2016年7月25日月曜日

「時代の正体」としての“ポケモン狂騒曲”

携帯電話の7割近くがスマホに代わり、スマホをツールとしての異常な現象。
「ポケモンGO」なるゲームの出現だ。
アメリカで大流行し(少なくともメディアはそう報じている)、日本にも“上陸”したその遊び、ゲーム。

時流に乗り遅れまいということか、何でも”参戦“してみようということか。

どんなゲームやアプリでも開発するのはその企業の勝手なのだが・・・。

スマホ依存症ということがここ何年も言われてきた。ある種の社会問題化している。それは多分SNSのことだったのだろう。

スマホを使ってはいる。SNSなるものにも、常に「懐疑的」なものを持ちながらも時々覗いている。個人の行動や趣味、嗜好がどうだということでは無く、そこから知り得ることの優位性があるからだ。

ポケモン遊びに狂奔している人たち。決しって若者だけでは無い。中高年にもそれがいるという現象。

アメリカで大流行とテレビが連日報道していた。それは“意図”を持った、切り取った映像であると思えるが。

日本上陸・・・。マスコミはまさに狂騒曲の伴奏者だった。朝日新聞が一面トップで大々的に報じたのには驚愕だった。

それほどのニュース価値があるのかどうか。メディア内部の「リテラシー能力」。

マスコミ報道が、連日の報道が、ポケモン騒ぎに輪をかけている。

「バスに乗り遅れまい」という国民性か。
皆がやっているから、という勝手に名づけた「文化」を追い求めようとしているのか。

ポケモン騒動に「時代の正体」を見る。「時代の空気」を見る。

どんな「ゲーム」をしようと、何に狂奔しようと、それはそれこそ「個人の自由」だ。
そのことをとやかく言うつもりは無い。

スマホの中にある「享楽」。

ポケモンを探して表に出て歩くから健康にいい。屁理屈だ。

スマホ依存症に陥っている人類。
依存症・・・。麻薬依存症(それはなかなか根絶できない)はれっきとした”犯罪“だ。

ギャンブル依存症。大方がカネを無くし、家庭崩壊への導火線にもなる。
アルコール依存症。医者の力を借りねば脱することは出来ない。
ニコチン依存症。脳疾患含め、様々な重病の遠因、原因ともなるとされる。

煙草・・・。それを語るのはなかなか難しい。煙草農家は長い間、日本の農業を支えてきた。
「ちょっと一服」は、精神的効果すらあったが。
「健康に害がある」ということで世間から「排斥」された。

スマホ依存症、ネット依存症。これらは何をもたらすのか。今言えることは「考えることをやめた」人間を生むことだ。

そして何よりも、バーチャルの世界に身を置くことの快感を享受していることだ。

人は「現実」にさまざまな問題点を抱えている。バーチャルの世界に“逃避”しても何も解決されないのだ。

「現実」は「現実」でしか解決できないのだ。現実からの逃避は自己喪失にもつながるのだ。

社会生活に危険があるとして、歩きスマホやながらスマホは禁止されているはずだ。その「禁止」という制約は物も見事に破られている。

ポケモン探しに夢中になって、道路に飛び出してきた人がいる。まったく正常に道路を運転していた人が、そこで人身事故を起こしたらどうなる。
既存の道交法で、過失傷害とされるのか、前方不注意とされるのか。
刑事罰にはならないまでも保険会社は運転者の非をついてくる。彼らの常套手段だから。

IT技術に管理される人たち、スマホのGPS機能に行動を把握される人たち。
ITが人間を管理する今の時代。

だからこうも言ってみる。

「ポケモンGOの正体」とは・・・。と。

多くの人がポケモンにうつつを抜かしているなかで、理不尽なことは多々起きている。
沖縄の高江の権力による「暴力的排除行為」。

石棺という言葉を使ったには大して意味がありませんでしたと公言する政府関係者。
結局、大金を投じて役立たなかった1Fの遮水壁問題。

ポケモンに当たり障りの無いコメントしか出せない政府。

「一億総活躍社会」と宰相は言う。ポケモンに狂っている人たちは、その「1億総活躍」の枠内に入っている人なのか。

もしかしたら、連日のゴルフで疲れた体を「ポケモンGO」をいじって、癒したりしていて(笑)

“チェルノブイリ”異聞

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