2016年8月21日日曜日

オリンピックと8月の日本

リオ・オリンピックも間もなく大団円を迎えようとしている。
紀元前のギリシャで生まれたオリンピック。当時のギリシャの都市国家では戦争が絶えなかったという。しかし、ギリシャ人たちは競技の期間中は武器を置き、停戦したといわれている。

今度のオリンピック。その期間中にも戦争は止むことはなかった。大小を問わず。

今のオリンピック、いわゆる近代五輪を提唱、実現させたのはフランス生まれのクーベルタン男爵だ。彼の努力によって「IOC」が誕生し、19世紀が終わる直前、近代オリンピックがギリシャのアテネで開催された。

彼が唱えたとされる「参加することに意義がある」というオリンピック精神は今でも生きているはずだ。

しかし、いつの頃からか、「勝つことに意義がある」ということに変わっていったような気がしてならない。

政治がスポーツにオリンピックに介入し始めたからだ。「国家」というもの「国の威信をかけて」という思想が選手や関係者に意識され始めたからだ。

女子レスリングで銀メダルに終わった吉田沙保里は「ごめんなさい、申し訳ありません」とテレビのマイクの前で何度も繰り返していた。
彼女は誰に対して言っていたのか。

テレビの“背後”にある国、国民に対して言ったのだろうか。だとすれば余りにも酷だ。

監督やコーチはじめとしたスタッフ、応援したフアン。金を取れなかったことへの申し訳ないという気持ちは当然あるだろうが、それらの人たちは彼女からの“謝罪”の言葉を期待してはいないはずだ。

すべて「競技」は、多くの人の支援や教えがあたとしても、競技は選手自身のものである以外の何物でもないと思っている。
「国威発揚」の為のオリンピック。であるがゆえに「政治」は「オリンピック」の「スポーツ」に“介入する。”利用する“。

日本のみならず、全世界がオリンピックに湧いている時、その陰で、何かの“悪巧み”が行われているかもしれない。

オリンピックに熱狂するという空気、その空気の中に一抹の“怖さ”を感じた。
その空気の中から消えたものもあった。

もちろん、それは「8月15日」という日だ。日本と言う国の空気が一夜にして“戦争”から“平和”に変わった日のことだ。

8月と言う時期の「平和の祭典オリンピック」。この国には似つかわしくない時期なのだ。

昭和39年の東京オリンピック。職場にいながらテレビを視ていた。特に女子のバレーボール。
鬼の大松は国会議員になった。議員として何をなしたか。記憶にない。
柔道の谷亮子も議員になった。スケートの橋本聖子は議員と言う立場でオリンピックに関与し続けている。

政治とオリンピック。不可離の関係なのだろう・・・。

リオ・オリンピック、結構見た。感動や喜びをも与えてもらった。拍手も送った。そんな自分ともう一人の自分との感想。

幻のオリンピックというのがある。一つは1940年に行われるはずだった日中戦争真っただ中の東京オリンピック。
もう一つは1980年のモスクワオリンピックだ。
ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議する西欧諸国が、それをボイコットし、日本も不参加を決めた。

政治とオリンピックは密接不可分だということを思い知った時。

このモスクワオリンピックのテレビ放映権は、テレビ朝日が独占することが決まっていた。当時のテレ朝専務とソビエト側との交渉結果だ。なぜにそうなったのかつまびらかにはしていない。
その時、テレビ朝日が「社品」として作ったガスライター、オリンピックのロゴ入りのライター、それが一つ机の引き出しの中に眠っている・・・。
そのライターで煙草に火をつけることは多分無いだろうが。

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