2016年8月6日土曜日

「絶対悪」と「道徳的目覚め」

8月・・・。6日、9日、そして15日。
日本人には“忘れてはならない日がある。71年前の。

子どもの頃の多少の「体験」。その後の学び。その後の思考・・・。

今日、広島の市長は平和宣言の中で、原爆を「絶対悪」と位置付けた。
いまでも原爆投下を“正当化”する米国人の一部はこの「絶対悪」という言葉をどう受け止めたのだろうか。

5月、被爆地「ヒロシマ」を訪れたオバマ米国大統領はこう言っていた。
「世界はこの地で、永遠に変わってしまった。しかし今日、この街の子どもたちは平和に暮らしている。なんて尊いことか。それは守る価値があり、すべての子どもたちに与える価値のあるものだ。それは私たちが選ぶことのできる未来だ。広島と長崎が「核戦争の夜明け」ではなく、私たちが道徳的に目覚めることの始まりとして知られるような未来なのだ」と。

いかなる理由があろうとも、戦争に理由づけをすることは無意味なことであっても、原爆は「道徳的」な問題なのだ。さらに敷衍すれば「倫理」の問題なのだ。

核拡散防止条約や核軍縮をめぐってさまざまな議論や意見が飛び交う。
被爆国であるにも関わらず、あきらかに「核武装」を言う人たちがいる。
「核抑止力」の絶対的信奉者がいる。

“にんげんをかえせ”。峠三吉の詩を、先日またあるところに記した。

絶対悪としての核、道徳的目覚めをしての核。原子力・・・。

それは原子力発電という“文明”の在り方にもつながる問題だ。
核兵器を搭載した飛行機が行き交う沖縄基地のことにも通じる問題だ。

原爆の悲劇を語り継ぐ。近年それがとみに言われるようになった。
しかし・・・。

被爆を体験し、心にも体にもその体験を持つ人はやがていなくなる。

だれがそれを「語り継がねばならない」のか。

メディアだ。そして日本人全員が、そのことについての「関心」を失わないことだ。
誰しもが「原爆投下」という歴史の事実は“知って”いる。
知ってはいるが“忘れて”もいる。

そして、それが「言の葉」に上るのは8月だけということ。

忘れていいわけが無い。しかし、人はそれを忘れる。知っているということと忘れることとは大きな違いだ。

71年前を考える視点は、人それぞれでいい。
「生きる」と「死ぬ」ということを思ってもみなかった子どもたちも犠牲になり、死の間際に生きると言うことを思った子供だっている。

国際政治の観点から考える人が、論じる人があってもいい。
防衛ということだけから考える人があってもいい。

悲しみ、嘆き、怒り。
毎年、人はそれらの言葉を使う。
しかし、それらを無くすことの方途は見つけていないようにも見える。

原爆の日を原爆の日でなくするために何が出来るのか。
まさに道徳的な永遠の問いかけのようだ。

「フクシマ」だって、やがて忘れられる。

「フクシマ」を語り継いで行くことが、あの原発の利便性と“欲望”を無意識に享受してきた人たちにはなんと映っているのだろうか。

被爆者たちは被ばく者達は、言いようの無い「差別」を受けてきた。被爆者二世だってそうだった。
福島もいわれなき差別の格好の餌食にされてきた。

「排除の論理」の中で。

だから想う。あの重複障害者施設「津久井やまゆり園」の事件を。
まさに排除の論理によって、「生きる」「生きている」と言うことを、あのエノラ・ゲイの搭乗者の如く、抹殺するという行為を“正当化”している人間がいたということ。それらは“絶対悪”のはずなのに。

「この子らを世の光に」。

障害者の父と言われた「近江学園」の創設者、糸賀一男の言葉だ。

71年前、広島で亡くなったこどもたちに、この言葉を贈りたい。
「あなた方は“世の光”だったのだ」という意味で。

「光」という文字を使うことが、あの閃光とともに命を失った人達に対しては失礼かもしれないが。

敢えて言う。「光」とは神とともにあるものだ。そんな思いを込めて。

「水をくれ、水をください」。そううめくように言って息絶えた人が多数いる。

あの日のように、今日も空は晴れていて、暑い。
「熱中症予防のためにこまめな水分補給を」とテレビは呼びかける。
71年後の8月6日のこの国の光景。それが束の間かどうかはともかく平和な日常の光景なのだ。

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