2016年7月10日日曜日

「病院で考えた民主主義」のこと

今日は参院選の投票日だ。

あらためて感じる争点無き選挙戦、いや争点隠しの選挙戦だったなと。

そして、この一年、考え続けてきたこの国の“民主主義”というもの。
言葉だけが踊り、それは曲がり角どころか、持て余しているようになっているかもしれないと言う“政治”の現実。

投票率は低いと見込む。

その“原因”は何か。
有権者に選挙への関心が薄れているということだけか。

選挙権が18歳以上となった。新有権者はどれほど選挙に関心を持ったのか。
関心を投票行動に結びつけたのか。
投票率を高めるために、投票に行った新有権者には“ご褒美”が与えられると言う。

有権者として当然の行為である選挙に参加することまで”餌“でつらねばならないという。悲しい実相だと思う。

夜8時、テレビは一斉に大きなテロップでいきなり投票結果を伝えるはずだ。
「与党圧勝」とか「改憲勢力三分の二」とかになるのか。

少なくともこれまでの「横並び」のような世論調査の結果を信じるならそんな予想が湧く。

やがてお決まりのように何回も映し出される「バンザイ!」の映像。
かつてその世界に身を置いていた者として、なんともお恥ずかしい次第。

一瞬にして自分が政治に参加したということの結果が現れてしまうということ。

どこか「間尺に合わない」し「摩訶不思議」とも言える。
その“速報”なるものにいかほどの意味があるのか。

メディア、特にテレビの「過当競争」と言わざるをえない。

選挙に関心が無い。投票しても意味が無い。そう思わせてしまうのは、当日の速報のことでは無く、事前の“正確”な世論調査の影響を否定できない。

「投票しても何も変わらない」という意識を植え付けるだけだ。

世論調査の中には無関心層という分け方がある。かなり多い。
「なんだ、こんなに無関心な人がいるんだ。それじゃ“参加”しなくたっていいじゃん。そう思う人だっている。

投票に行くと言う行為は「当たり前のこと」なのだ。選挙の結果がどうなろうと、投票には行くべきなのだ。結果が問題なのではない。それ以前の意志と行為の問題なのだ。

「民主主義」を言うならば。


去年の7月17日、突然(それは大方突然にくる)脳梗塞なる疾患に襲われ緊急入院していた。

手足は不自由になっていたが、頭脳は比較的確かだった。

病室に落ち着いてから、なぜかベッドの中で、連日「民主主義」ということを考えていた。

国会前で、連日のように「安保関連法案」をめぐる“新しい形”の反対運動が展開されていたからだ。
民主主義、議会制民主主義の在り様とも絡んで。

民主主義とはなんだ。これだ!とコールがこだましていた。

病院で民主主義を考える。つまり自分がその時置かれた環境の中でそれを考える。“奇妙”な体験だった。

医師はきちんと、検査をし、病状を説明し、的確な、それはもちろんその医師の判断ではあるが、的確な対処法を示してくれた。
処方箋を作ってくれた。
患者としての自分は、その医師の“施策”に、彼に信を置くことが出来ると判断したから身を委ねた。

政治と国民との間の在り様にも似ている。
正確な病状の説明は、政治にあっては正確なこの国の現状を示すことでもある。
処方箋を示す言うことは、こんな政治をやりますということでもある。

どういう治療を行い、回復に導くかは、政治の場であっては、「本音」を語り、それについて、“インフォームド・コンセント”、納得できる「同意」を語りかけることである。

未だ足は不自由だし、なにかと日常に不便さはある。
でも、患者に対して正確な病状を説明し、的確だと思う治療方法を彼は熱心に説明してくれた。
僕はそれに納得した。

「病院で考えた民主主義」とはこんなことだった。

そんなことをそこはかとなく思う参院選投票日のきょう。

選挙の在り方、選挙報道の在り方。大きく変える時代に来ていると思慮することしきりにて。

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