リオ・オリンピックが終わった。
その終わり方、狂騒曲としてのオリンピックだったとすれば、そのエピローグは余りにもひどかった。
言わずと知れた安倍のアニメのキャラクターに扮した登場。国家がオリンピックに介入していることを臆面もなく見せつけた、あまりにも、笑うにも笑えない“醜さ”とでも言おうか・・・。
笑止千万とはこういうことでもあり、国が国家がオリンピックに積極的に介入し、オリンピックを政治利用していることの証左だ。
語るにも「おぞましい」光景だったが・・・。
1964年の東京オリンピック。ようやく各家庭に普及したテレビに人々は釘付けになった。
死闘を繰り返した女子バレーボール。鬼の大松と呼ばれた大松監督は参院議員になった。全国区での当選。
前にも書いたが、その後もオリンピックで名を馳せた選手が相次いで国会議員に。
国家と政治とオリンピックと。
2020年に向けて我々は考え直さなければならない課題を持たされた。
オリンピックにまつわる過去の出来事だ。
一人の男の死・・・。
1964年の東京オリンピック。男子マラソン。走路は我が家のすぐ近くの甲州街道だった。調布での折り返し。
まだテレビは完全生中継が出来なかった頃だ。
国立競技場に入って来たのはエチオピアのアベベ、次いで日本の円谷幸吉だった。円谷の顔は苦しそうだった。首を振り、歯を食いしばり、ゴール直前で3位だったイギリスのヒートリー選手に抜かれ3位、銅メダルを獲得した。
円谷幸吉は福島県須賀川市の出身だ。自衛隊体育学校に所属していた。
戦後、陸上競技でメダルを獲得したには初めて。
国内は湧きに沸き次のメキシコオリンピックへの期待が高まった。
しかし、彼は練習のし過ぎからか。腰を痛め、両脚のアキレス腱も切っていた。
婚約者がいた。練習の妨げになると自衛隊の上司が結婚をあきらめさせた。
その婚約者は他家に嫁いだ。
メキシコ大会を目前に彼は自衛隊の宿舎の自室で剃刀で頸動脈を切り自死した。
家族にあてた遺書はその後も語り継がれていた。
「父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうございました」で始まる遺書。
親戚全員への思い出を書き連ねた。
「父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。
何卒 お許し下さい。
気が休まる事なく御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。
幸吉は父母上様の側で暮しとうございました。」と書かれていた。
メキシコオリンピック。日本は君原健二が銀メダルを獲得した。ゴール手前で後続に迫られたがそれを振り切った。
「なぜあのとき、普段はしない『振り返り』をしたのか、実はいまでもわかりません。きっと、天国からの円谷さんのメッセージだったと思います」
君原の言葉だ。
君原は”証言“する。
「円谷さんは東京五輪の直後から、『国民の前でぶざまな姿をさらしてしまった』と自らを責めていました。亡くなる半年前の大会でも、腰に故障を抱えながら『メキシコで日の丸を掲げる』と思いつめていました。」と。
「国民の期待」という過度のプレッシャー。自衛隊と言う組織の“圧力”。
一人のアスリートの命をも呑み込んでしまった「国威発揚」・・・。
オリンピックという「魔物」。
彼は「走ることを楽しんだ」とは言っていなかった。
毎年10月、須賀川では「円谷幸吉メモリアルマラソン」が行われている。
県民をはじめ、多数の参加者もいると聞く・・・。
50数年前の事を知っているかどうかはわからないが。
福島に住むことになって、余計に彼の事を思い出す。
オリンピックがある度に。
2016年8月26日金曜日
“チェルノブイリ”異聞
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