する下士官たちが最後の謀議を企てたところと聞いている。

昭和11年2月26日。雪の降る中、陸軍の若手下士官や兵士たちが首相官邸はじめ、都内の枢要な官公庁、屋敷を襲った軍事クーデター。「2・16事件」と言うのがあった。その4年前、昭和7年には「5・15事件」が起きている。
海軍によるクーデター。首相の犬養毅が暗殺されている。

それらの事件があったのは事実である。「昭和維新」を掲げた。なぜ、この事件が起きたのか、その「なぜ」の真相は解明されていない。さまざまな“見解”がある。歴史の「事実」として、これらは記録されている。

2・26事件に加担した兵士には東北出身者が多かったという話がある。
その兵士たちの多くは貧しい農村の出身者だったという。長年にわたっての、彼らの中にあった“ルサンチマン”的なものが、そこに帰結したのではないかと言う説。

事件に精神的影響を与えたという北一輝という人物が、「右翼」だったのか「左翼」だったのか。その評価も分かれている。

昭和天皇の「言葉」で、このクーデターは収束した。2・26のことだ。そして、昭和16年から始まった戦争。その終戦時、時の内閣が恐れたのは、やはり陸軍によるクーデターだった。それも昭和天皇の「聖断」で大きな出来事には至らなかった。

昭和40年代、「三矢研究」という自衛隊内部の図上計画が国会ですっぱ抜かれ、“クーデター”と書かれたこともあったが。

翻って今、平成の時代。軍事クーデターが起きる気配は無い。むしろ政権がクーデターを起こそうとしているようにも見える。

その“クーデター”は「改憲」と呼ぶ。それが平成天皇の宸襟を悩ましている。

昨夜、きのうのここに書いた仮設のばあちゃんと、結果メシを食った。細々いろいろな話をした。置かれた環境に甘んじている姿も「東北人」のようにも映って来た。

1Fから汚染水が垂れ流されている。2号機の屋上からの汚染水は外洋に流れ出ていると言う。
その事実を東電は1年間「隠して」いた。なぜ、それを今、公表したのか。その「なぜ」は寡聞なのかもしれないが、伝えられていない気がする。

人は誰でも「都合の悪い事」「嘘」は隠す。隠し通せると思っていることもある。

いわき市内であった漁業関係者と東電との会議。

「裏切られた」。

漁業関係者の言葉は切実だ。信頼関係が崩れた中で、今後どんな話し合いがもたれるのか。多分、漁協内部でも揉めるだろう。

「フクシマ」。それはクーデターの対象に匹敵することかもしれない。

以前、「東北独立」ということを書いた。井上ひさしの吉里吉里国を引き合いに。

「沖縄独立」ということが、半分真顔で語られる。少なくとも現政権は沖縄を「無視」しつづけるのだから。

“独立”とて一種のクーデターだ。

アルプスは稼働していない。汚染水はたびたび問題をおこす。
外洋に流れ出ているというのに官房長官は「コントロールされている」と開き直る。

中間貯蔵施設を巡っての動きが急だ。「3月11日」搬入開始が目途だという。なんでそれが3・11なのだ。鎮魂の日であるにも関わらずだ。

3月8日には今日来日するイギリスのウイリム皇太子が福島を訪れると言う。安倍も同行する。その時の「心証作り」ではないのか。

現政権のアンダーコントロールという見解。それは東京オリンピック招致からはじまった。オリンピックの為の「福島利用」「英国皇室利用」「重ねられる嘘」・・・。ほんと、もう御免だぜ。

1年間隠し続けてきた東電の「嘘」。それが今になっての公表。その「なぜ」を知りたい。場合によっては嫌なことばかり押し付けられる東電の政府に対するある種の“クーデター”とも受け取れるから。

2015年2月25日水曜日

仮設住宅で亡くなった犬のこと

今朝、郡山のビッグパレット脇にある仮設住宅の「ばあちゃん」から電話があった。川内村から避難して、そこに“居住”している人。
沈んだ声だった。

愛犬のマックが亡くなったという知らせ。

その人たちと、その一家と、犬たちと出会ったのは2011年の3月の終わり頃だったと思う。ビッグパレットが川内、富岡の人たちの避難所になった時。

二頭の犬を連れて線路わきの植え込みに座っているその人と出会った。こっちは我が家の犬「ゲンキ」を連れていた。

マックはマルチーズ、もう一頭のミックはミニチュアダックス。仲のいい「二人」だった。

川内村に避難命令が出されて時、そのばあちゃんは、自分の軽自動車に犬と爺ちゃんを連れてまずは三春の避難所に行き、郡山にやってきた。

爺ちゃんは、酸素マスクを手放せない病人だった。

犬は避難所の中には入れない。ビッグパレットの自転車置き場がペット用に開放されていたが、そこはすざまじい鳴き声で溢れていた。

大方が完全に鎖でつながれた犬では無かった。ケージも体験したことのない日常を送っていた犬たちだった・・・。

ミックとマックも、家の中を自由に駆け回り、時には家の周りも走り回り、散歩させてもらえる環境にいた。
自由だったのだ。

ミックとマックの居場所は軽自動車の中だった。まだ寒かった頃、夜には車の中でも冷える。熱湯を入れたペットボトルを毛布でくるみ、彼達の湯たんぽ代わりに毎日のように持って行った時もある。

車の所に行って中を覗くと二人は折り重なるようにして寝ていた。窓を叩くと眼を開け、狂ったように窓に飛びつき、出せ!出せ“と言わんばかりに吠えた。

好みだというドッグフードも持って行った。

5月。もう車の中は日中は暑い。仮設住宅が出来るまで、二人は大越にあるペット用の“施設”にあずかってもらっていた。

仮設が出来た。二人とも仮設の中で住まわせると言う。たまたま我が家にあった大きめのケージを持っていった。4畳半二間の仮設。酸素を必要とする爺ちゃんのことを考えるとケージしかなかった。

その爺ちゃんもやがて亡くなった・・・。

マックは老いてきていた。思うに「ストレス、過剰なストレス」を感じていたからだろうか。歯を患い、動物病院で歯を全部抜かれた。

ケージの中のマックは舌を垂らしたままだった。

ミックはばあちゃんの孫が連れていった。今は仮設に出来た動物用の建物の中にいるという。

ばんちゃんは、避難所の時は元気だった。一昨年から腰を患った。病犬とは居を共に出来たが、元気で力が強い方の面倒を見るのは無理だと判断したからだろうか。顔だけ毎日見に行っていたという。

そして今日の知らせ。看病疲れもあっただろう。声に元気がなかった。

「犬に会いたくなったら瀬川さんの家に行く。ゲンキ君の顔見に」。すでに火葬したお骨は仮設に持ち帰って来たと言う。

ゲンキの姉さんのようだった甲斐犬の澪。ともに東京から連れてきた犬だ。澪は幸い「3・11」を体験することなく、前年の秋に亡くなっている。骨はまだ我が家の中にいる。澪のことは、だから、2010年のこのブログに書いた記憶があるが。

今朝の電話のやりとりを、どうやらゲンキは聞いていたようだ。
なんとなく悲しそうな眼をして、疲れたように寝てしまった・・・。

口はきけないが、犬たちはみなわかっているということ。

鎖につながれたままだった犬、餓死した犬、鎖を食いちぎって野良になった犬。
飼い主が週に一回訪れるのをひたすら待っている犬・・・。
犬だけでは無い。牛も豚も鶏も。福島には残酷な運命をたどる、たどった動物たちがいる。

ボランティアが支えているシェルターもある。多くの人がペットに心を寄せていてはくれるが・・・。

マックは「避難」さえなければ、まだ長生きできたはずだ。犬の震災関連死だ。

夕方、花を買ってマックを訪ねるつもりだ。仮設に行くと「大歓迎」してくれていた、あの光景には出会えないが・・・。

2015年2月24日火曜日

皇室と安倍政権との間にある「壁」

昨日は皇太子の誕生日だった。55歳。談話を出された。その談話を聞き、読み、再読し、皇室と安倍政権の間にある壁、あるいは溝、いやそれは亀裂といっていいのかもしれない。埋めがたい「歴史認識」があることを再確認した。

「天皇陛下がいて助かった」。戦後史を振り返って田中角栄がしみじみとして語った言葉だ。

昭和天皇の存在が戦後の混乱期、この国の中に動乱が起きず、同じ民族同士が争うことなく、その混乱期を乗り越えられてきたことを指して言った言葉だ。

吉田学校の出身者。「臣 茂」と自らを読んだ吉田茂。その後の保守本流の系譜にあった者としてかどうかはともかく。

「3・11」後、ネットのツイッターに田中角栄語録が「角栄BOT」として流れていた。多くの人がフォローしていた。その中に「天皇陛下がいて助かった」という語録もあったはず。

そしてそれは「事実」として再現された。大震災というあの“国難”。原発事故と言う“文明の崩壊”。その中で、動乱も大混乱の起きず、被災地の人たちがあまた矜持を保ち、“耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んだ”には平成天皇、皇后両陛下がおられたおかげであると思っている。あらためての記述だが。

身をもって皇居内で、暖房を断り、被災者と同じ立場に立とうとされた両陛下。自らの意志を示され、被災地に赴かれた両陛下。
あの避難所の中の両陛下の姿。それは、まさに「寄り添う」ということの象徴であったとあらためて思う。

平成天皇によっても日本国民は救われたのだと。

皇太子の言葉の要旨。
「阪神大震災から二十年を迎え、東日本大震災より四年となります。震災を乗り越え、未来を創造する取り組みも生まれてきているように思います。昨年十一月に訪れた兵庫県では、震災の経験を地域や世代を超えて伝えようとする取り組みがなされていました。東日本大震災からの復興の取り組みとして、昨年八月にパリで行われた『東北復幸祭』に参加した高校生と先日会い、自ら企画した催しが成功を収めたことをうれしく思いました。被災地の復興に心を寄せ、防災に私ができることをやっていきたいと考えています」。

冒頭の部分でもお言葉だ。目線は「被災者目線」だったということ。

そして最近のこと。
「中東などで武力紛争が続き、わが国国民を含め市民を巻き込むテロが発生したことに深く心を痛めています」。
言葉を選んでの懸念の表明。そして、戦後70年の節目にあたっての感想。

「戦争の惨禍を繰り返すことのないよう、平和を愛する心を育んでいくことが大切ではないかと思います。子どもの頃から沖縄慰霊の日、広島や長崎への原爆投下の日、終戦記念日には両陛下と一緒に黙祷しており、原爆や戦争の痛ましさを伺ってきました。沖縄での地上戦の激しさも伺ったことを記憶しています。私自身、戦争を体験しておりませんが、戦争の記憶が薄れようとしている今日(こんにち)、謙虚に過去を振り返り、戦争を体験した世代から、戦争を知らない世代に悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切だと考えています。わが国は戦後、日本国憲法を基礎として築き上げられ、平和と繁栄を享受しています。本年が日本の発展の礎を築いた人々の労苦に深く思いを致し、平和の尊さを心に刻み、平和への思いを新たにする機会になればと思っています」。

そして戦後に関連して昭和天皇に触れ、こう述べている。
「多くの人が昭和天皇のご事跡に関心を持ち、昭和という時代への理解を深めることになればと思います。激動の時代にあって、六十年を超える長きにわたり国民を思われ、真摯(しんし)にご公務に当たられた昭和天皇のお姿がしのばれます」。

そこには安倍政権が目指す、集団的自衛権の発動、行使、戦争へ加担しやすくなる「思想」への、歴代天皇の意向に、教育に添った、意思表示がある。
それは平成天皇のお言葉にあった意向とも重なる。美智子妃殿下の意志とも重なる。

天皇を「錦の御旗」としつらえて、維新を断行した薩長の藩閥政府。明治天皇も、昭和天皇も、「政治利用」されて来た。昭和天皇はあの戦争にも“反対”の意向であった。その意向は軍部によって“無視”されていた。
再度皇太子の言。
「わが国は戦後、日本国憲法を基礎として築き上げられ、平和と繁栄を享受している。平和の尊さを心に刻み、平和への思いを新たにする機会になればと思う」。どう読んでも改憲反対って言うことでは無いのか。

元首ではなく象徴であったとしても、天皇の、皇太子の意向を“無視”するかのような政治の方向。

安倍はこの皇太子のお言葉をどう読んだのだろうかと。

2015年2月23日月曜日

「お上」と「ジャーナリズム」と

どうも日本人は「お上」という言葉が好きなようだ。馴らされているということか。「お上」に、それのやること、いう事に反発心を持ちながらも、“長い物には巻かれろ”じゃないけれど、世の中をわたっていく都合上、その存在に意義を持たせているような。

「上の者を出せ」「上のものに相談します」「上からの意向です」・・・。

上には逆らえない。

殿さまを「上さま」と呼んだ。「上位下達」という言葉もある。

「上」の意向で世の中すべてが決まるのか。決まっていいのか。「上」とは権限をもった人。権力者。
最高権力者としての安倍晋三。

あの人が最高権力者である、その地位にいるということが、すなわち今の「日本」という国をいろんな意味で象徴しているとも思えるのだが。

「お上」のお目付け役は誰だ。「お上」に物申すのは誰か。

それが「ジャーナリズム」ではないかと思っている。

昔、田中角栄がこんな話をした覚えがある。
「君たちは、年がら年中わしらを批判する。どんどん批判しろ。それが君たちの仕事だ。そんな批判をされないような政治をやる。それがわしらの仕事だ」。

彼は自分を批判する人間を忌避しなかった。いや、むしろ批判する人間を受け入れようとすらした。懐の深さを感じたことがある。

彼は本能的にジャーナリズムというものを認めていた。それを“善”だとして。

結果論としてそれが“正解”だったかどうかは別問題だ。

批判勢力、反対勢力があることでこの国はよくなるのだと思っていたような節があった。

ある日、朝早く目白の私邸に行った時、事務所の応接間に右翼の青年がいた。あの戦闘服を着た。その青年がどうやって面会できたのかはわからない。
顔面蒼白になって、何かを語っていた。それが日中問題だったか、金権もんだいだったか。政治的抗議あったことは間違いない。その青年の背後には秘書がすぐ抑えられるように中腰で身構えていた。その青年に対して角栄は滔々と持論を語っていた。そして「わかったか、わかったなら帰れ」と言った。帰った。

その後角栄が言った一言。「なんだ、かんだと皆、わいわい言ってきやがる。それもまたいいことだ」。おしぼりで顔を拭いた。

懐が深かったと思う。来る者拒まずの態だった。

今のお上には批判を許容する姿勢全くない。許容どころか、批判勢力を徹底的に排除しようとする。攻撃されると、物凄い勢いで反撃する。受け止めるという度量も存在しない。

いつの間にか、この国からはジャーナリズムなるものも衰退していったような気がする。

ジャーナリズムとはあくまでも「批判精神」を持つということだ。単に起きた物事を伝えているとういうのはジャーナリズムでは無い。

権力を恐れ、それになびかないまでも、批判精神を失っている。

戦後70年ということで「安倍談話」が出されると言う。その談話を作るために「有識者懇談会」が作られた。

有識者懇談会・・・。最近の政界の風潮。第三者委員会なるものも然りだが、なんでも「隠れ蓑“を作り、世論をくみ上げたような体裁を作る。

その有識者懇談会にはマスコミ人も入っている。読売、毎日の記者だ。それは「取り込まれた人」にも等しい。
その会議は政府が主宰し、主導で開かれる。議事の進め方にしても官邸や内閣府の書いたシナリオに沿って行われる。

下世話な話かもしれないが、いくらかの報酬だって支払われるのかもしれない。

その二人の新聞記者の意見がどこまで“採用”されるのか。入った人も入った人。それを認めた会社も会社だ。「お上の意向」には歯向かえぬということか。

ジャーナリズム、それは在野に於いてこそ可能なものだと思うのだが。

「総安倍化」の風潮が増してくるような・・・。

2015年2月22日日曜日

「現在」ということ

~すべて人の一生は神の手によって書かれたお伽噺にすぎない~。
アンデルセンが遺した名言。

きのう「お前はただの現在にすぎない」と書いた。それは“テレビ論”ではあったが、”自分論“として考えた。

現在とは人の一生のことと。

生まれて生きている限り、それはその人の「現在」。生まれる前はもちろん過去。
逝った先は未明なのだと。

あの体験した、見聞きした「3・11」。あれは現実だった。決してお伽噺ではなかった。でも、どこか、心の深層では「お伽噺」であって欲しいとも思った。
そんなお伽噺を神が書くとは思えなかったが・・・。

いくつかのお伽噺を信じ込まされてきた。信じ込んで来た。その最たるものが原発だった。明るい未来のエネルギーというお伽噺。

そのお伽噺の中で「現在」を終えることが出来なかった。

人はいつかは死ぬ。

たとえば戦争。戦争を現在として体験した人が、経験した人が死ねば、「戦争」は終わりだ。過去のものとされる。

しかし、そういう意味での“戦争の終わり”が来るには間違いない。戦争の時に生まれ、戦争を知って、戦後を知って・・・その僕にだってあと何年後か何十年後には“終わり”が来る。

でも、その意味での“戦争”を終わらせてはならない。だから語る。

記録としての、文字になった戦争はある。映像、画像としての戦争はある。録音テープとしての戦争はある。それらの「記録」に接して、それを知ることは出来ても、問いかけは出来ない。質問に対しての答えも返ってこない。

戦争は語り継がれる。あったこととして語り継がれる。それを必死で願う。
しかし、それは聞いた、読んだ戦争・・・。「現在」として存在する戦争ではない。

だから考える。現在を持っているうちに何が出来るかを。

幻想かもしれないが・・・。
広島、長崎に原爆が投下されて以来、たとえばビキニ環礁での「実験」はあったが、現実の戦争の中で原爆は使用されていない。
ベトナム戦争でも、イラク戦争でも、それを使用することは可能だったにも関わらず、保有国はそれを使わなかった。使えなかった。
広島、長崎の被害があまりにも大きく、非人道的だったからかもしれない。

原発。それは最初からエネルギーとしてだけ考えられていたものだろうか。この国も核兵器を、原爆を持ちたかったからではないか。

戦時中、福島県の石川町でウランを原爆製造のために採掘していたという事実がある。それは精度が悪く使用に適さないとされただけ。
原発のためのウランをこの国は持っている。それは「兵器」にいつでも加工できるはず。

「平和で明るいエネルギー」の暗部に、それが本当に無かったのかどうか。
目くらましの原発では無かったのか・・・。そんな幻想、妄想。

原子力規制委員長が「絶対安全とは言えない」と言っている原発。誰しもが、フクシマを経験しているにも関わらず、「安全だ」と自分に言い聞かせて目指す再稼働。

PAZ,つまり原発から5キロ圏内、UPZ、つまり原発から30キロ圏内。それの“避難計画”が、どこかで真面目に語られていることへの滑稽さ。全くとしての避難なんてありえないはずだ。もし、一台の車がエンストを起こして、燃料切れを起こしたという些末な「不測の事態」なんていくらでもあり得る。
秩序だった行動。無理だ。

フクシマの経験則は、今後の対策としての経験則には成り得ない。フクシマを経験した、見知った人達は、より恐怖感を覚えるはずだ。既知のことだから。その恐怖が。福島で起きたことは何等の対策にも成り得ない。福島の人の多くはその恐怖を「知らなかった」から、まだあの程度の混乱で済んだ。
これから先はそうはいかない。

それが、今生きている人の「現在」として存在しているということ。お伽噺がお伽噺ではなくなるということ。

「現在」への思考、認識。それが欠け始めているという現実・・・。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...