2015年9月4日金曜日

どっかで「たが」がゆるんでる

「たが」。漢字で書くと箍。
たがが外れる。たがが緩む。ひらたくえいえば「たるんでいる」とでもいうことか。桶の枠組みを固定していた輪の状態だ。
締め付けて形を維持していたものがなくなり、それまでの秩序が失われることと辞書にはある。緊張が解けて派目を外すという意味も書かれている。

今、政治もその哲学や理念、ありかたについてまったくタガが外れ緩み、この国を支えてきた立憲主義という概念から枠が外れ、憲法という”締め付け“を無い物とし、戦後かろうじて維持されてきた”秩序“が失われつつあるのだ。

政治の場でもその関係性は然りだ。
東京オリンピックのロゴマークの迷走。意味不明のような競技場の建設問題。

責任と言うことを言うなら、それははっきりしているのに、それをどこかになすりつけようとばかりしている。

あの「招致決定」のIOCの発表があった時から言っている。
「東京オリンピックは返上すべきだ」と。
それが、日本人としての日本人らしい潔さだと。
オリンピックに血道を挙げ、多額の金を投じることに何の意味があるのかと。
オリンピックの前にやらねばならないことがあるというのに。

やらねばならないこと。その一つの大きなものが原発事故の後始末だ。あらゆる意味での後始末だ。

後始末は多岐にわたっている。もはや、何を語ればいいのかもわからないくらいだ。

4年後の、2巡目の甲状腺検査では新たに25人もの”患者“が出た。医者の見解もまちまちだ。そのことに政治は介入すべきではないにもかかわらず、なんか意図的なものも感じる。それは見解の言葉遣いの問題ではないはず。

サブドレーンの汚染水をろ過、浄化して海洋放出の準備が進んでいる。そんな中、1F構内では、またも冷却装置の故障。

どこかで作業の中にタガが外れているのではないのか。緩んでいるのではとも。

そして、またロボットが投入される。それに頼るしかないのだが、いつもその結果は心もとない。

中間貯蔵施設。試験輸送は始まった。しかし、その施設は全く持って完成してはいない。フレコンバッグは無くならないのだ。

今日と言えばいいのか明日と言えばいのか。楢葉町では全町の避難指示が解除される。
それを待ち受ける町民や周辺住民の「複雑な人間模様」。

指定廃棄物の処理場を巡って、地元と国との間の齟齬はより激しくなっている。
今さら、今頃いうのもなんだけど、中間貯蔵施設を国の責任でどこかに作るなんて嘘八百だ。

なんだろう・・・。上手い喩えは無いが“虚飾”にまみれたオリンピックを一つのメルクマールにして、“フクシマ”が動いている、動かされているの感ありなのだ。

この国の中で、さまざまな分野でタガが緩んでいる。外れている。
それを締め直す人はいない。

なんとなく思うことの少々を列挙。

そして、タガが外れてしまったような我が身、我が頭脳・・・。

いろんな意味で「リハビリ」という言葉が重い意味を持っているようで。

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