2015年8月31日月曜日

八月の終わりに・・・

秋霖と呼ぶのが相応しいのか。雨また雨の気候。8月はまだ夏のはずなのに。
気象変動とでもいうのか。異常気象ということか。
寒いという言葉が至極当然のように口をついて出る。

何かが「変わる」前触れなのかなとも。

多少の私事。
今年は、8月と言う季節を“まともに”味わっていない。
7月17日の入院。8月の退院。リハビリの日々。考えることも、それを文字化することも難儀な日々。
挙句に尻に粉瘤という瘤のような物が出来、それの摘出手術。痛みゆえに椅子に座ることもままならず。
肉体も神経も、その不具合さにつき合わされ・・・。なのであります。
友人の一人は「こぶとり爺さん」と言ってはくれましたが。

身体がどうであろうと、精神がどうであろうと、これだけは書いておきたかったこと。
8月の終わりに行われた国会前のデモのこと。

国会議事堂前は知悉した場所であり、記憶から抜けない場所だ。
「日米安全保障条約」なる“得体のしれない”ものを巡っての。そして、長年の職場でもあったことをからめて。

60年安保。そこにあった光景は全くカラフルではなく、モノクロの、白と黒との乱闘の場であった。中には僕のような全くのノンポリであり、ただ、そこに行かねばならないという思い込みで参加していた学生もいたにはいたが、デモの参加者は、多くが組織労働者であり、組織化された学生だった。
警棒が振り下ろされ、ジェラルミンの盾が小さな要塞のようであり、放水が繰り返され、道路を占拠したデモ隊がジグザグデモを繰り返す、異様な光景の場所であり、煌々と照らされた国会議事堂の中も異様、異常だった。

そのデモから数年後、その界隈は仕事場になっていた。国会周辺の風景や地形は知悉している。
その道路が人で覆い尽くされるということのおおよその数の想像まで。
12万人の人があの場にいたという。映像を通して見える光景はあまりにもカラフルだ。
労働歌や学連の歌しか聞こえなかったのが、思い思いの歌声や、ドラム、ラップのリズムに代わっている。ファッション雑誌から抜け出してきたような女性が多数いる。

数人の若者が声を上げ始め、ネットをツールにした呼びかけに呼応した人たちが集まる。それぞれの意志で。まったく組織化や動員されてはいない人たち。

約55年前とは比べようもないデモのありかた。そして”武装“していない警察官のソフト警備。

安保反対、安倍打倒、戦争法案反対と声があがる。若者に呼応して立ち上がり、声を挙げ、行動を共にした大人たち。学者や文化人、知識人・・・。

彼らが叫ぶ”安倍“は、アベシンゾウという「個体」ではない。安倍に象徴される今の政治への転換なのだ。だから場所は国会なのであり、安倍の居住区ではないのだ。

彼らはこの国の政治の在り方を変えたいのだ。

「閉塞感」なるものが政治に起因していることを敏感に察知し、それへの抗議の意思を示しているのだ。

「民主主義社会なのだから、選挙を通じて変えよう」。そんな議会制民主主義と言う名の“まやかし”を変えようとしているのだ。これまでの通り一遍の”民主主義“への疑義を表明しているのだ。

それに政治家は気が付いていない。旧態依然の“価値観”でしかデモを謗れない。彼らは決して政治への無関心層ではない。
今の選挙制度の欺瞞を見破っているのだ。
代理性民主主義の”弊害“を感じ取っているのだ。
国会議員には任せておけないという意識に「覚醒」したのだ。

そんな思いにとらわれる。

だから、3・11後に登場したニーバーの祈りの言葉が蘇ってくるのだ。

神よ、
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。

2015年8月にはこの言葉が一番相応しいのかもしれない。

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