2017年11月14日火曜日

権力としての“非正規雇用者”

猿は木から落ちても猿だが、議員は落ちればただの人。
そんな戯れ句がある。

衆院選挙があった。どれくらいの「割合」で新旧の入れ替わりがあったか勘定したことは無いが、“新陳代謝”があったことは間違いない。

国会議員、衆院議員についていえば4年間の“非正規雇用”だ。補償されているのは解散が無い限りの4年間だ。

その“非正規雇用”を決めるのは我々国民だ。だから議員は国民の雇用者なのだ。だから国民は“雇用主”として、「時間外労働」も含め、幾多の仕事を命ずることが出来るはずだ。
「雇用」も「解雇」も国民に委ねられているはずなのだが。

しかも厄介なことに、この“非正規雇用者”には権力が付与されている。
官僚は“正規雇用者”だ。
しかし、正規雇用者は非正規雇用者に付与されている権力の前に隷従している。

マックス・ウエーバーは「職業としての政治」という著作の中で述べている。
「あらゆる政治行動の原動力は権力(暴力)である。政治は政治であって倫理では無い。そうである以上、この事実は政治の実践者に対して、特別な倫理的要求をつきつけずにはいない」と。

職業としての政治家。
職業に「倫理観」が要求されるのであれば、いや、要求されるべきものだと思うけれど、被統治者に対して服従だけを求める今の政治の在り方は正当なのかどうかということだ。

非正規雇用の政治家が雇用主を思うがままに扱おうとしているということ。
それを是とする風潮が蔓延しているということ。

政治は限りなく「私物化」されている。自己の“利益”のための道具とされている。
国会の質問時間を五分五分にしようと与党はいう。与党による質疑からは、何も生まれてこない。与党の質問は後援会報に載るだけだ。ニュースには成りえない。
質問と言う名の政治の自己目的化。

“希望”もついえた。

非正規雇用者が雇用主に政治と言う名の“暴力”、例えば税金、例えば社会福祉。
もろもろの要求を強いる。

社会システムの中から仮に「非正規雇用者」なる労働者が無くなろうとも、政治家はシステム上では非正規と言う身分には変わらない。
しかし、数多くの特権が行使され、富の構築は進む。
公費を違法に使う。課税逃れに腐心する。

政治のもろもろにふと感じたこと。

2017年11月6日月曜日

その男“二枚舌”につき


アメリカの大統領、ドナルド・トランプの訪日。
安倍とトランプはゴルフに興じた。
「ゴルフ外交」がそこにはあった。

プロゴルファー松山英樹が同伴した。彼がそれを名誉と思ったのか迷惑と思ったのかは知らないが「外交の橋渡し役」を務めたということか。

「いろんな難しい話題も時折織り交ぜながら、ゆっくりと突っ込んだ会話が出来た」。安部の弁だ。
どこで会話が出来たのか。コース上か食堂か。通訳がいないと会話は成立しない。
安倍の言葉通りなら、ゴルフ場はうまいこと道具に使われたわけだ。

重要な会談の場だったわけだ。

想起するのが加計問題。年に数回ゴルフを共にする刎頸の友加計幸太郎。
加計学園建設を巡る疑惑がずいぶん追及されてきた。

「学園の建設とか、手続きとか、そんな難しい話はゴルフ場ではしませんよ。
出来るはずも無い。だいたいゴルフ場とはそんなところではないですよ」。
安倍はそう国会でも答弁していた。

ゴルフ場とはいかなる場か。ゴルフを巡る二枚舌だ。

日本語で難しい話は出来ず、通訳付きで難しい話が出来るということ。
バカもほどほどにしろってな。


昔、政治家と時折ゴルフに行った。フェアウエイを歩きながらの“取材”。
壁の耳も障子の目も無い格好の「秘密の場」なのだ。

“会談”の場とされた霞が関カンツリークラブ。名門中の名門クラブだ。
メンバーシップのゴルフ場。
メンバーでも無いのに、安倍はそこでのプレーを強要した。
ゴルフ場は「掟破り」をした。クラブ規約に違反する行為を是認した。

田中角栄も大のゴルフ好きだった。彼は名門の「小金井カントリー」への入会を切望していた。
総理大臣と雖も、いかに金持ちであろうとも「小金井」は彼の入会をなかなか認めなかった。入会が認められた時の彼の嬉々とした表情は忘れられない。
「そのうち君らも同伴プレヤーとして連れて行くよ」。実現されなかった。

神奈川にスリーハンドレッドという会員制の、規約が厳しいゴルフ場がある。
クラブハウスでは上着着用から始まってマナーやエチケットに厳しいゴルフ場だった。
白洲次郎が作ったゴルフ場だと聞く。白洲は毎朝のようにフェアウエイに出て、一人草むしりとゴミ拾いをやっていたという。

トランプと安倍。あまりにも共通点が、似通った点が多い。傍若無人な振る舞いから始まって、口を突いて出る言葉の嘘と虚勢と脅し。

10回程度の電話と数回の「首脳会談」で、彼らは信頼できる盟友になったという。

ホワイトハウスの側近の意見よりも「シンゾー」の意見を聞く仲だと訳知り顔の政治評論家もどきが言う。

共に北朝鮮へは強硬姿勢だ。戦争も辞さない意向だといわれる。
「北」と戦争になれば2千500万人に“影響が及ぶ”といわれる。
日本も「確たる軍事同盟」のもと戦争に巻き込まれる。
そうなればアベノミクスも一億総活躍も福祉社会も地方創生も関係ない。
戦火に怯える一億国民ともなりかねない。

国土が灰燼に帰す戦争はもうまっぴらごめんだ。

「戦争」すらもトランプは「ディール」の対象でしかない。

トランプの支持率は36%、安倍の支持率も50%をいったりきたり。

またぞろ今夜も二人は肉料理に舌鼓をうつのだろう。
肉好きの人は好戦的だ。11月のある日、ある人はそう言っていた。

2017年10月30日月曜日

免疫力低下ということ


どうも脳梗塞の後遺症らしきものは随所に現れるものらしい。
歩行はリハビリでいくらか改善されたが、気力の減退は甚だしい。
視力は低下している。視力と関係があるのだろうか。片頭痛にしばしば襲われる。

そして大方、一日中眠い。すぐ眠くなる。
これらの“自覚症状”を総称して免疫力低下と位置付けてみることにする。
思考力も衰える。考えることはするのだが、それが導き出したことをすぐさま忘れる。
記憶は定かだが、記憶を導き出すのに苦労する。

選挙が終わり、“政局”らしいかすかな動きは感じられるものの、それを語ることへの“免疫力”が低下しているようだ。

安倍自民の不条理さ、不合理さは相変わらずだし、虚偽の言語を臆面もなく吐くし、「謙虚」という言葉を、何らの実態も無く、閣僚どもは天井裏に隠れ住んでいるフクロウのようにもごもごと言う。

11月1日に召集される特別国会の会期はいつまでになるのか。
所信表明演説や代表質問、質疑はあるのか。
選挙で「大勝」したのだから、そのことへの所信は述べなくてはいけない。
「国難」なるものへのいかなる対処をするのか“支持者”の前だけでなく広く国民に示さねばならない。それが選挙の「理由だった」と言ってきたのだから。

野党はばらばらだ。その隙を突くかのように「質問時間」を減らすという。議席数に応じて時間を割り振ると言う。
なぜか。彼や彼らに「答弁能力が無い」からだ。

与党に与えられた質問時間でまともな論議が出来る議員がどれほどいるのか。
仮に多くの質問時間をこなしたとしてもマスコミは報じない。
八百長、馴れ合いの質疑に意味を見いだせないからだ。
しかしNHKだけは中継をするだろう。

いや、与党は質問時間を“放棄”するはず。そうすれば予算案や法案成立への時間が大幅に短縮できるから。

どうも、この国では政治への免疫力が低下しているようだ。

大企業の不祥事が絶えない。なぜか。経営トップは現場を知らない、見ようともしないからだ。どこか政治と似通っている。

テレビでは「安全」を過剰にうたった新車のCMが繰り返されている。
それを買える能力のある人達はどれくらいいるのだろう。

もちろん、それは「事実」であろうが、高齢者の交通事故が多発しているという報道がしきりだ。「安全な車」を買えと“サポート”しているみたいだ。
カタルニア地方の独立をめぐり、いや、欧州各国でくすぶっている、表面化している「流動化」。そう、世界はかつてなく動いている。
カタルニア地方の人はスペイン語でなくカタルニア語を話す。使う。
ガウディーもダリもカザルスもそうだったのか。

広辞苑が何年かぶりに改訂される。なにやら意味不明の、やがてすたれるであろう“新語”や“流行語”、苦し紛れの様な“意味”が加えられる。条項が加えられる。
“9条加憲”の憲法問題と空気を同じくするように。
もう広辞苑を引用した文章は書けないような気にすらなっていく。
そんな「舟が編まれる」なら。

言葉、ことば、コトバ・・・。
「言語は思慮のための道具」ではなくなっていくようだ。

あすも病院。この散漫たる頭脳を「すっきり」させてはくれないものかと問診でお願いしてみよう。

2017年10月24日火曜日

あらためて「民意」とは「言葉」とは

新聞の選挙情勢調査は当たる。
予想されていたこととはいえ、開票と同時に出されるテレビの与野党獲得議席数。やはりそうか・・・。
自公の三分の二以上の議席獲得。激しい危機感に襲われた。

早速動き出した安倍はどんな政治を打ち出してくるのだろう。
公約の前面には出さなかった改憲を言ってくるのは間違いない。

あえて「三分の一の民意」と言ってみる。
自公に投票した人は有権者の三分の一に過ぎないのだから。

獲得議席数が「民意」として名付けられ、「民意」を得た人が赤絨毯の上を闊歩する。

自民党が獲得した票は有権者の三分の一。しかし獲得議席は285。

議会制民主主義を“はき違えて”いる人達にとっては、あくまでも「数」は力であり、それなりの振る舞いをまたぞろしてくるのだろう。

落選した人達に票を入れた有権者。彼らの「民意」はどこに反映されるのか。
今の安倍自民には少数野党への敬意もそこに別の民意が存在していることを認識すらしないだろう。

それが何故だかはわからない。安倍は民進党憎しで凝り固まっていた。その民進党を「解党」させてしまったことに満足感をおぼえているのだろう。

希望の党、希望が失望になり、絶望にと変わり果てた。それでも50議席は確保した。
ふってわいたように生まれた立憲民主党、55議席を確保し、野党第一党となった。

とりあえずは分散された野党。アリが巨像にどれだけの戦いを挑めるのか。
小池騒動の中で、それでも政治家の矜持を保とうとした野党系無所属が20人ほどいる。それと立憲民主がどこまで合体できるのか。野党が野党で有り続けるためには「分散野党」がどれだけ一体化出来るかにかかっている。

人には持って生まれた「性質」というものがある。変わると公言して変わり得なかった小沢一郎のように。
安倍の虚言癖は治らないだろう。謙虚さや丁寧さは(それは政権を担う者にとっては一番の必須要件なのだが)実行にうつされることはないだろう。

だから考える。
285という数字は安倍への信任票だったのか、自民党と言う、長い歴史を持つ保守政党への期待票だったのかを。

民意が最大限、可能な限り反映される選挙制度でなくてはならない。今の選挙制度は民意を一番反映しにくい制度だ。
捨てられたに等しい多くの死に票。その票の中に存在する民意。

自民党の得票率は48%だった。獲得議席は75%だった。
比例区では得票率33%、獲得議席は66。

しかも自民の獲得票は安倍支持票だけではないということ。

小選挙区で落選、比例区で復活当選。選挙区で示されたその人個人に対する「評価」が比例区で、政党と言う傘の下で当選とされる。有権者への裏切り制度だ。

おかしな民主主義だ。選挙制度を変えなければまともな議会制民主主義は形成されない。

議席数は民意を正当に反映させていないという制度。

しかし議員からはそれを口に出すものはいない。今の方が自己にとって好都合だから。国民本位では無い、議員本位、政党本位。


この国の政治家は「言葉」を持たない。

失言だけが話題となる。本人は失言とは思っていない。その時は。
「あんなやつら」「排除」・・。

ケネディーが演説で語った言葉。
「合衆国が諸君に何を為すかを問うな。諸君が合衆国に何をなせるかを問え」。

この言葉はアメリカの若者を奮い立たせた。この言葉によって考えた。

日本の政治家にはそれが無い。考える手段である言葉を持たない。「コトバ」の応酬に推移している。


「言葉」の無いなかで、この国は政治もどき行為が続いて行くということ。

2017年10月21日土曜日

「どちらでもない」、「どっちかと言えば」

総選挙の投票日が明日になった。天候は悪いと言う。
投票率は・・・。おそらく低いだろう。
投票率が低ければ組織政党に有利だ。

世論調査なるものは与党300議席超の勢いと伝えている。

何のための解散だったのか。全くわからないままに600億円もの国費を安倍の一存で行われた選挙。

伝えられる調査結果には唖然とせざるを得ない。
「消費税」も「国難」もとってつけた解散理由。
なぜ民意を問う必要があったのか。なぜ、なぜだらけのままの選挙。

いつも思う事。世論調査のこと。
意識調査も含めて「どちらでもない」という答えが多いという事。
設問の仕方に問題ありとおもうのだが。

政党支持も「どちらかと言えば」という曖昧な“意志表明”。改憲に関しては「どちらともいえない」という意志表明。

政党支持に関して聞けば、いわゆる無党派層と位置付けられる回答が多数を占めているという事。

優る、やや優る、普通、やや劣る、劣る。小中学時代の成績評価だった。
大学は優、良、可、不可。だった。不可だけは赤字、単位をとれなかった。

そんな昔にあったことが、選挙の調査の結果報道と、無関係なのだが、どことなく“二重奏”のように重なる。

曖昧などっちつかず世論調査の方法に改善の方法はないのか。民意をもっと具体的に鮮明に読み取れる方法はないのか。
毎回、ありきたりの定型文のように行われる調査なるもの。

棄権はよくないという。それは同感だ。しかし、今の選挙制度、政党本位とされる選挙。小選挙区比例代表制、政権交代可能な選挙制度という定型文のうたい文句。

この制度に異を唱える人は少ない。決められた枠内の選挙の反発する。
民意は反映されないからだ。
「死に票にも意義がある。民意があると見るべきだ」と訳知り顔でいう識者。
死に票を限りなく少なくする方法を考え抜くのが真の政治なのだ。

「政治討論会の発言の持ち時間は議席数に応じて配分しろ」。かつて自民党は大声でそうテレビを脅した。議席数の少ない共産党を指していた。
いまは一人しかいない「日本のこころの党」に等分の発言時間を与えている。
それは許されるのだ。自民党と同じことを言うのだから。全くの応援団なのだから。

「国難」と安倍自民は強調する。国難とは「3・11」だ。経験したことの無い国難そのものだ。それは今も依然として続いている。
「3・11」を凌駕するような国難に我々は遭遇していない。

第一次安倍政権時代に1Fに15,7M以上の高さの防潮堤が必要だとの学舎の見解が示されていた。
安倍はそれを歯牙にもかけなかった。

「3・11」時、未曽有の国難であるにもかかわらず、自民党はお手並み拝見とばかりに民主党政権がボロを出すのを待っていた。国難であるが故に菅直人は自民に連立を願い出た。時の総裁は谷垣専一だった。「菅とは一回もメシを食ったことも酒を飲んだこともない。どう言う奴かわからない。そんな政権に協力できない」と断った。
永田町の論理、慣行が優先され、国民不在を示した一つの出来事。
その「精神」は今でも引き継がれているのだろう。

あげく安倍は「アンダーコントロール」などという大嘘で世間を、世界を騙した。それに忸怩たる思いを持っている安倍自民の議員はいるのだろうか。

たまたまコンビニに行った。おにぎりもサンドイッチも小さくなっていた。
店の人にそれを指摘した。
「アベノミクスのせいですよ」と店の人は答えた。

コンビニの常連の18歳以上の初めて選挙に臨んだ若者は何をし、何を感じただろうか。

日曜日の夜八時。時報と同時に各テレビは勢力分布を出す。
安倍の高笑いが聞こえる。その速報番組を観ているであろうボクがいる。

選挙は何ものも“浄化”しなかった。
「国民のみなさまに信任を得ました」とワイドスクリーンに映されるテレビのインタビューで誇らしげにいうのだろう。改憲を声高にいうのだろう。
“宰相A”は。

あ、そうそう、選挙中はJアラートは鳴りませんでした。北朝鮮もミサイル発射を控えているようでした。
突然に拉致と言う言葉が“ぬか喜び”を誘っているようでした。


2017年10月14日土曜日

見苦しき者、汝の名は政治家なり。

隣の田んぼの稲が刈られていました。稲は今年の役割を終えた。役割を果たした。と言わんばかりに・・・。
また来る季節の為に土は眠りにつく・・・。

また脳梗塞を発症してしまいました。しばし入院していました。大事に至らずに退院出来たのですが・・・。

この間に大事な事を二つ果たせなかった。
親しい知人が逝った。その別れの場に行けなかったこと。別れを言えなかったこと。


生々流転、有為転変・・。

選挙が始まった。始まったというか佳境の様子。
何のための選挙だかわからない選挙なのに。

常在戦場という決まり文句がある。
田の草取り、手入れと言う決まり文句の政界用語があります。

政界は「1強多弱」とここ数年言われてきた。強者はその地位に胡坐をかき、全くの哲学、倫理観を持たない、やりたい放題の政治を行ってきた。

マスコミが伝えることの選挙にまつわること。それを見聞きしていると、
ストレスのタネは尽きません。ストレスに蔽われることしきりです。
考え事ばかりしてるのは病気に悪いよと医師はいいますが。

稲刈りを遅らせた田んぼの前で安倍は選挙遊説の第一声を発していました。
支持者だけを集めた会場だったそうです。夫人が製造に関係しているとかいう酒瓶を掲げていました。
おにぎりをぱくついていました。それは全くの”演技“にしか思えませんでした。

福島での第一声。安部にとっては縁起のいい場所でした。過去の選挙にならうと。
しかし、安倍政治が「福島に及んでいる」かどうか。全く安倍政治の中からは福島は「阻害され」ています。

マスコミの世論調査では自公が300議席を上回るとか伝えられています。
「世論調査」は精度を増しています。おおかた外れたことはありません。

それは「野党勢力が分散されたから」と言われます。

幼馴染に金子秀史というのがいます。彼の従兄弟は映画監督をやっています。
2004年だったか。総理府の依頼で選挙啓発映画、棄権防止の短編映画を作りました。
映画の題名は「希望の党」。ある家庭が舞台です。父親も母親も選挙には関心がありません。投票日には遊びに行ってしまいます。
子供はその親に反発します。毎回選挙に行っていました。

希望の党が出現し、選挙で支持を受け、政権政党になります。政権は選挙に行かなかった人、過去3回棄権している人に罰を与えます。
投票に行ってその党を支持していた娘には要職が与えられます。

その党は蓋を開けてみればとんだファシスト政権でした。徴兵制を採り、とんでもない社会となって行きます。

「選挙にいかないとこんな社会になりますよ」。そんな警鐘を鳴らす映画でしたが。

少なくとも党名だけは現実に出現しました。”野党“の一部もそこになびいていきました。その結果は・・・。

18歳まで選挙権年齢が引き下げられました。しかし、旧態依然とした選挙の中ではほとんど話題になりません。

選挙制度を変えるべきです。小選挙区比例代表制は「民意」を正しく反映しません。
しかし、選挙で勝った党は「民意に支持された」と、さらなる暴政、言葉を持たない反知性的政治を加速させるでしょう。

政党政治、政党本位の選挙とはなんなのか。
無所属と言う立場の候補者も、いや、無所属で出られる選挙制度が必要なのではないか。資金が無くても、組織が無くても選挙に参加しやすい制度が。

昔あった参院の「緑風会」を思い出します。その人たちは「知性」の側に立っていたという歴史の事実。

これまで「ミソをつけてきた、政治家として失格」と思われる人も当選してくる情勢だとか。

政治家はあらゆる意味でその立場にいる限り「強者」です。一般市民としての有権者は「弱者」です。しかし、選挙の時は立場が逆転します。弱者である有権者に頭を下げまくる候補者たち。当選すれば強者。

選挙というのは弱者が一時的に強者を作り上げる過程に過ぎないのでしょうか。

政治は劣化しています。見苦しく立ち回っている人を多く見ます。
なんかディストピア物語としての選挙のような。ユートピアを語れる政治家は存在しないという事。

久々に愚痴を並べている自分も悲しい・・・。

2017年9月28日木曜日

「漂流」、「混沌」、「危惧」・・・。

民進党という政党は何だのだろう。政界再編なるものの徒花だったのか。
希望の党なるもののなかに吸収される民進党議員、いや候補者。

「恋しくば尋ね来て見よ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」

そんな古歌が浮かんだ。

葛の葉とは狐の異名だ。敢えて小池百合子なる人を女狐を呼ばせてもらう。

謡曲に載せた舞台の上で変幻自在のごとく政界を泳いでいるからだ。

民進党をのみ込んだ希望の党。命名発表時の理由は、まさに「この国には何でもある。希望だけが無い」のパクリだ。

小池用語には辟易する。やたら横文字を連発する。ダイバーシティー、ワイズスペンディング、アウフヘーベン・・・。
「わからなかったら辞書を引いてごらんなさい」と流し目で笑みを浮かべる。

政界渡り鳥だし、気を見るに敏な“大物”だ。そしてまごう事なきマキャベリストだ。

「民進党から来る人を全て受けいれるわけではありません。私が会って話を聞いてから決めます」。

恐れ入ります女王様。

小池の一人芝居では無い。この芝居には振付師がいる。小沢一郎だと思う。
監督は小泉純一郎、助監督は細川護煕というとこか。

安倍1強にはほとほと愛想が尽きている。政界再編、願うところだ。しかし、小池は安倍の対抗勢力なのだろうか。

お坊ちゃま前原は”狐“に騙されているのではないか。
小池は国会復帰を狙っているとも伝えられる。
あの熱狂した都知事選は何だったのか。
都民も騙される。

20年くらい前か。藤原新也という写真家で作家が書いた本に「東京漂流」というのがある。高度成長で華やぐ大都会の裏面、裏街道の人生を切り取った写真と文章。

その本を思い出した。都民は漂流するのだ。民進党の候補者、議員も漂流するのだ。有権者は選択の指標を失うのだ。
無様な体たらくを見せつけていた民進党にも8%の支持者がいた。この人達は“選挙難民”になるかもしれない。

この企てに連合も関与していると言う。連合の中には原発推進の電事労連もいる。
やはり烏合と言わざるを得ないのではないか。

希望の党なるものの実相は全く見えない。反自民で固まっているとも思えない。
政界一寸先は闇という言い伝えがあるがまさに然りの感ありだ。

野党共闘の梯子を外された共産党は怒り心頭だろう。
全選挙区に候補者を立てるとか。
共産党が票を伸ばすことも十分考えられる。

選挙の構図はわかりにくいものになる。まさに政界は混沌だ。カオスだ。カオスの名はカオスだ。
やはり国民不在の政治が展開されることを危惧する。

青天の霹靂ではない仕組まれた小池劇場。小池もまた老獪な政治家の「タマ」にされているのかもしれないし。

狐につままれたようなここ数日。

そろそろ秋です。小池が提唱して強制したクールビズなるだらしない服装から脱する季節です。

政治を「リセット」するそうです。パソコンじゃあるまいし。

しがらみとは何を指すのかも不明だし。

窮鼠の前原は猫にすり寄ったのかな。

「出て壊し入って壊す小沢流」。戯れ句を思い出した次第。

小沢神話は生きているんだな・・・。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...