2016年8月31日水曜日

「歳をとる」ということ

昔、誰かの言葉に「若さというのは、若い者だけが持っているのは余りにももったいないものだ」と言うのがあった。

若さ。それは行動力もあり、知識を吸収できる能力もあり、さまざまな“可能性”を持っているということだ。
歳をとるということは、それらを為すことがだんだん難しくなってくるということだ。
だから、何も考えず、「若さ」という“特権”を行使だけしている若者に与えられている”特権“を、若いということの意味を理解してない若者に対して、いささかの嫉妬を交えた箴言だと思った。

仏教用語に「四苦八苦」というのがある。
「四苦」とは、生・老・病・死を指す。生まれてきた苦しみ、老いて行くと言う苦しみ、病を得るという苦しみ、必ず訪れる死という苦しみ・・・。

この「四苦」ということについても、人それぞれ、それぞれの年代によって受け止め方、考え方が違う。

高齢化社会。誰でもそのことは知っている。しかし、それを実感している世代と、体感している世代と、「社会問題」として捉えている世代とでは、どこか“相違”するものがある。

昨日、公安員会から運転免許更新の通知が来た。後期高齢者の講習通知。3年前はまだちょっとした講習と実技だった。
今度はそれに認知症検査が追加されている。講習時間も長そうだ。

市から「敬老会」の案内が届いていた。参加すれば記念品をくれると言う。
もちろん行くわけは無いけれど・・・。

年齢を、年寄だということを“公的機関”から知らされると言うこと。

自分ではまだ「老人」、「高齢者」という意識が希薄だ。
たしかに、去年の“脳梗塞”以来、体力は急激に落ちている。体力的に年をとったな、との実感はある。

しかし、頭の中は、まだまだ多くの事を吸収したいという“欲望”に溢れている。
その欲求はむしろ増しているようだ。

年金暮らしであるにも関わらず、新聞で得た“情報”をもとに、すぐ本を買う。
アマゾンでは買わない。手に取って字の大きさを確認しないといけないから。

そして、さまざまな「世相」について考えることが多くなっている。
ただし、問題なのは、本を読んでもその中身を“忘れて”しまうことが多いのが悩みなのだが。

むのたけじさんが亡くなった。101歳。今年の「憲法集会」での振り絞るような演説を聴いた。経歴含め「反骨の士」だ。

笑い話のようだが、かかりつけ医に言った。
「101歳まで生きたい」と。彼は真顔で答えてくれた。「生かします」と。それは単なる“延命”ではないと言うことはお互い納得の上でだ。

永六輔、大橋巨泉・・・。物言う大人が、老人が相次いで亡くなっていく。

「歳をとる」ということは、自らの経験も含めて、「物を言い続けること」だと思っている。だから常に考え事ばかりして“疲れて”いる。

古典に通暁した名伯楽とでもいうような知人がいる。98歳。脚はかなり衰えているが毎朝木刀の素振りは欠かさないそうだ。
彼はいつの頃からかサムエル・ウルマンの「青春」という詩を座右に置いている・・・。

永六輔も巨泉も、むのたけじも「孤独に思考し、一人の人間」として物を言ってきた。と思う。

いかなる組織にも属さず、群れずに、彼らの後に続きたいと思う。

だから、一人で自分の言葉で喋る。
自分の言葉で、書き続ける。

台風の中、濁流の中に立っていた水鳥のように・・・。

2016年8月28日日曜日

「放射性物質簡易検査報告書」

福島県内の知人から、福島県産の「ぶどう」を貰った。箱に入ったぶどう。箱を開けると一枚の紙がついている。

放射性物質簡易検査報告書。JAが生産者に渡した“報告”

セシウム134・セシウム137、検出せず。
「簡易分析したもので、あくまでも目安の値です。結果の数値については証明するものではありません」との付記も。

「お墨付き」がなければ“流通”出来ないということなのだろう。
5年後に収穫されたブドウの現状。

これが今の「福島」なのだ。

米は全袋やっとNDだったと言う報道。安堵する米農家。5年後の福島なのだ。

テレビでは毎夕空間放射線量を“義務”のように伝えている。1Fの排水口付近の線量も。

いわき沖では、やっとヒラメの試験操業が可能になった。何の魚種にしてもいわきの水産業、漁獲量は減少したままだ。
でも、漁協は「一歩前進」と受け止める。

3・11前までは“常磐もの”は人気商品だった。
いま、いわき漁協の、漁業者たちは「築地市場移転」の話題をどう感じているのだろう。

相変わらず「ノンベクレル」という“評価”が一部で大手を振って吹聴されている。例えば牛乳・・・。

なんか“くそくらえ”という感情に捉われる。

「証明」、「お墨付き」が無いと売りに出せない農作物・・・。

「福島では何も終わっていない」ということなのだ。

過日の台風9号。豪雨は福島も襲った。1F構内には大量の雨水が流れ込んだ。
遮水壁ぎりぎりだったと東電は言う。汚染水タンクに収容された雨水は高濃度の汚染だったという。

“東京電力は22日、台風9号による降雨の影響で、福島第1原発の護岸に設置された井戸から汚染地下水が地上にあふれ、港湾内に流出する恐れがあると発表した。地下水があふれ出ないよう、東電は護岸に設置された五つの井戸「地下水ドレン」などから、断続的に地下水をくみ上げている。東電によると、22日午後4時50分現在、海抜約4メートルの護岸地上に対し、観測用井戸で測定された地下水位は約3メートル50で余裕は約50センチしかなかった。
 構内の山側から海抜の低い護岸に流れ込む地下水は、護岸沿いに鋼管を打ち込んで造られた「海側遮水壁」でせき止められている。護岸付近にたまった地下水は地中の放射性物質で汚染されているため、地下水ドレンでくみ上げた後に浄化し、港湾内に放出している。
 地下水ドレンからくみ上げられた地下水は一時、中継タンクに保管される。東電が12日に採取した中継タンクA内の放射性物質濃度は、セシウム134が不検出、セシウム137が1リットル当たり9.9ベクレル、ストロンチウム90などベータ線を出す放射性物質が同4700ベクレル、トリチウム(三重水素)が同3334ベクレルだった“。

地元紙の記事だ。1Fの現状だ。

まだ進路が定まらない台風10号。それが直撃することだってあり得る。


地震が頻発している。地球規模で。
「この地震による原発への影響はりませんでした」と、地震速報の度にテレビは“教えて”くれる。

台風に関しては、1F状況はほとんど報じられない。

テレビが映し出すのは、豪雨、暴風雨が吹き荒れる、いや吹き荒れそうな、言ってみれば「絵になる光景」ばかりだ。レポーターの「奮戦風景」だけだ。
被害があったがけ崩れ、倒木・・・。

その「絵になる」報道を否定しているわけではない。絵になるかならないか。その取捨選択はテレビの「宿命」のようなものだから。

1F構内の雨水の状況は絵にならない、絵に出来ない・・・。

被害にあっていない多くの人は、交通手段だけが気になる。難儀する。
天気予報だけが気になる。傘があろうが無かろうが。身近な身の回りの出来事が気になる。

1Fを心配する人がどれだけいるのだろうか。

もし「1F構内」で、排水口付近で豪雨がもたらした汚染水流出が発生したらどうなるのか。どうするのか。

「忘れてはいけない福島」。豪雨もその一事なのだ。
そして豪雨はせっかくNDになっている農作物にも無限の被害を与えかねないのだし。

2016年8月26日金曜日

オリンピックの「余韻」として・・・

リオ・オリンピックが終わった。
その終わり方、狂騒曲としてのオリンピックだったとすれば、そのエピローグは余りにもひどかった。

言わずと知れた安倍のアニメのキャラクターに扮した登場。国家がオリンピックに介入していることを臆面もなく見せつけた、あまりにも、笑うにも笑えない“醜さ”とでも言おうか・・・。

笑止千万とはこういうことでもあり、国が国家がオリンピックに積極的に介入し、オリンピックを政治利用していることの証左だ。

語るにも「おぞましい」光景だったが・・・。

1964年の東京オリンピック。ようやく各家庭に普及したテレビに人々は釘付けになった。
死闘を繰り返した女子バレーボール。鬼の大松と呼ばれた大松監督は参院議員になった。全国区での当選。

前にも書いたが、その後もオリンピックで名を馳せた選手が相次いで国会議員に。

国家と政治とオリンピックと。

2020年に向けて我々は考え直さなければならない課題を持たされた。

オリンピックにまつわる過去の出来事だ。

一人の男の死・・・。

1964年の東京オリンピック。男子マラソン。走路は我が家のすぐ近くの甲州街道だった。調布での折り返し。
まだテレビは完全生中継が出来なかった頃だ。

国立競技場に入って来たのはエチオピアのアベベ、次いで日本の円谷幸吉だった。円谷の顔は苦しそうだった。首を振り、歯を食いしばり、ゴール直前で3位だったイギリスのヒートリー選手に抜かれ3位、銅メダルを獲得した。

円谷幸吉は福島県須賀川市の出身だ。自衛隊体育学校に所属していた。
戦後、陸上競技でメダルを獲得したには初めて。
国内は湧きに沸き次のメキシコオリンピックへの期待が高まった。
しかし、彼は練習のし過ぎからか。腰を痛め、両脚のアキレス腱も切っていた。

婚約者がいた。練習の妨げになると自衛隊の上司が結婚をあきらめさせた。
その婚約者は他家に嫁いだ。

メキシコ大会を目前に彼は自衛隊の宿舎の自室で剃刀で頸動脈を切り自死した。

家族にあてた遺書はその後も語り継がれていた。

「父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうございました」で始まる遺書。
親戚全員への思い出を書き連ねた。

「父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
何卒 お許し下さい。
気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。
幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。」と書かれていた。

メキシコオリンピック。日本は君原健二が銀メダルを獲得した。ゴール手前で後続に迫られたがそれを振り切った。

「なぜあのとき、普段はしない『振り返り』をしたのか、実はいまでもわかりません。きっと、天国からの円谷さんのメッセージだったと思います」
君原の言葉だ。

君原は”証言“する。
「円谷さんは東京五輪の直後から、『国民の前でぶざまな姿をさらしてしまった』と自らを責めていました。亡くなる半年前の大会でも、腰に故障を抱えながら『メキシコで日の丸を掲げる』と思いつめていました。」と。

「国民の期待」という過度のプレッシャー。自衛隊と言う組織の“圧力”。
一人のアスリートの命をも呑み込んでしまった「国威発揚」・・・。
オリンピックという「魔物」。

彼は「走ることを楽しんだ」とは言っていなかった。

毎年10月、須賀川では「円谷幸吉メモリアルマラソン」が行われている。
県民をはじめ、多数の参加者もいると聞く・・・。
50数年前の事を知っているかどうかはわからないが。

福島に住むことになって、余計に彼の事を思い出す。
オリンピックがある度に。

2016年8月22日月曜日

“グッドルーザ”ということ

オリンピックのことをまた書く。

グッドルーザーという言葉がある。悪びれない敗者という意味だそうだ。
「ウインブルドンの観客はグッドルーザーに惜しみない拍手を送る」。
テニス界にある“伝統的”な言葉だと聞いた。

リオ・オリンピック。女子陸上5,000M競技。
予選の競技の最中、アメリカの選手とニュージーランドの選手が接触して、二人ともトラックの上に倒れた。
アメリカの選手はすぐに起き上ったが、ニュージーランドの選手はなかなか起き上がれなかった。
「立って、最後まで走り続けないと」励ますアメリカの選手。

ようやく二人は走り始めた。そして気づく。
手を差し伸べ、起き上がらせたアメリカの選手は足を負傷していたのだ。
今度はニュージーランドの選手がアメリカの選手に手を差し伸べる。

そして二人はレースを走りきった。

この手の話しにはなぜか泣ける。涙が溢れる。

作られた美しい話ではない。現実に目の前にあった出来事なのだから。

昨日、吉田沙保里の事を書いた。
彼女はこれからもレスリングとかかわっていくだろう。
後進の指導にもあたるだろう。

彼女は負けて良かったのだ。

負けを知ったから勝の重さを余計に知る。
負けたということの体験が指導者としての彼女をさらに成長させる。

彼女はグッドルーザーであるべきなのだ。

話しは変わるが・・・。

1964年の東京オリンピック。それを機にこの国は「高度経済成長」にまっしぐらに突入していった。新幹線、高層道路、各種のインフラ整備・・・。
今のこの国の“原点”を作った。それがこの国にとってよかったのかどうか。

マラソンの円谷幸吉がお詫びの遺書を書いて自死した・・・。

リオ・オリンピック。ブラジルには「負の遺産」は残らないのだろうか。

2020年の東京オリンピック。選手はそこでの活躍を誓う人もいる。どうもメディアがその「言」を無理強いさせているようにも思える時があるのだが。

安倍がアンダーコントロールと公言した1Fはもちろんアンダーコントロール下には無い。
2020年、安倍は首相でいるつもりだ。「栄光」の中にいたいと考えているのだろう。

リオ・オリンピック。テレビはその「狂騒曲」の演奏者だった。それはそうだ。高い放送権をIOCから買っているのだから。

だからテレビから消えたことも数々ある。
1Fの凍土壁は「破綻」だった。
伊方は再稼働した。

沖縄、高江のヘリパッド建設を巡る機動隊側の“理不尽な暴力”、新聞記者までも身柄拘束のような状況に置く“強権的暴挙”。

ほとんど伝えられない。

そして芸能界の、スマップ解散騒動。血道を挙げたマスコミ。
それが2016年夏のこの国の風景。

安倍三選を観測気球のように、オリンピックの陰に隠れるように打ち上げる二階幹事長・・・。

2020年の東京オリンピックはなぜか7月末から8月初めの酷暑の夏に行われる。
4年後、日本には二つの熱中症が発生する。夏にある“熱中症”という病気、そしてオリンピックに狂奔するという「熱中症」という空気。

オリンピックは嫌いでは無い。一生懸命競技に励む選手の姿を見るのも好きだ。

でも、でも・・・。

「嘘」と「疑惑」に塗り固められた東京オリンピック。
3・11を体験したふくしまに住む者としては、その開催に大いなる抵抗がある。

1968年のメキシコオリンピック。
人種差別で揺れていたアメリカ。男子200メートル走で金と銅のメダルを獲得したアメリカの黒人選手。二人は表彰台の上で頭を垂れ、黒い手袋をつけた拳を突き上げていた。

政治がオリンピックを利用するなら、オリンピック選手、スポーツ選手も逆に政治“利用”することだってあってもいいとも思うのだが。
因みに銀メダルだったオーストラリアの白人選手はこう言ったという。

「僕も君たちと一緒に立つ」と。

天気予報では、まもなく郡山にも台風が襲来するそうだ・・・。

2016年8月21日日曜日

オリンピックと8月の日本

リオ・オリンピックも間もなく大団円を迎えようとしている。
紀元前のギリシャで生まれたオリンピック。当時のギリシャの都市国家では戦争が絶えなかったという。しかし、ギリシャ人たちは競技の期間中は武器を置き、停戦したといわれている。

今度のオリンピック。その期間中にも戦争は止むことはなかった。大小を問わず。

今のオリンピック、いわゆる近代五輪を提唱、実現させたのはフランス生まれのクーベルタン男爵だ。彼の努力によって「IOC」が誕生し、19世紀が終わる直前、近代オリンピックがギリシャのアテネで開催された。

彼が唱えたとされる「参加することに意義がある」というオリンピック精神は今でも生きているはずだ。

しかし、いつの頃からか、「勝つことに意義がある」ということに変わっていったような気がしてならない。

政治がスポーツにオリンピックに介入し始めたからだ。「国家」というもの「国の威信をかけて」という思想が選手や関係者に意識され始めたからだ。

女子レスリングで銀メダルに終わった吉田沙保里は「ごめんなさい、申し訳ありません」とテレビのマイクの前で何度も繰り返していた。
彼女は誰に対して言っていたのか。

テレビの“背後”にある国、国民に対して言ったのだろうか。だとすれば余りにも酷だ。

監督やコーチはじめとしたスタッフ、応援したフアン。金を取れなかったことへの申し訳ないという気持ちは当然あるだろうが、それらの人たちは彼女からの“謝罪”の言葉を期待してはいないはずだ。

すべて「競技」は、多くの人の支援や教えがあたとしても、競技は選手自身のものである以外の何物でもないと思っている。
「国威発揚」の為のオリンピック。であるがゆえに「政治」は「オリンピック」の「スポーツ」に“介入する。”利用する“。

日本のみならず、全世界がオリンピックに湧いている時、その陰で、何かの“悪巧み”が行われているかもしれない。

オリンピックに熱狂するという空気、その空気の中に一抹の“怖さ”を感じた。
その空気の中から消えたものもあった。

もちろん、それは「8月15日」という日だ。日本と言う国の空気が一夜にして“戦争”から“平和”に変わった日のことだ。

8月と言う時期の「平和の祭典オリンピック」。この国には似つかわしくない時期なのだ。

昭和39年の東京オリンピック。職場にいながらテレビを視ていた。特に女子のバレーボール。
鬼の大松は国会議員になった。議員として何をなしたか。記憶にない。
柔道の谷亮子も議員になった。スケートの橋本聖子は議員と言う立場でオリンピックに関与し続けている。

政治とオリンピック。不可離の関係なのだろう・・・。

リオ・オリンピック、結構見た。感動や喜びをも与えてもらった。拍手も送った。そんな自分ともう一人の自分との感想。

幻のオリンピックというのがある。一つは1940年に行われるはずだった日中戦争真っただ中の東京オリンピック。
もう一つは1980年のモスクワオリンピックだ。
ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議する西欧諸国が、それをボイコットし、日本も不参加を決めた。

政治とオリンピックは密接不可分だということを思い知った時。

このモスクワオリンピックのテレビ放映権は、テレビ朝日が独占することが決まっていた。当時のテレ朝専務とソビエト側との交渉結果だ。なぜにそうなったのかつまびらかにはしていない。
その時、テレビ朝日が「社品」として作ったガスライター、オリンピックのロゴ入りのライター、それが一つ机の引き出しの中に眠っている・・・。
そのライターで煙草に火をつけることは多分無いだろうが。

2016年8月14日日曜日

「天皇の“世紀”」

平成天皇の「生前退位」問題。
先月、そのことについて断片的ながら自分なりの“解釈”を書いた。
それは「安倍改憲思想」と対峙するものとして。

過日、正式に出された「ビデオメッセージ」としてのお言葉。

原爆と敗戦と言うこの国の痛恨事の狭間の時期にその「お言葉」を出されたこと。内容と共にその「時期」についても陛下の意志を感じる。

お言葉には、陛下の率直な思いと、天皇制、特に「象徴天皇なるものへの意志が示され、あらためて「天皇」というものに対して考える材料を多々与えてくれた。

わざわざ「個人的に」という言葉を使われて、述べられたことの数々。
“私とて一人の人間だ。個人だ。個人として発言する自由を持っているのだ”

そんな思いさえ伝わってきた。

やはり「安倍政治」への懸念が、言外ににじみ出ていたと受け取れた。

安倍も、それを、「お言葉」に至るまでの経緯を含めて、彼なりに読み取っていたのだろう。

安倍の立ったままの記者の取材、その内容は余りにも空疎であり、吐き捨てるように、紙を読み上げて、いやしくも「陛下」についての言及であったにも関わらず、まさに「一顧だにせず」の様相、一礼することも無く、読み終わるとプイと横を向き立ち去った。

2014年だったか。4月28日。昭和天皇の誕生日の前日にあった平和記念祝典、講和条約調印の。
「バンザイ!」の声が上がる中、天皇皇后両陛下は憮然とした表情で会場を後にされた。

この時の両陛下の心中を思う。降伏が正式に決まった日だ。「バンザイ!」の声に、それに唱和する安倍を陛下はどう見られたのか。きわめて“不快”に思われたのではないか。

象徴天皇とは何か。憲法に親しむようになった中学生の頃から、この“象徴”の意味が分からなかった。

象徴とは英語ではシンボルである。シンボルとは「お飾り」である。

学習院の安倍能成総長の薫陶を受け、家庭教師であるエリザベス・バイニング夫人から“民主主義”とはなにかという教えを受けた天皇明仁。さらには、戦争体験者でもあった、戦争を知っている人のひとりとしての天皇。

象徴として何を為すべきか。煩悶されたことも多々あろうかと思う。

そして出された結論は「負の遺産」である戦争の惨禍を、自らの「慰霊の旅」として、沖縄、広島などの国内はもとより、外地の戦跡に足を運び、戦没者を慰霊して回ることに自分の後半生をかけた。

国民と共に歩む、国民に寄り添う。その信念のもとに、雲仙普賢岳の大災害、5年半前の「3・11」の被災者激励、熊本への激励と向かわされたのだろう。

「3・11」後にも書いた。

「東北は天皇陛下がいて助かった」と。暴動も起きず、「毅然とした」生き方を選んだ日本人。そこには両陛下の姿が下地としてあったのではないかと。

「現場主義」に徹した両陛下。国民と同じ目線で語ろうした両陛下。

象徴とは何か。それは人々の「手本」になるような行いをすることだ。

そんな自分の中に長年わだかまっていた「答え」を両陛下が教えてくれたような気がする。

上から目線で事を語るな、事を為すなということも。

昭和天皇に続き、今の天皇の”お言葉“は「平成の人間宣言」と言えるのかもしれない。

明日は8月15日だ。陛下がどんな内容のお言葉を、慰霊の念を示されるのか。
期待して待つ。

そして明日は日本にとって、「沈黙」の日だ。祈りの日だ。

正午に黙祷し、「公務」としての陛下の言葉を噛みしめるつもりだ。
自分にとっても、明日は「沈黙」の日としたいから。

そんな願いを、オリンピックの歓声がかき消すとしても。

2016年8月6日土曜日

「絶対悪」と「道徳的目覚め」

8月・・・。6日、9日、そして15日。
日本人には“忘れてはならない日がある。71年前の。

子どもの頃の多少の「体験」。その後の学び。その後の思考・・・。

今日、広島の市長は平和宣言の中で、原爆を「絶対悪」と位置付けた。
いまでも原爆投下を“正当化”する米国人の一部はこの「絶対悪」という言葉をどう受け止めたのだろうか。

5月、被爆地「ヒロシマ」を訪れたオバマ米国大統領はこう言っていた。
「世界はこの地で、永遠に変わってしまった。しかし今日、この街の子どもたちは平和に暮らしている。なんて尊いことか。それは守る価値があり、すべての子どもたちに与える価値のあるものだ。それは私たちが選ぶことのできる未来だ。広島と長崎が「核戦争の夜明け」ではなく、私たちが道徳的に目覚めることの始まりとして知られるような未来なのだ」と。

いかなる理由があろうとも、戦争に理由づけをすることは無意味なことであっても、原爆は「道徳的」な問題なのだ。さらに敷衍すれば「倫理」の問題なのだ。

核拡散防止条約や核軍縮をめぐってさまざまな議論や意見が飛び交う。
被爆国であるにも関わらず、あきらかに「核武装」を言う人たちがいる。
「核抑止力」の絶対的信奉者がいる。

“にんげんをかえせ”。峠三吉の詩を、先日またあるところに記した。

絶対悪としての核、道徳的目覚めをしての核。原子力・・・。

それは原子力発電という“文明”の在り方にもつながる問題だ。
核兵器を搭載した飛行機が行き交う沖縄基地のことにも通じる問題だ。

原爆の悲劇を語り継ぐ。近年それがとみに言われるようになった。
しかし・・・。

被爆を体験し、心にも体にもその体験を持つ人はやがていなくなる。

だれがそれを「語り継がねばならない」のか。

メディアだ。そして日本人全員が、そのことについての「関心」を失わないことだ。
誰しもが「原爆投下」という歴史の事実は“知って”いる。
知ってはいるが“忘れて”もいる。

そして、それが「言の葉」に上るのは8月だけということ。

忘れていいわけが無い。しかし、人はそれを忘れる。知っているということと忘れることとは大きな違いだ。

71年前を考える視点は、人それぞれでいい。
「生きる」と「死ぬ」ということを思ってもみなかった子どもたちも犠牲になり、死の間際に生きると言うことを思った子供だっている。

国際政治の観点から考える人が、論じる人があってもいい。
防衛ということだけから考える人があってもいい。

悲しみ、嘆き、怒り。
毎年、人はそれらの言葉を使う。
しかし、それらを無くすことの方途は見つけていないようにも見える。

原爆の日を原爆の日でなくするために何が出来るのか。
まさに道徳的な永遠の問いかけのようだ。

「フクシマ」だって、やがて忘れられる。

「フクシマ」を語り継いで行くことが、あの原発の利便性と“欲望”を無意識に享受してきた人たちにはなんと映っているのだろうか。

被爆者たちは被ばく者達は、言いようの無い「差別」を受けてきた。被爆者二世だってそうだった。
福島もいわれなき差別の格好の餌食にされてきた。

「排除の論理」の中で。

だから想う。あの重複障害者施設「津久井やまゆり園」の事件を。
まさに排除の論理によって、「生きる」「生きている」と言うことを、あのエノラ・ゲイの搭乗者の如く、抹殺するという行為を“正当化”している人間がいたということ。それらは“絶対悪”のはずなのに。

「この子らを世の光に」。

障害者の父と言われた「近江学園」の創設者、糸賀一男の言葉だ。

71年前、広島で亡くなったこどもたちに、この言葉を贈りたい。
「あなた方は“世の光”だったのだ」という意味で。

「光」という文字を使うことが、あの閃光とともに命を失った人達に対しては失礼かもしれないが。

敢えて言う。「光」とは神とともにあるものだ。そんな思いを込めて。

「水をくれ、水をください」。そううめくように言って息絶えた人が多数いる。

あの日のように、今日も空は晴れていて、暑い。
「熱中症予防のためにこまめな水分補給を」とテレビは呼びかける。
71年後の8月6日のこの国の光景。それが束の間かどうかはともかく平和な日常の光景なのだ。

2016年8月1日月曜日

“ジャーナリズム”と“権力”と

都知事選が終わった。その経緯を含め、思うことは多々あったが、あえて控えて来た。

とにかく小池百合子という都知事が誕生した。この人が今後右するのか左するのかブーメランのようにまわり続けるのか。まったくわからない。

とにかく都民はこの人を選択したという事実だけだ。

鳥越俊太郎という人を多少は知っている。彼は、その資質がどうであろうとも、「ジャーナリスト」という肩書で出馬した。
それに野党4党が乗った。形の上では。

ジャーナリストという言葉がいつから「市民権」を得たのか、ジャーナリズムという言葉がいつから「誕生した」のかは定かでは無い。

今、ジャーナリストを名乗る人は多様である。

ジャーナリズムという言葉の中に「批判、批評」という意味があるのだとすれば、彼らはおしなべて「在野」の人間であるべきだとかねがね思っている。
アメリカ流に言えば「ドッグウオッチャー」であるべきだと思っている。

だから、どこかで、その人たちが「在野」から声を上げることが、健全な“社会”を維持できる存在だと思っている。

ジャーナリストたちは、取材という行為を通じて、「権力」を知る。「権力」の大きさ、強さを知る。その権力が世の中を動かしていることを知る。
だから、それを監視し、批判することが彼らの宿命なのだ。

与党であるか、野党であるかは問わない。

都知事とて強大な権力の持ち主だ。権力の座だ。その座にジャーナリストが就いてしまえば、その人は即、権力者となる。それがどういう政治を行おうとてもだ。

ジャーナリストは権力の座を目指してはならないのだ。

誤解されることを承知で言う。

「鳥越は落選して、都知事にならなくてよかったのだ」と。

もし当選していれば、ジャーナリズムの火が一本消えたことにもつながるのだから。
彼の中にはある種の「勘違い」があったのかもしれない。それなりに有能な男だと思っていたから。

彼は、もう一度ジャーナリズムの世界に舞い戻ってもいい。彼が働ける環境を既存のジャーナリズム組織が提供してやればいい。

「餅は餅屋」という喩えを持ち出しては失礼かもしれないが。

以下、思ったことのいくつか・・・。

野党4党の連携とは何だったのか。なぜそこに市民連合のような組織や団体を加えようとしなかたのか。
連合という労組は、どこを向いている労働者の組織なのか。鵺としての労組連合。

それなりに集票力がある宇都宮健児は何を考えて洞が峠を決めこんだのか。


なぜ、自公が公認した増田寛也の応援に安倍が出向かなかったのか。
少なくとも自公が党を挙げて増田を応援したとも思えない。
選挙戦の最中から、小池有利と言う「確実な情報」が安倍のもとに届いていたからだろう。だから安倍はゴルフ三昧を決め込み、選挙戦に姿を見せなかった。

都知事選から“逃避”することによって“保身”をはかったということなのだろう。

全てが「烏合の衆」だったということ。

そして、この大都市の選挙の結果を受けて、誰もが責任を回避しようとし、“責任”をとらないということ。
あの時代に酷似しているような。

都民の選択は、どこかに澱んでいる「閉塞感からの脱出」という空気を小池に向けさせたのではないだろうか。ということ。

そして「政党」というものに「組織」というものに依存する政治が溶融し始めたような予兆だったのかということ。

そんなこんなの思い・・・。

どうでもいいことだけど、泡沫候補の一人、医師の肩書の今尾貞夫という奴は幼馴染だった。小学生時代から級長を務める優秀な男だった。たしか青医連の活動家でもあったと思う。最後にあったのは墨東病院の婦人科部長をしていた頃か。なぜあの優秀な男が選挙に出たのか。さっぱりわからない。

わからないことだらけの都知事選だったのかも。

きょうから8月だ。炎暑の季節だ。
71年前、もし、この国のジャーナリズムが「まとも」であったならと思う。
ポツダム会議、ポツダム宣言。ヤルタ会議、ヤルタ協定。それらの「実相」を正しく報じ、この国が置かれていた状況、世界の趨勢を報じていれば、広島、長崎の原爆投下は無かったはずだ。終戦はもっと早まっていたはずだ。

71年前の東京は“廃墟”以外の何物でもなかった・・・。