2015年8月13日木曜日

「責任」という“空語”

お盆の入り。生憎の雨模様。仏壇の祖母と母の遺影に手を合せる。花と線香を手向けて。いささかの御供え物も。70年前には絶対に口に入れることが叶わなかった甘いものも添えて。
去年のお盆より、仏壇の前にいる時間は長かった。写真をずっと見入っていた。戦争を生き抜いてきた二人の女性と語り合うように・・・。

もはや安倍政治について語ることには何等の意味を持ち合わせないと言う感が増す。
これほど“最低”な、総理大臣と言うポストについた政治家は見たことが無い。

この政権が続く限り、この国は内部崩壊を起こすだろうとの危惧が増す。

こんな男がなぜ総理大臣に成れたのか。総理大臣にしてしまったのか。戦後史の謎であり、戦後70年を経たこの国の大きな“罪科”ですらある。

この政治家には日本人としての日本語力が全く欠如している。言葉の価値、その大きさに全く無神経だ。言葉を冒涜している。

なぜならば、公然と平然と“嘘をつく」ということであり、それにいっぺんの逡巡や後ろめたさも持たない。

「最高責任者としての総理大臣なのだ。俺が言っていることはすべて正しい。俺のいうここだけ聞いていればいい」。
そんな独善的思考にこりかたまり、一切抜け出ようとしない性格。多言に耳を傾けない。自分の「お仲間」以外は。

第一次政権時、福島原発に関して重大事故は断じて起こらない」と国会で断言した。事故は起きた。自分の前言は失脚させている。
免罪符のように時の政権、民主党にいいがかりめいたことをわめくだけ。

知性も品性も品格も無い政治家なのだ。

安保法制。抑止力を語る。安全保障を語る。全て「武力」が前提の。勝つ“戦争”のことしか念頭に無い。後方支援と言う。武器弾薬を米軍の兵站を輸送するという。

先の大戦。狙われたのは輸送船だ。兵糧攻めが昔からの兵法だ。飢餓による死者が敗戦を決定づけた。

武力だけが戦争ではないののだ。

安全保障。食の安全保障。福祉の安全保障。そしてもっかの問題。原発の安全保障。

電力会社が責任を負うと言ってはばからない政権。安全とは言っていないと煙に巻く規制委員会委員長。
学者の良心で「原発再稼働は駄目だ」といってもいいのに。安保法制や憲法で学者が政権に異論を突き付ける。なぜ大方の原子力学者ははっきりものをいわないのだ。

元首相がこぞって安倍政治に異を唱える。それは歯牙にもかけない。
非核3原則はどうでもいいことなんだろう。けしからんと言われてあわてて文言だけを入れる。その言葉を彼は決して尊重しているわけではない。

ようするに単なるわがままお坊ちゃま。国の将来なんて関係ないのだろう。
明日、談話を出すと言う。中身よりも70年で談話を出した首相として名を残したいだけなんだろう。

彼のおかしさをいちいち言っていてもきりがない。とにかく彼は言辞において責任を感じない男なのだ。


明日の彼の談話、翌日の陛下のお言葉。もし二つの言葉の中に齟齬や異があれば、この国は何を指針に進んでいけばいいのか・・・。

平成27年。長州が朝敵になるやもしれずだ。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...