8月15日を挟んで、ずっと「戦争」のことを考えていた。
「なぜ戦争が起きたのか」「なぜ戦争があったのか」「なぜ戦争をやめることができなかったのか」
なぜ、なぜ、なぜの疑問は、結局は疑問のままだった。
おかしな喩えだが、この国は70年が経っても「戦後のリハビリ」が終わっていないようだ。
70年が経過した。連日のように戦争体験者の話を見聞きした。そして思った。
「語り部たちは確実に老いて行っている」ということ。そして、「語る言葉」を失いかけているようにも思えるということ。
今年も彼らから多くの事を学んだ。その中でも重要なことの一つが「自分で考える」と言うことが、いつの時代にあってもいかに大切かということだ。
戦争をどう語るか。難しい問題だとあらためて思う。歴史としてだけ語ることと。人間が人間としてあるべきという立場から考えるということと。
どちらにしても、あの戦争時、大方の国民が、戦争遂行を声高に言う国の方針をほとんど無条件に受け入れ、国の言うことを信用し、それに“服従”してきた最大の要因は、国民が自分で考えるということを放棄してきたのではないかということ。
軍部のいうこと、それに追従する報道を、いわば押し付けられたことどもをほとんど何も考えずに鵜呑みにしていたということが最大の問題だったのではないかと。
自分の頭で考えないと、考えなくなると「間違い」に気付かない。何が間違っているかさえわからない。
国全体が進んでいる方向に身をおくことの尾心地の良さ。
それは70年以上も前も、今も変わっていないということ。
少なくとも“安倍信者”なる人達は、“何も考えていない人”の典型かとも思う。
中4日をあけたブログ。中4日、安倍はゴルフに興じ、茶坊主どもがお相手をしていた。何も考えていないテレビ屋もその仲間だった。
その昔は、仕事仲間であり飲み仲間であった、今は“権力亡者”と変身してしまったような男・・・。
安倍の「リハビリ」だったのだろう。“部下”たちは仕事を余儀なくさせられているというのに。
先憂後楽。権力者への戒めの箴言であったはずだが。
私事。
なぜに4日も空けたか。肉体のリハビリによるものだ。
病院でリハビリの日はやはり相当な疲労がある。家でやるリハビリもだ。
悔しい病になったものだと慨嘆しても致し方なく。
その疲労は2日後まで尾を引く。
身体の疲労は思考の疲労にもつながるような。
8月1半ばが締め切りだった原稿2本。何よりも思うに任せぬ手と指。
考えて、考えて、考えすぎるまで考えて・・・。考えたものを文字にすることが出来ないという困惑。それも疲労にわをかける。
ま、リハビリなるものをも“仕事”と心得て・・・。
2015年8月19日水曜日
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