2016年8月14日日曜日

「天皇の“世紀”」

平成天皇の「生前退位」問題。
先月、そのことについて断片的ながら自分なりの“解釈”を書いた。
それは「安倍改憲思想」と対峙するものとして。

過日、正式に出された「ビデオメッセージ」としてのお言葉。

原爆と敗戦と言うこの国の痛恨事の狭間の時期にその「お言葉」を出されたこと。内容と共にその「時期」についても陛下の意志を感じる。

お言葉には、陛下の率直な思いと、天皇制、特に「象徴天皇なるものへの意志が示され、あらためて「天皇」というものに対して考える材料を多々与えてくれた。

わざわざ「個人的に」という言葉を使われて、述べられたことの数々。
“私とて一人の人間だ。個人だ。個人として発言する自由を持っているのだ”

そんな思いさえ伝わってきた。

やはり「安倍政治」への懸念が、言外ににじみ出ていたと受け取れた。

安倍も、それを、「お言葉」に至るまでの経緯を含めて、彼なりに読み取っていたのだろう。

安倍の立ったままの記者の取材、その内容は余りにも空疎であり、吐き捨てるように、紙を読み上げて、いやしくも「陛下」についての言及であったにも関わらず、まさに「一顧だにせず」の様相、一礼することも無く、読み終わるとプイと横を向き立ち去った。

2014年だったか。4月28日。昭和天皇の誕生日の前日にあった平和記念祝典、講和条約調印の。
「バンザイ!」の声が上がる中、天皇皇后両陛下は憮然とした表情で会場を後にされた。

この時の両陛下の心中を思う。降伏が正式に決まった日だ。「バンザイ!」の声に、それに唱和する安倍を陛下はどう見られたのか。きわめて“不快”に思われたのではないか。

象徴天皇とは何か。憲法に親しむようになった中学生の頃から、この“象徴”の意味が分からなかった。

象徴とは英語ではシンボルである。シンボルとは「お飾り」である。

学習院の安倍能成総長の薫陶を受け、家庭教師であるエリザベス・バイニング夫人から“民主主義”とはなにかという教えを受けた天皇明仁。さらには、戦争体験者でもあった、戦争を知っている人のひとりとしての天皇。

象徴として何を為すべきか。煩悶されたことも多々あろうかと思う。

そして出された結論は「負の遺産」である戦争の惨禍を、自らの「慰霊の旅」として、沖縄、広島などの国内はもとより、外地の戦跡に足を運び、戦没者を慰霊して回ることに自分の後半生をかけた。

国民と共に歩む、国民に寄り添う。その信念のもとに、雲仙普賢岳の大災害、5年半前の「3・11」の被災者激励、熊本への激励と向かわされたのだろう。

「3・11」後にも書いた。

「東北は天皇陛下がいて助かった」と。暴動も起きず、「毅然とした」生き方を選んだ日本人。そこには両陛下の姿が下地としてあったのではないかと。

「現場主義」に徹した両陛下。国民と同じ目線で語ろうした両陛下。

象徴とは何か。それは人々の「手本」になるような行いをすることだ。

そんな自分の中に長年わだかまっていた「答え」を両陛下が教えてくれたような気がする。

上から目線で事を語るな、事を為すなということも。

昭和天皇に続き、今の天皇の”お言葉“は「平成の人間宣言」と言えるのかもしれない。

明日は8月15日だ。陛下がどんな内容のお言葉を、慰霊の念を示されるのか。
期待して待つ。

そして明日は日本にとって、「沈黙」の日だ。祈りの日だ。

正午に黙祷し、「公務」としての陛下の言葉を噛みしめるつもりだ。
自分にとっても、明日は「沈黙」の日としたいから。

そんな願いを、オリンピックの歓声がかき消すとしても。

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