1970年代の初め頃、ベトナム戦争の頃、フォークソングで“戦争をしらないこどもたち”と言う歌が大ヒットしていた。
♪戦争を知らずに僕らは生まれた。平和の歌を口ずさみながら。僕らの名前を憶えてほしい、戦争を知らない子どもたちさ・・・♪。
おおよそそんな歌詞。反戦歌と言われていたが、どうもこの歌の歌詞が理解できなかった。
戦争を知らない子ども達。その位置づけがわからないのだ。知らないことがいいのか、悪いのか。
「戦争法案」をめぐる反対運動から僕は多くのことを学んだような気がする。
「若者」のことだ。
官邸前に集う“シールズ”の若者たち。17,8歳から20歳過ぎの「普通の学生」。
彼らは彼らなりに「戦争」というものを知って、それに反対の意思表示をしている。
シールズの若者も、高校生のデモ参加者たちも、戦争を知ろうとしてきた。戦争を自分たちで学んだ。
彼らは自らを「戦争を知らないこどもたち」とは呼ばない。彼らは「戦争を知らない大人たち」を非難しているように見受けられる。
「知らない」のは自分たちの親の世代だ。親たちの世代は、たとえば地方議会の議員などがSNSを使って彼らを脅す。就職出来ないぞと。彼らは返す。そんな会社には就職しないと。
親たちの世代。受け身であった世代。たとえば「失われた20年」に身をおいて、「誰も戦争のことを教えてくれなかった」という価値観を持っている世代。
戦争は、黙っていても、誰かが懇切丁寧に教えてくれるものではない。何事もそうだ。学ぶということは「自らが取りに行く作業」なのだ。
それは原発問題とも似通っている。
知らないということを他人のせいにするなよ。自分でつかめ、取りにいけ。ってね。
戦争を知る世代は減っているという。訳知り顔をしたメディアがいう。NHKの調査だと言う。アンケート、正解は1945年8月6日、9日、15日だとか。
なんか「戦争を知らない若者」って、それこそ“レッテル貼り”じゃないのかか。意図的に若者を貶めるかのような。
今の若者、結構「知っている」んだ。知っているから、知ったから声をあげているんじゃないのかな。
確かに、皆、年をとってくるのだから、年寄から戦争のことを聞く、聞かされる機会は少なくなってくる。だから、本でもいい、記録でもいい。自分たちが自ら学んで、自分たちで知る努力をするんだよ。
自らが望んで取りにいったものは忘れない。口をあけて待っていたところに放りこまれた知識は忘れるんだ。
きのう、広島の原爆忌に合わせるように全国高校野球が始まった。100年目の高校野球。奇しくも出場校になった初回の参加校、京都の鳥羽高校の梅谷主将。
“100年間、高校野球は日本の歴史とともに歩んできました。この100年、日本は激動と困難を乗り越えて本日の平和を成し遂げました。
次の100年を担う者として、8月6日の意味を深く胸に刻み、甲子園で躍動することを誓います”。
8月6日の意味をつかもうとしている高校3年生。8月6日を知ることは戦争を知ることになるんだ。
若者に希望をつなぐ酷暑の8月。
2015年8月7日金曜日
“チェルノブイリ”異聞
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