都知事選が終わった。その経緯を含め、思うことは多々あったが、あえて控えて来た。
とにかく小池百合子という都知事が誕生した。この人が今後右するのか左するのかブーメランのようにまわり続けるのか。まったくわからない。
とにかく都民はこの人を選択したという事実だけだ。
鳥越俊太郎という人を多少は知っている。彼は、その資質がどうであろうとも、「ジャーナリスト」という肩書で出馬した。
それに野党4党が乗った。形の上では。
ジャーナリストという言葉がいつから「市民権」を得たのか、ジャーナリズムという言葉がいつから「誕生した」のかは定かでは無い。
今、ジャーナリストを名乗る人は多様である。
ジャーナリズムという言葉の中に「批判、批評」という意味があるのだとすれば、彼らはおしなべて「在野」の人間であるべきだとかねがね思っている。
アメリカ流に言えば「ドッグウオッチャー」であるべきだと思っている。
だから、どこかで、その人たちが「在野」から声を上げることが、健全な“社会”を維持できる存在だと思っている。
ジャーナリストたちは、取材という行為を通じて、「権力」を知る。「権力」の大きさ、強さを知る。その権力が世の中を動かしていることを知る。
だから、それを監視し、批判することが彼らの宿命なのだ。
与党であるか、野党であるかは問わない。
都知事とて強大な権力の持ち主だ。権力の座だ。その座にジャーナリストが就いてしまえば、その人は即、権力者となる。それがどういう政治を行おうとてもだ。
ジャーナリストは権力の座を目指してはならないのだ。
誤解されることを承知で言う。
「鳥越は落選して、都知事にならなくてよかったのだ」と。
もし当選していれば、ジャーナリズムの火が一本消えたことにもつながるのだから。
彼の中にはある種の「勘違い」があったのかもしれない。それなりに有能な男だと思っていたから。
彼は、もう一度ジャーナリズムの世界に舞い戻ってもいい。彼が働ける環境を既存のジャーナリズム組織が提供してやればいい。
「餅は餅屋」という喩えを持ち出しては失礼かもしれないが。
以下、思ったことのいくつか・・・。
野党4党の連携とは何だったのか。なぜそこに市民連合のような組織や団体を加えようとしなかたのか。
連合という労組は、どこを向いている労働者の組織なのか。鵺としての労組連合。
それなりに集票力がある宇都宮健児は何を考えて洞が峠を決めこんだのか。
なぜ、自公が公認した増田寛也の応援に安倍が出向かなかったのか。
少なくとも自公が党を挙げて増田を応援したとも思えない。
選挙戦の最中から、小池有利と言う「確実な情報」が安倍のもとに届いていたからだろう。だから安倍はゴルフ三昧を決め込み、選挙戦に姿を見せなかった。
都知事選から“逃避”することによって“保身”をはかったということなのだろう。
全てが「烏合の衆」だったということ。
そして、この大都市の選挙の結果を受けて、誰もが責任を回避しようとし、“責任”をとらないということ。
あの時代に酷似しているような。
都民の選択は、どこかに澱んでいる「閉塞感からの脱出」という空気を小池に向けさせたのではないだろうか。ということ。
そして「政党」というものに「組織」というものに依存する政治が溶融し始めたような予兆だったのかということ。
そんなこんなの思い・・・。
どうでもいいことだけど、泡沫候補の一人、医師の肩書の今尾貞夫という奴は幼馴染だった。小学生時代から級長を務める優秀な男だった。たしか青医連の活動家でもあったと思う。最後にあったのは墨東病院の婦人科部長をしていた頃か。なぜあの優秀な男が選挙に出たのか。さっぱりわからない。
わからないことだらけの都知事選だったのかも。
きょうから8月だ。炎暑の季節だ。
71年前、もし、この国のジャーナリズムが「まとも」であったならと思う。
ポツダム会議、ポツダム宣言。ヤルタ会議、ヤルタ協定。それらの「実相」を正しく報じ、この国が置かれていた状況、世界の趨勢を報じていれば、広島、長崎の原爆投下は無かったはずだ。終戦はもっと早まっていたはずだ。
71年前の東京は“廃墟”以外の何物でもなかった・・・。
2016年8月1日月曜日
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