2017年7月1日土曜日

7月の鬱陶しい幕開け

梅雨の季節であり、いささかの異常気象でもあり、豪雨が列島を見舞っている。
土砂崩れがいわれ、河川の氾濫もいわれる。

きらめく太陽が降り注ぐ夏。その前に通らなければならない関門か。

”乱高下“する気温、気圧。
年齢を経るごとに、変わる季節は体調の不具合を伴う。
時には頭痛、時にはめまい、そして何よりも気力の低下。

鬱陶しいのはなにも気候だけではない。
「世に倦む日々」と他言を借りる訳ではないが、世の中のさまざまなことが鬱陶しいこと限りないのだ。

特に政治。政治家。

このところの「暴言」「失言」をめぐる話題の数々。わざとやっているとも思えてしまうような、マスコミの“餌食”となるようなことの数々。

それを人は「暴政」とも呼び、「我執」ともいう。連綿として地位にしがみついているのだから。
そして言行不一致の数々。

都議選の合間をぬって安倍はきょう飯舘村を訪れた。介護施設を視察した。
川俣にも行き、商業施設を見た。

「皆様の声を受け止め、さらに復興を進めたい」。

彼が民草の声を受け止めた事例は過去あったのか。


たしかマックスウエーバーだったか。いやジョン・スチュアート・ミルだったか。

「普通、一国の国民は自分たちの器量にあった国会議員しかもてない」という“金言”があった。

いま、その言葉を申し訳ないが訂正させてもらう。
「一国の国民は、自分たちの器量以下の政治家しかもてない」と。少なくとも日本にあっては。

東電の裁判が始まった。3人とも無罪を主張している。
潔さ、という言葉がある。

「責任」を認めたらどうなのか。津波の予想問題だけではない。
今尚苦しんでいる福島県民がいるということ。
子供は「いじめ」の対象にされているということ。


社会的責任を負うべきだと思うけれど。

とにかく、「作業」はもろもろ進行している。しかし、遮水壁、凍土壁の問題では規制委から叱責を受けた。

懲りない面々の東電上層部。

年齢のことをぼやいた。好んで年を取っているわけではないが”高齢“は自然の摂理だ。抗い難い。

高齢者の交通事故が増えていると言う。高齢者には安全機能車限定の免許しか与えない、80歳以上には再試験も導入する。

警察庁はそんな検討に入ると言う。
自分だけのことに限って言えば、「安全機能搭載車」を買う金は無い。
まさか国が「補助」してくれるなんてことは有り得ないし。

交通事故の防止。もちろんそれに異論はない。ぼやきのようだが地方都市ではいかに高齢者といえども車無しでは生活できない。

高齢化社会だ。高齢者の人口分布は増えて当然だ。そして人口減。
数字の比較では高齢者の事故が多発しているとされるが、それは以前と変わりがない数字だ。高齢者が増えれば必然として有り得る数字の問題。

車をめぐる「社会システム」の問題。ありきたりの言い方だけど、多角的な視点で論じ、“受け皿”めぐる検討、議論にまで発展させてもらわないと。

車一つをとってのことでもなんか間尺に合わない憂鬱さを覚えてしまう7月の始まりの日。

この日は数年前、安保法制が閣議決定された日でもある。


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