2019年11月28日木曜日

ローマ教皇と福島

ローマ教皇が来日した目的の主眼は「核廃絶」を唯一の被爆国で訴えること。

国連が核禁条約の批准を決めると、一番先に批准した国はバチカンだったという。
そして、来日の決め手となったのが、中村長崎県知事と松井広島市長の度重なる要請に応えたこと。もう一つが長崎の被爆直後アメリカ人カメラマンが撮った「焼き場に立つ少年」と題された一枚の写真だったとも聞く。

焼き場に立つ少年の写真がベッドの脇に置いてある。
気がつけば、何気なく置いたその写真の「彼」といつも顔を合わせているような気がする。
死んだ弟を帯紐でたすき掛けに背負い、まさに直立不動、両手をきちんと揃え、即席で作られたであろう「焼き場」が空く順番を待っている。幸いなことに背中の弟の顔は被ばくの影響をうけていないようだ。
少年の唇は固く噛みしめられている。歯が唇を噛んだのか。唇が傷ついているように見える。

かって聞いた話しでは、焼き場の順番が来ると、少年は背中から弟を下ろし焼き場に静かに横たえ、寝かせ、何も言わずにその焼き場を去って行ったと言う。
多分10歳くらい。弟は幼子だ。

その少年が何処の誰で、今はどうしているのか。
誰も知らない。

長崎・広島でのミサや集会で、教皇は核廃絶・平和・差別撤廃・貧困問題・環境問題について語って来た。
そのいずれもが「納得」出来る、いや、させられるものだった。

長崎のミサではあの「焼き場に立つ少年」の写真を正面に掲げていた。

天皇との会見のあと、安倍首相とも会談した。
核廃絶を巡る教皇の発言に対し、安倍首相の反応はあまりにも悲しいものだった。
核保有国と非保有国との仲立ちに努める、といった具合。
核禁条約の批准については触れなかったという。

東京でのイグナチオ教会、カテドラル教会で信者に語りかけ、東京ドームでのミサ。
福島のいわきの高校生の語りかけに耳を傾け、彼を癒すように抱擁した。

そして、東京での原発被災者との集会ではこんなことを語ってくれた。

“東日本大震災は地震、津波、原発事故の「三つの大規模災害」だ。災害は岩手、宮城、福島の3県だけでなく日本全土と全国民に影響を及ぼした。
 被災者は、自らの言葉と姿で多くの人々が被った悲しみや痛みを伝えてくれた。
 原発事故で汚染された田畑や森林、放射線の長期的な影響など、継続的な問題と向き合わなければいけない人も多い。
 震災からの完全復興までは時間がかかるかもしれないが、助け合い、力を結集すれば必ず果たせる。
 原発事故は科学的、医学的な懸念に加え、社会構造を回復するという途方もない課題がある。
 地域社会が再び築かれ、人々が安全で安定した生活を送れるようにならなければ福島の事故は完全には解決されない。
 この時代には技術の進歩を人類の進歩にしたいという誘惑があるが、立ち止まり、振り返ることも大切だ。“

その通りだ。

教皇帰国後、原子力規制委は女川原発の再稼働を認めた。
地域住民、近隣の町や村に表だった反対の首長はいない。

高浜原発を巡っては多額の金品が関電と町の助役とでやり取りされていた。
愛媛県の伊方原発。あの地域では昨今地震が多いようだ。

カトリックのミサ曲でもあるベルディ―のレクイエム。
キリエ、エレイゾンと言う祈りの言葉で始まる。キリエとは「主よ憐れみたまえ」という意味だとか。
そして「怒りの日」という楽章。
それが現実味を帯びてくるような。

全くの余談。
麻生太郎はカトリックの信者である。洗礼名はフランシスコ。
幼児洗礼だった故か。彼からその信者としての倫理観、哲学は全く感じられない。
名ばかり信者。この国の空気と重なるような。偽という字で。

2019年11月18日月曜日

「桜を観る会」で思う安倍の軽さ、嘘の強弁

安倍首相主催の桜を観る会のことが連日、報道されている。
中味は周知のような事だ。

“一度嘘をつくとそれをごまかすため、また嘘を言う。
「ウソの上塗り」。よく言われてきた言葉だ“。

桜を観る会には行った事がある。
内閣総理大臣名の案内状を貰って。

いわゆる官邸記者会のキャップには送られていたもの。
“観桜会”(かつてはそう呼ばれていた)はきらびやかな風情も無く、人もまばらで、テントに設えられたテーブルの飲食物も簡素なものだった。
写真を撮る人もいた。
しかし、今のスマホブームとは大違い。
スマホとはまことに“不行儀”な文明の“利器”だ。

新宿御苑は子供の頃の遊び場だった。たしか20円くらいの入苑料を払い、新宿高校の側から入り、遊びまわって、四谷側の大木戸門から出る。
常に閑散としたところだった。


桜については複雑な心境がある。「3・11」以来だ。
あの年も桜は見事に咲いた。被災者と接しながら「それでも春は恨まない」と納得させていた。
梶井基次郎の作品に「桜の樹の下には」という短編がある。その中にある一節「桜の樹の下には屍体が埋まってゐる」という一行が頭に残っていた。記憶が呼び起こされた。
坂口安吾の「桜の森の満開の下」も3・11時に思い出された小説。山賊が、夜道の峠で、“鬼女”と出会う。妖艶でありながら残酷な女との物語。

誰を何に喩えたかと言うことでは無いけれど。

今回の疑惑の一つの前夜祭の会場、ホテルニューオータニ。
「角福戦争」時、ニューオータニは田中派の“本陣”だった。
連日、そのホテルに通っていた。

安倍の源流「清話会」、つまり福田派。その“本陣”は赤坂プリンスホテルだった。
どっちのホテルに行くにも弁慶橋を渡った。橋の近くは昔、貸しボートがあった。その濠にも桜が咲き誇っていた。

時代はめぐる・・・。

ニューオータニが安倍の後援会の定宿になったとは・・・。
そう、赤プリは無くなったと聞く。解体されたと。

ホテルで行われる政治資金パーティー。事前の振込が原則。おひとり様2万か3万円。手渡しの現金制度は無い。

安倍のパーティー。5千円。会費は会場で安倍事務所の職員が現金を受け取り、まとめてホテル側に払ったという。領収書は渡されてるのかどうか。

パーティーに関るすべての書類は無いと安倍は言う。
菅に至っては「遅滞なく、内閣府で破棄しました」とほざく。
日本語の使い方を間違っているし、必要とされている政治を遅滞なく行う、という使い方だ。

言葉の“誤用”がこの問題の全てを物語っているのかもしれない。

会費5千円の前夜祭。立食と言えどもあり得ない。ホテルにはそれなりの「格」がある。立食といえども5千円の会費だと言うにはニューオータニの「格」が下がる。

「現金貰い、ホテル発行の領収書を手渡した」。一人一人から現金貰い領収書を手渡す。その所要時間は?
子供に計算してもらえばいい。受付で1時間以上はかかるはず。
これはカネにまつわることのおかしさの一例。

桜を観る会は、総理大臣名のいわば公文書的招待状で成り立つ。
安倍事務所のツアー参加呼びかけ文書そのものが“インチキ”だ。
私文書に過ぎない。

安倍は連日の様に官邸内で「総理番」記者との立ち話で釈明に躍起だ。
立ち話を「ぶら下がり」と全メディアが呼ぶ。誰が何にぶら下がるの?

あれはかつてのテレビ、ラジオのいわば「業界用語」。一本のマイクコードから、記者たちの後ろに設置したカメラに音声を分岐することから付けた“造語”。

新聞はぶら下がりと言う言葉を使うのを止めなさい。

その立ち話しでも安倍は開き直る。
“いわばですね”“いってみれば”“ようするに”。しどろもどろの接続語。
紙を読んでしかしゃべれない奴が、即座に反応しようとするとしどろもどろの意味不明言語となる。

“うそ”をついている証拠。

そして開き直る。喧嘩腰で。これ以上なんかあるかと。
総理番は政治記者に成り立ての若者。二の矢、三の矢を放つ力量は無い。
でも、食らいつくべきだ。
マスコミが世論から非難されないためにも。

国会の議席からの醜い野次。どうもお育ちと関係してようだ。

安倍の所業で日本は醜い。異形の国になって来た。
芸能人よ、納得の上の参加ならともかく「偉い人」に「ぶら下がる」のは辞めろよ。
もっとも、芸能人、タレントの類は「昭恵夫人」のお気に入りだから。
おお、夫婦善哉か。

各界の功労者や業績のあった人が招待の対象と言うのなら、あの「ボラ爺」こと、尾畠春夫さんでも招待して見ろや。
ま、見事に断られるだろうけど。

もう安倍の話しはきょうはこれで終わります。

2019年11月4日月曜日

「ウソ」で始まった東京五輪のこと。

このブログで何回も書いて来たつもりだ。
担当しているラジオの番組でも何回か言って来た。

「2020東京オリンピック反対」と。「開催を返上しろ」と。

復興五輪と言う呼称も名目だけ。五輪にカネはかけても被災地は蚊帳の外。

酷暑の中での、マラソンなどに投入された国土改革のカネ。
海の中の競技。汚泥と腐臭が漂う海。

そんな中、マラソン、競歩が札幌にさせられた。IOC会長のいきなりのような鶴の一声で。

IOCもJOCも組織委員会もすべて伏魔殿だ。
そして、招致にあたり、「アンダーコントロール」と虚偽の状況を天下に恥じることなくのたまい、「7月の東京は温暖な気候だ」とにわか気象予報士になった安倍の大いなる嘘。

それが「嘘」だと大方の日本人は、国際社会は知っていながら嘘を黙認した。
アンダーコントロール発言も然り。

平然と「ウソ」を言い放つは彼の生来の持つ環境か。

招致にはあれだけ舞い踊っていた安倍が今度の混乱に沈黙を守っているのが解せない。言いだしっぺはケツを拭くべきなのに。

オリンピック招致には必ず「カネ」が絡んでいる。汚職として辞任したIOC委員が何人いたことか。
今回のオリンピックの開催時期。
アメリカのテレビ、三大ネットワークによる圧力だ。大きなスポーツイベントが無い時期だから。
そのテレビがIOCに払う「放映権料」は莫大だ。放映権料が無いと肥大化したオリンピックは成り立たなくなった。

そして、公式スポンサーなるものが日本のテレビ界をいように扱っている。
カネ・カネ・カネ。


タヌキおやじと女狐の無意味な争い。IOC会長がなんで今さら札幌を言ってくる。日本の夏の気候なんてとうにご存知のはずなのに。
いや誰しも知っていることなのに。ドーハを引き合いに出してのイチャモン。

札幌市長も寝耳に水と言ってはいるが。
国民も選手も不在の権力者の暗闘。

過日、熱中症に詳しい医者と話をした。
「MGCにしても、ドーハの大会にしてもマラソンに勝った選手は、身体を暑さに耐えうるよう作り上げてきた。栄養から体組成まで。
ドーハで倒れた選手は暑さを甘く見ていた。速く走る練習と暑さに耐える練習とでは違う」と。彼とは全く“合意ある決定”をみた。

ドーハで選考をかち得た選手は札幌では勝てない。

アスリートファーストというはやり言葉。都民ファーストという無意味な言葉。
連呼されてきた。

小池の最後の嫌味言葉。まさに借り物。
ブレグジットをめぐる英国を悩ませている“合意無き離脱”の借りもの。
嗤える。

復興五輪という別名があると聞く。どこが復興したのか。出来上がったのは東京の道路整備だけ。
選手村のマンションは払い下げになると言う。
埋立地の怖さは今度の台風災害でわかったはずだ。

地球温暖化は確実に進んでいる。スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさん、16歳の少女を支持する。

温暖化によって台風はますます熾烈になってくる。
「アンダーコントロール」の敷地内、その周辺の海。
台風の大雨で遮水壁の中が逸水寸前になった。翌日水位は下がっていた。あの雨水は何処にいたのだろう。誰が考えてもわかることだ。

温暖化対策で人間が出来ることはCO2の削減を図ること。その国際会議に中国、アメリカ、日本は加わろうとしない。

プラスチックごみを無くせと政府は言う。コンビニでも来年7月からはレジ袋3円となるとか。その「罰金」はどこにいくのだろう・・・。

政府の各種会議。テーブルの上にはペットボトルが並べられている。
嗤える。

クーベルタン男爵が「参加することに意義がある」としたオリンピックの位置づけ、ある意味哲学。それはもう五輪の何処にも無い。
あるのは「商業主義」と「国威発揚」。

もろもろ考える。

オリンピックはその役割をもう終えた。撤収作業に入ろう。

オリンピックが夢、表彰台に立ちたい。異口同音にアスリートと言われるスポーツは言う。そしてそれを目指す。
敢えて言う。「オリンピックという名の名誉の対象、それは子供の頃から植え付けられた一種のマインドコントロールだ」と。

各種の世界選手権がその最終目標だっていいじゃないか。

書き連ねるにつけ、無為なる日々と行為と出費が連綿と続いて行くようにさえ思えて来るのだが。

2019年10月29日火曜日

台風災害と高齢者

地球温暖化に起因する台風、自然災害。それは年々“熾烈”になってくる。
例えば、阿武隈川の氾濫もその規模は未曾有の様であった。
中小河川でも。
日が経つにつれて、被害の深刻さがわかってくる。

住み慣れた家、慣れ親しんだ家財があっという間に瓦礫、ゴミと化す。

ハザードマップで見る河川。それは人体の解剖図、血管の如く見えた。
中小河川が氾濫しても、それは1級河川の氾濫にも及ぶ。
中小河川は、ハザードマップに見ると国土の「毛細血管」と置き換えて考えてもいいのでは。
血管が詰まる、破れる。
脳の中の血管が詰まる。小さな血管にしてもそれが詰まれば「脳梗塞」だ。梗塞は流れても後遺症が残る。歩くこともままならない。河川の氾濫もその“後遺症”はなおらない、なおせない。

今回の災害で知人も多く被災した。追い打ちをかけてくるような豪雨に為すすべも無かった。

天災はますますその熾烈さを増すだろう。

「3・11」を体験したばかりだ。災害は建物だけでなく人間の生業(なりわい)そのものをも棄損する。
千葉から福島、宮城、長野、九州・・・。河川の決壊、氾濫だけではない。いわゆる内水氾濫も必ず起きる。

本宮、郡山、須賀川。浜通りのあちこち。
住み慣れた家が瓦礫と化し、ゴミとなって積み上げられていく。
その無念さを思う。

郡山では廃棄物処理場も被災した。
処理能力が足りない。
解決するまで数年はかかるとも言われる。

ゴミと化した自分の家の中に在った家財の多く。それを毎日眺めることになる。
辛さがわかる気がする。

今度の台風災害でこの国は多くの課題を背負った。

想定外はすべて想定内のなった。
河川の改修。膨大な国費の投入を計らねばならない。
人の命を、生活を守るためにも。

テレビを見ていた。いわき市に避難指示が出た。34万市民に避難しろという命令。
市民全員が入れる避難所なんか無い。

避難所生活は過酷だ。
避難所の「整備」。3・11の教訓として残されているはずだ。

避難所を巡る有機的なあり方。社会全体が取り組まなければならない。
空気を入れれば簡単に出来上るベッドのCMを見た。
自治体は食糧含め、トイレの問題含め、小さなテント状のような居住空間の確保まで。国も自治体もそれらの対処を進める「義務」がまさに発生しているのだ。

東京ではホームレスの受け入れを断った区がある。台風の中、そのホームレスを外に出す。段ボールを被ってその避難所の壁にもたれかかったままのホームレス。彼らにも基本的人権はあるはずだ。

そんな中、マスコミに取材を公開した渋谷の「再開発」の光景。
高層ビル群の街に変わった“故郷”渋谷。レポーターはその中から「夢」を語る。
地下には巨大な貯水槽がある。渋谷川、宇田川、東西の坂。
そこに濁流が派生しても水を「飲みこむ」機能が出来ている。
IT企業が入り豪華なたたずまいの高層ビル。

災害に起因する停電は必ず起きる。停電になった高層ビル。自家発電は当然完備されているだろうが。

空撮の渋谷のビル群を見て家内は言った。
「まるで墓場みたい」と。

テレビのワイドショーの司会者は言う。濁流を取材中の記者に。
「だれそれさん、十分気を付けてくださいね、取材に当たってくださいね」
違うだろう。気遣いを呼びかけるのは、その安否を気にする対象は災害の渦中にいる市民のはずだ。

水害での死者、その70%は高齢者だと言う。
避難所に行くことをあきらめた高齢者。
2階のベットの上から足の悪い夫を引き上げようとして力尽きた高齢の妻。

高齢化社会は急速に進む。
災害弱者としての高齢者。自らの身を思いながら、その在り方を考える。
結論は出ない。

災害時、善意のボランティアが片づけを手伝ってくれている。
ボランティアがいなければ高齢者の住宅では何もてにつかない。
ボランティアは「自己完結」とされている。
ボランティアに対する制度の在り方も再検討すべきだ。

自衛隊にはいつも助けられている。人を救うことに、助け上げることに空挺団は生甲斐を感じているはず。
誰しも無条件に「ありがとうございます」と何だながらに礼の言葉を言う。
その被災者の言葉に涙する自衛官もいる。

その「長」である河野太郎防衛大臣は、災害の傷跡も癒えぬ時に、自分の政治資金パーティーで「私は雨男と言われています」とシャレにもならない冗談を言って場の空気を盛り上げようとした。
この十日間、災害に苦しんでいる中で、政治の場では不祥事があり、大臣はバカなことを言っている。

昭和の日本はこんな国では無かったはずだが・・・。
何を書いても言い尽くせない、この国の姿。

2019年10月19日土曜日

自然は人類を見限ったのかも。

台風19号が甚大な被害をもたらしてはや一週間。
被害は続いており、被災された方々の「悲嘆」「苦労」如何ばかりかと。

我「当事者」にあらねども、「思い、考える」ことしか出来ぬのが歯がゆい。

台風19号の被害。我が家は無事だった。しかし、近くの中小河川の氾濫は多くの被害を目の当たりにしてくれている。
知人の多くも被災したと聞いた。

災害がある度に、我々が手にしてきた科学文明の進歩が、無残に打ち負かされていく。
台風の後には地震が来るともいう。現に、その「大きさ」は巨大ではないが、不吉な災害も予想される。

関東大震災、昭和初期の室戸台風。自然災害の度に引き合いに出される寺田寅彦の言葉。
「文明が進めば進むほど、天然の暴威による災害はその激烈さの度合いを増す」
まさに然りだ。

「国中に電線やパイプ、交通網がはりめぐらされた有様は、人間の神経や血管と同様である。その一カ所が故障すれば、影響は全体に波及する」とも。
ハザードマップを見ると“血管”の様子が人間の血管の張り巡らされている様子に重なる。

永平寺にある「水五訓」の中の記述。。
“自ら活動して他を動かしむるは水なり”
“障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり”
”常に己の進路を求めて止まざるは水なり“

本来は水に喩えた人生訓なのだが・・・。

東日本大震災時、高台にうずもれていた石碑がいくつも見つかっている。
先人のが身を以って記した後世への遺訓だ。

「これより下に家を建てるべからず」。

東日本大震災の津波は、それらの碑の前まで来ていた。

もって瞑すべしだ。

治山治水。国策の要諦だ。
徳川家康も武田信玄もいかにして川の氾濫を食い止めるかに腐心した。
領民を総動員する形で、人力を主に、堤防をつくり、暴れ川の川幅を広げ、蛇行を修繕することに腐心したと言う。

阿武隈川の増水、反乱。その支流のバックウオーター現象。
本宮と言う町は完膚なきまでにやられた。

1級河川を管理するのは国土交通省。
国交省の「人為ミス」で、氾濫被害にあった事象が目立つ。
ダムの放流に際しても然りだ。

人間には「安全バイアス」という脳の作用がある。

そのバイアスが働き過ぎたのかも。

安倍晋三の首相就任にあたってのキャッチコピー。「美しい国」。
法律としての国土強靭化。
眉唾であったような気がしてならない。

政治家の発言や行動には、その人の見識、人間性を疑わせるようなものが多々あった。
それを「無責任バイアス」とでも名付けるか。

今も、被災地の復旧を妨げる無情の雨。
吾、「当事者」にあらねども辛さとくやしさぞ増す。

どうしてこの人が率いる内閣って災害に対してこんなに動きが鈍いのだろうか。

そして、間違いなく言えることは、この種の災害はまだまだ発生する。

自然は人間を見くびっている。

せめて東京の都心にある「地下神殿」を、あるいはそれに類する類の対策を、避難所とされたところの居住環境の整備。

溢れだす水、水が無いと苦境を訴える人々。
泥を流す水も無いということ。
御託を並べず、泥に浸かりながら作業に当たる消防団などの民間人、そしてボランティアにただただ敬意を表する。

偽善めいた“視察”、その翌日「調査の結果、激甚災害にしてします」。

美し国の「正体」を見た。

2019年10月12日土曜日

埋没した「福島原発」

きのう、あるところで台風19号の脅威の話をしてきた。
国連の気候行動サミットで地球温暖化に激しく抗議するスエーデンの16歳の少女、グレタ・トゥンベリさんのスピーチの話を交えて。

台風19号の猛威に関して、福島県民は福島原発の廃炉作業に大きな関心があること、1Fがどんな影響、被害を受けるかということ。
解体中の排気塔がどうなるかということ。
建屋の中に溜った水が海中に漏れ出さないかということ。

今日は朝からテレビの台風情報に観ている。
そこから1Fに関する危惧を話題にしたところはない。おそらく。
新聞も県紙や中央紙の県版でも扱いは小さい。

もちろん、自分たちの周りの、現象や被害に関心があるのは当然だが、1Fga気になる。

郡山も警報や非難情報が度々発令されている。
天気図を見ると1F直撃だ。
そのことが非常に気になる。

テレビも新聞も、大方は「東京発」だ。全国の様子も気になるが・・。

高齢者、障害者は避難と言われるが
避難所に行きようが無い身、夫婦と犬で家にこもることにした。
原発よりもわが身を心配しろといわれるかもしれないが、為す術は無い。

竜巻もあった。飛ばされている家もある。水没した民家も、氾濫した河川もある。停電も発生している・・・。

1Fになにがあろうと即座の被害はないのだろうが。
やはり気になる。

多くの被害が出ている中で1Fのことは埋没しているような気がして。

とりあえず、今、思っていること。

阿武隈川の近くはレベル4の警報がだされた。不安なること計り知れず。

2019年10月3日木曜日

「香港のデモ」から思い浮かんだこと

香港で起きている若者中心のデモ。ついに警官は拳銃を抜いた。発砲した。
撃たれた学生、高校生は一命を取りとめたが。
高校生の通う学校では生徒たちが抗議行動に入っている。

大人たちも、昼休みにはデモ行進を行ている。
今夜も抗議デモの参加者は増え、香港はさまざまな機能が「マヒ」状態になるだろう。

香港の学生たちを主体にしたデモ、警察の発砲。妄想めいたことが浮かんできた。“未完のストーリー”めいたもの。

“一つの家庭がある。父親の職業は警察官。機動隊に配属されている。
その日も高校生の子供は、朝学校に行った。
出がけに父親と母親が声を掛けた。気を付けてね。と。
子どもはいつものように行政府に抗議するデモに参加した。
少なくとも彼は「自由」について学び、考えて来た。
香港を中国から完全独立させるべきだと考えていた。

デモの現場は荒れていた。警官隊は催涙ガスを撃ち、デモ隊と対峙し、ごぼう抜きのように学生たちを引っこ抜いて警棒で殴打し続けていた。
一人の若者が警察の側に引っ張り出された。
その日、彼の父親は機動隊員として、鎮圧に当たっていた。
ひきずり出された若者。殴打している途中に顔の黒いマスクが剥がれた。
それは自分の息子だった。
その警察官はそれ以上警棒をふるえるのだろうか・・・。“

頭の中は「3・11」後、テレビの番組で人気を呼んだ、サンデル教授の白熱教室を思い出す。
これからの「正義」の話をしよう。
“一人を殺せば5人が助かるという場面があったとしたら、あなたはその一人を殺すべきか”
道徳的、哲学的な問題提起のいくつか。サンデル教授は答えはださない。
教室にいる聴衆にさまざま議論させる。
もし香港の事象をテーマにしたら教室にはどんな議論が展開されただろうか。

さまざま「大衆運動」の歴史を想起する。

天安門事件の際、軍の戦闘車両の前にいわば素手でその行く手を遮ろうとした若者がいたこと。彼は素手なるが故に戦車の運転手はブレーキを踏んだ。
何回も。

日本の歴史。安保闘争は権力に敗れた。
東大安田講堂事件も結局、警察に鎮圧された。
大学国家管理法が生まれた。

4年前の官邸前での市民行動・・・。

原発反対の市民行動・・・。

警察とは常に権力者を守るためにあるのだろうか。
市民の側に立てないものなのだろうか。
時の権力者は守るべきという至上命題があるのだろうか。

香港を考え、22歳の運動の指導者周庭さんのことを考える。
少なくとも最近メディアの画像には登場しないが。
地球温暖化防止を訴えたスエーデンのグレタ・トウーベリンという16歳の少女の事を考える。
「人々は苦しんでいます。人々は死んでいます。生態系は崩壊しつつあります。
未来の世代の眼はあなた方に向けられています。もしあなた方が私たちを裏切るのなら私は言います。あなた方を絶対許さない」と。

周庭さんもトウーベリンさんも“これからの「正義」の話をしている”ように思えてならない。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...