2013年8月7日水曜日

「領土」にあって「領土でない」ということ

沖縄の米軍基地の事である。

米軍基地は日米安保条約の地位協定によって、日本のあらゆることが及ばない、いわば「治外法権」の場所。

基地は日本の領土であっても、そこは領土ではない。立ち入れないのだから。管轄権が及ばないのだから。
沖縄だけではない。すべての米軍基地がそうであるように。

基地内にはもちろん警察権も及ばない。そこで何があっても、捜査は出来ない。
キャンプハンセン内で起きたヘリコプター事故であらためて思ったこと。
米軍からの情報提供を待つ以外に、その模様を知る手立てはないということ。

僕が一番初めに沖縄に行った時は、まだその施政権はアメリカにあった。
“パスポート”が必要であった。空港内には“デューティ・フリー・ショップ”、免税店があった。

沖縄本島には戦争の「臭い」はなかったが、訪ね歩いた、その痕跡、例えば壕、戦争の気配を感じるには十分すぎるくらいだった。

壕特有の湿気みたいなものが、からだにまとわりついて来た。

硫黄島にも行った。茫漠とひろがる赤茶けた土地。島特有の硫黄の煙。遺骨収集作業が行われていた。臭いがあった。火葬場で感じる臭い・・・。

日米安保があることによって、日本は「国防費」を気にすることなく、土地を提供する代わりに、この国全部が大いなる恩恵に浴した。

朝鮮特需で湧き、ベトナム特需で湧いた“景気”。沖縄の基地からも参戦した米軍。
基地内では多くの日本人が働き、雇用が生まれ、繁華街には米兵が溢れ、地域経済を“うるおして”いた。“危険”を背負いながら。

日米安保条約にかかわった総理大臣。吉田茂、岸信介。その孫が二人して、政権の中枢にいる。たまたまの政治史の偶然なのか、歴史の必然なのか・・・。

福島県はれっきとした日本の領土である。日本国の一部である。
私有地や国有地以外、人の往来は自由であった。
そこに突然、あの原発事故によって、たとえ自分の土地であっても入れない土地が出来た。

頑丈な鉄条網ではない。道路を封鎖しているバリケードは。そこを遠巻きに囲っているのは。

正確な対比では無いだろうが、「領土であって領土でないところ」。核による、汚染された放射性物質に「支配」されてしまった“領土”。

「八月の夕凪」という詩集がある。作家は、広島に生まれ、広島に在住している詩人に上田由美子という人。1938年生まれ。
その中に「靴を脱ぐ」という一編がある。
その一部。
“今日こそ 時々 公園に来る老人の
一人言を聞かそう
その老人は 公園では靴をぬぐ
「公園ん中をのお 靴をはいて歩くこたあ わしにゃでけんのお
こん土地ん下にゃ わしのとうさんやかあさんが 眠っとるけん
ほかんもんも ぎょうさん霊になって こん下に広がっとるけん
こかあ 全体が 墓地なんじゃけん
この土いみんさいや 白い骨の粉がまぶさっとるけんのお
わしゃ そう思うとる」
八月六日
公園を一日だけの墓地にして
むせかえる青葉が
あの日のことを覆い隠そうとする“
ボクは沖縄の地も、硫黄島の地も、何も考えずに靴のまま歩いていた。
福島の、「汚染された領土」。そこは先祖が眠る墓でさえ、防護服に防護靴を履かないと入れない。墓石にその靴のまま上がる。


百も承知の上で、あえて“暴論”申し上ぐるなり。「日本を取り戻す」と安倍は言った。領土であって領土とされない場所は、「日本」に入っているのかと・・・。

2013年8月6日火曜日

「鐘」

午前8時15分。広島の平和公園に鐘の音が響きわたった。毎年のように。
平和祈念式典。参列者が黙とうする中、遺族代表が打ち鳴らす“平和の鐘”。
一つ、二つ・・・。

黙とうする人の姿を僕はテレビのこちら側で凝視している。鐘の音に耳をそばだてている。
五つ、六つ・・・。

鐘の音の余韻が、曇り空の広島の空に溶け込んでいくような・・・。

今年は鐘の音が“特別”のような気がする。

このところ毎日のように聴いている。佐村河内 守の交響曲第一番「HIROSHIMA」。
毎楽章に登場する鐘。効果音としての鐘か、モチーフとしての鐘か、主題としての鐘か・・・。

68回目の原爆の日。数日後は長崎。
テレビで伝えられる鐘の音が、いつもの音と違って聞こえるのは音楽のせいだけではない。
なにやらこの国の空気が、鐘の音に込められた“願い”とは違う方向に進んでいるように思えるから。

平和宣言の中で松井市長は、核兵器を「絶対悪」と位置付けた。
気になっていたのはフクシマへの言及。

原発事故で苦難の日々を送る福島県。「今も苦しい生活を強いられる福島の皆さんに、67年前のヒロシマの姿が重なる」と触れた。

ヒロシマとフクシマ。原爆と原発。“同化“出来るのか否か。

「いわれなき風評被害により、差別と偏見が生まれた」。この点では“同化”しているのだが・・・。

人は鐘に祈りを託す。3月11日の鐘。もう2回聞いた。多くの死者を出した現地で鳴らされる鐘。寺院で鳴らされる鐘。教会で鳴らされる鐘・・・。

鐘の音は、人の魂に伝わるものなのだろう。鎮魂の鐘。

ムスルグスキーの交響詩「禿山の一夜」が浮かぶ。聖ヨハネ祭の前夜、禿山に集まった“悪魔たち”の大宴会。その宴が終わる。朝・・・。
朝を告げるのは鐘の音。その音を合図に悪魔たちは退散する。

鐘は「希望の朝」を告げる音。

この曲の演奏者は、どいいう鐘の音を出すかに苦労する。ただ叩けばいいのではない。音の強さだけでもない。曲の意味を十分理解し、気持ちを込めて楽器としての鐘を鳴らす。

HIROSHIMA」で鳴らされる、響いてくる鐘の音がまさにそれだ。聴く者は、その鐘の音に込められた作曲者の意志を受け止めなければならない。被爆二世である彼の意志を。演奏者はそれを伝えなければならない。鐘が全てを物語っているような音色を。

交響曲の中で鳴らされる鐘の音と、きょうの平和公園の鐘の音は“同化”しているようにも聞こえた。

平和公園で鳴らされた鐘が、不戦の誓いの鐘であることを祈る。今この国を覆っている“キナくさい”空気を吹き飛ばすものであってほしいと祈る。

8月6日も、8月9日も、そして3月11日も、すべからく「祈りの日」であらんことを。

68年前のきょう、僕はたまたま兵庫県に居たはずだ。一か月前の大空襲で焼け出され、焼死体を見ながら逃げ、祖母は大火傷を負い、それでも逃げおおせ、一家5人は農家の離れのような6畳一間にたどり着いていた。

大人たちから「ピカドン」という言葉を聞いた。しばらくして雨の日には表に出るなと厳命された。
大火傷を負った包帯だらけの、包帯でぐるぐる巻きにされた祖母を医者に連れていくのが幼少の僕の仕事。
そこで広島から逃げてきた患者さんたちと出会った。

待合室の大人たちに会話から、その恐ろしさを知った。患者ですし詰め状態の待合室。ケロイド化した祖母の顔や腕・・・。
その待合室の臭いと空気。焦土の空気、臭い・・・。

「過ちは繰り返しませんから」。原爆碑に刻まれた文字が語りかけてくる。

その前で安倍首相は言った。
私たち日本人は唯一の戦争被爆国民。確実に核兵器のない世界を実現していく責務がある」と。


そうあって欲しいと願う。

2013年8月5日月曜日

「わたしが一番きれいだったとき」

「最後の避難所」、埼玉県加須市の旧騎西高校があった校舎には、今も100人余りの双葉町からの避難者が生活している。

共同生活だ。

町への帰還をあきらめた人、帰還を望んでいる人、行く当てのない人・・・。

双葉町から県内をあちこち回され、ここにたどり着いた人たち。途中で命を落とした人もいる。

双葉郡からの避難者の多くが仮設や借り上げ住宅に移った今、避難所はここだけだ。高校のあった校舎の中で、2年数か月の生活。最後の避難所。

共同の水場、共同のトイレ、共同の手洗い所。

この避難所もやがて閉鎖になる運命だ。役場がいわき市に移転したこともあって。
教室の一隅にあるベッドに寝たきりの90歳を超えたばあちゃんがいる。娘さんが付き添っているが。

取材に来たテレビカメラに向かってばあちゃんは言った。
「笑顔を撮ってよ。綺麗に撮ってよ」と。飛び切りの笑顔を作っていた。

たしかに、カメラに収まったばあちゃんは綺麗だった・・・。

詩人茨木のり子の作品。「私が一番きれいだったとき」。

わたしが一番きれいだったとき

街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり
卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのようにね。
             
反戦の詩である。国語の教科書にも使われていた。“長生きすることを決めた”茨木のり子も亡くなった。

僕は戦争を体験している。もちろん戦地ではなく、子供として。子供が一番子供らしい時代に。
その時代に覚えた歌、ほとんどが何故か軍歌。その中の一つに“戦友”というのがある。長い歌詞を覚えた。
♪ここはお国の何百里 離れて遠き満州の・・・♪ではじまる14番まである歌。日露戦争時に作られた歌だ。
マイナーなメロディーとあいまって、それは戦意を鼓舞する歌ではない。反戦、厭戦の歌だ。戦争の悲しさを歌った歌だ。僕はそう解釈する。

敵弾に倒れた戦友。お国のためだ、かまわずに、遅れるなという戦友。
♪戦い済んで日が暮れて さがしに戻るこころではどうぞ生きていてくれよ
物など言えと願うたに♪

「戦い済んで日が暮れて」。このフレーズは今も使われている。選挙後にも使われていた。歌の意図とはかけ離れて・・・。

♪筆の運びは拙いが、行燈のかげで親たちの読めるこころを思いやり
思わず落とす一滴♪。歌の最終章にある歌詞。

東京の知り合いに一人暮らしの91歳の女性がいる。満州からの引揚者。
一番綺麗だったころ、その人は惨憺たる思いや絶望的状況の中で、どうにか故郷、日本に帰ることが出来た。満州の地で果てた友達も多かったと聞かされた。

時々ヘルパーさんのお世話にはなるが、一人で毅然と生きている。倚りかからず。

夏休み。子供たちの歓声が聞こえてくる。女の子もいる。この子たちが一番綺麗になった時、この国はどんな国になっているのだろうかと。


明日は広島に原爆が落とされた日。加須市に“暮らす”綺麗なばあちゃんは、何を思うのだろうか・・・。

2013年8月4日日曜日

「隠し」と「放置」と「丸投げ」と

たぶん、東電も政府も、もはや使い物にならなくなった「原発」はどうでもいいや、ということなのだろうか。

事故処理をめぐる対応をみていると、もちろんあり得ないことだとはおもいながらも、そんな「投げやり、お手上げ」の様子が見えてきて仕方がない。

一昨年のあの大事故後、東電は隠しに隠してきた。いろんなことを。いまさらスピーデイーのことを持ち出すまでもなく。

それは東電だけではない。政府なるものもそうだった。“逃げろ“。当てもないまま高線量の地域に、まるで放置された民のように。勝手にどこでも行けと言わんばかりに。

「隠し」を、人は「隠ぺい」と呼んだ。隠ぺいが、“被害”を大きくし、それからすべてが始まった。そして、今も続く「東電」の「原発事故現場」の怪。

もちろん政府は隠ぺいに加担する。なにせ国策原発。一心同体なのだから。

マスコミ、メディアが隠ぺいを見破る。暴く。すると“ウソ”で塗り固めた返答をしてくる。

結局、そんなことが連日繰り返されている。

東電が毎日のように開いている記者会見。腕扱きの記者がその“偽計”を見抜いても、はたしてそれを書いているのか。書いたけど紙面に載らなかったのか。放送されなかったのか。


今や、原発に関しては政府は表に出ない。なんでも東電に丸投げする。
規制委員会なるものを作った。規制委員会を隠れ蓑のようにして、そこにも丸投げ。それこそ再稼働の判断まで。責任は東電、責任は規制委員会と言うような具合。

そして福島に対しては、例えば中間貯蔵施設のことにしても、区域再編にしても、なんでもかんでも「住民合意」「住民理解」「合意形成」。県民に丸投げしてくる。

たぶん、今問題の汚染水海洋放出のことに対してもそうだろう。

そして、「帰還困難区域」の除染は放置。一部除染は下請けに丸投げ。

マスコミは仕方なく、除染を巡る不当解雇や暴力団関与を必死に伝える。そのことは民間同士の問題。政府、国は無関係と思っているから。

「福島の復興無くして日本の再生無し」。参院選の公示日、安倍は福島市で大見得を切った。

その後、選挙で大勝したあと、福島に言及したことはあったのだろうか。

“福島”と接触したのは、恒例のミスピーチとの楽しい懇談だけのような。

焦眉の急であるべき汚染水問題、地下水問題。規制委員会は東電の対応に業を煮やして文句を言ったというが、そこに強制力はあるのか。

国が前面に出て取り組むべきことを、ほとんど知らぬ顔の半兵衛を決め込む。

とにかく、悪者つくりはもういい。責任転嫁ももう結構。

それぞれの立場の人がそれぞれの責任において、やるべきことをやる。そんな国にはならないのかな。

意図してか、うっかりか。麻生発言に関心が集中する。

もしかしたら計算づくの「失言」とう名の騙しか。麻生発言に目が行っている間に普天間にはまたもやオスプレイが配備された・・・。

心穏やかでない日曜。如何にあればいいのか。この“連続なる”日々・・・。


“駄弁”を諌められているのか。地震速報。宮城で震度5強。ふくいちライブカメラに目が行く。

2013年8月3日土曜日

「新潟」と「福島」~洋から海へ~

一昨年、原発事故後、知人の家族は新潟に避難した。最初は湯沢のスキー場。
それまでは知らないもの同士がいつの間にか“輪”を作っていったという。

スキーシーズンを控え、そこは退去せざるを得なくなり、県や市が用意してくれた「借り上げ住宅」に入った家族もいる。女房、子供。亭主は時々通っていた。厚遇されていたと聞いた。

今は旦那の仕事の関係で横浜で暮らしている。

歴史をひも解いて、新潟と福島の関係をいうものではないが。奥羽越列藩同盟を持ち出すわけでもないが、只見川の電源開発時の関係を云々するわけでもないが・・・。

新潟県の柏崎刈羽原発の再稼働を巡って新潟県は揺れている。
泉田知事のすべてを知るわけではないが、東電の再稼働申請に異を唱え、“説得”にきた、甘利大臣との会談も時間切れのすれ違い。
元通産官僚が“古巣”の如きところに、いわば楯突く。それこそ「いいじゃないか!」。官僚の手口をすべて知り尽くしているんだから。

過日見ていた報道ステーション。その筋からは嫌われるだろうが、彼の持論には納得。

「規制委員会は規制するところでしょ。安全委員会ではないでしょ」。このところのらりくらいの多い規制委員会をやり玉に。

この前、規制委員会の“基準”に沿って避難訓練をやった。5キロ圏内には二万人の県民がいる。集まった400人での避難訓練。
渋滞、混乱。とてもじゃないが2万人避難なんて出来ない。

再稼働申請をする前に、福島の始末をちゃんとしてからというのが基本的考えです。収束もされず、事故原因も究明されていない。それがわからない中での申請に疑問があるということ。まず「福島」でしょ。

再稼働の審査基準的には彼は「ベント」の設置場所、そのあり方、それをないがしろにしている東電の姿勢に反発している。

その前提、福島と同型の原子炉を持つ県として、まず福島を検証してからだという思想があるように思う。

だからか、彼は再稼働に賛成とか反対とかは、聞かれても答えない。その前にやることがあるでしょって考え。

もっともだと。

彼の強みは「知っている」ことだ。役所のやり方も東電の考えも、そして福島の実情をも。

今でも新潟には4,000人の福島から避難している人が暮らしている・・・。

東電から恨まれ、規制委員会からは、大いなる疑問符をつけられ、政権からたとえ疎まれたとしても。彼の「論理構成」には齟齬が無い。

ひるがえって福島県知事に目が行く。気が行く。

「何もしていない知事」「何をしているのかわからない知事」「何を考えているのかわからない知事」「何を言っているのかわからない知事」。

そして県庁の中に巣くっている、慣例、慣行の中で仕事をこなしている職員の多く。

今、問題になっている“汚染水”。そのことは知事も県庁も、おととしの事故後から知っていた。東電がどうにかするだろうと高をくくっていたのだろうか。

何も手をつけず、口も出さず、露見するとなにやらしたり顔で東電を呼びつけ、その場だけはメディアに公開するというばかばかしさ。

福島県と新潟県をつなぐ磐越高速道。完成した時のキャッチコピーもどきもの。
「洋(うみ)から海へ」。

洋にも海にも原発がそびえている。原発のために出来た、つながった道路ではないはずだけど・・・。

福島原発の汚染水、地下水汚染は“危機的状況”だと伝えられる。

「巨大タンカーに汚染水を移し、新潟柏崎刈羽原発の処理施設に移すべきだ」。そんなことを“まじめ”に言っている関西の原子力学者も未だ健在のご様子。


ばかばかしいにもほどがあると。

2013年8月2日金曜日

安倍と麻生の相似性、いや、政治家全部かな

先日、東京で、かつてもちろん自民党政権の頃、首相官邸の当局者だった人としばらくぶりに会った。さまざな、もちろん政治のことについて話をした。

その人は面白い人物評を語った。安倍について。
「彼はね、心許した人、価値観を共有できる人、歴史観を共有できる人と話してる時が一番幸せそうなんだ。なんでも喋れる相手が。外務省出身ではさしずめ、岡崎久彦というところなんだ。話は尽きなかった」。
「歴史観、価値観、政治感が違う人だと、とたんに目がきょろきょろ動きだし、居心地悪そうにする。そういう人の話もよく聞くが、受け入れているかどうかはわからない」。とも。

なるほどね、お友達内閣と言われた時もそうだったな。妙に納得した次第。

この“逸話”を思い出したのは、ここ数日騒げれている、麻生の「ナチス発言」があったから。

あの発言が飛び出した舞台。国家基本問題研究所のシンポジウム。
居並ぶのは、櫻井よしこ、田久保忠衛、麻生、隣の西村真悟。
いわば気の合った、歴史観含めて“共有”できるものが多い、身内のような会合。

気が緩むと思わず本音が出るのが政治家の常。立場上、建て前だけを言わざるを得ない人は、どっかで“本音”を吐露したくなる。

いわゆる“失言問題”は、大体にして、後援会とか、支持者の集まりとか、仲間内で出てくる。

マスコミにばれる、取り上げられる。お決まりの釈明会見と発言撤回。
麻生の釈明文は本人が書いたものではない。官僚が書いたものをたどたどしく読み上げる。

そのテレビの映像と音声見てて笑ったね。麻生は「真摯」と読んだが、文章には「真意」と書いてあった。
一言だけ、歴史の事実を。ナチス政権下で「ドイツ憲法」は制定されていない。
ワイマール憲法が事実上“執行停止”にされていただけ。
歴史をきちんと把握していない。

昨夜たまたま読んでいた雑誌。「中央公論」。その中の対談で、自民党の伊吹文明までが言っている。安倍首相への「ご意見は」という問いに対して。

「歴史を学んでいただきたいということですね。戦争の実体験が無い総理大臣ですから、活字や一部の“専門家”などの主張に影響されない発言、歴史の素養に裏付けられた発言が大政治家には大切だと思います」。

ワイマール憲法が制定される前、ドイツ帝国の初代宰相だったビスマルクは言っている。
「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」と。わが国でも政治の要諦であり、箴言ともされてきた。

憲法に関して、麻生の祖父、吉田茂の国会答弁にこんなくだりがある。質問者は共産党の野坂参三。

「近年の戦争の多くは国家防衛権の名においておこなわれたることは顕著なる事実であります。故に正当防衛権を認むることが偶々戦争を誘発する所以であると思うのでありま す。正当防衛を認むることそれ自身が有害であると思うのであります」。議場は与野党問わず拍手で湧いたという。

その場しのぎの“憲法観”だったかもしれないが。吉田茂の。

最近、ビスマルクの言葉を僕は否定した。
「賢者は歴史にも、経験にも学ぶ。愚者は双方からも学ばない」と。

麻生発言に関して安倍の反応は聞いていない。すべて官房長官が“代返”している・・・。

「ブラックジョークでしょ」と片付ける“人気政治家”もいる。舌禍事件を起こした人。

原発事故後、無理やり殺処分場に連れていかれる牛たちの涙を見た。それはアウシュビッツに向かう光景に見えた。


強制収容ではないが、行動は自由だが、仮設住宅が、ナチスによる収容所のようにも見えた。それは、ほとんど「国から何もしてもらえない」民だと思えたから・・・。

2013年8月1日木曜日

「八月一日」に・・・

八月一日という姓の人がいた。「ほずみ」と読む。もちろん旧暦によったのだろうが。ほずみは穂摘み。稲を刈るということだ。

狭い日本、いや、実は広い日本なのかもしれない。気象に関しては。きょうの郡山はさっきまで21度。とてもじゃないが夏の気温ではない。

西日本は連日の真夏日。酷暑。そして集中豪雨、それに伴う災害・・・。河川は氾濫し、田畑は水没。家まで流される。

東北は冷温続き。早くも冷害を心配する向きもある。コメの生育は、果物は・・・。

そしてきようも北陸では大雨だという。

泥で埋まった道路、家屋、停電、断水、救援、給水、救出・・・。災害ボランティア募集・・・。

一昨年見た光景がそこにあるような。

1時間に100ミリの豪雨。雨雲の動きによっては福島県の浜通りにもくる。
それが、原発事故現場に降ったら、そこはどういう光景になるのだろう。

「ふくいちライブカメラ」は朝から霞がかかったような映像。そこの様子はほとんどわからない。

問題の“汚染水”。問題の“地下水”。雨によってその量ははかりしれないものになるのだろうか。
海洋への流失があったことはもはやはっきりと判明した。
「遮水壁」を作ったことによって、水位が上がったという。

すでにして海に流れ出ていた汚染水。
その線量はともかく。

八月一日は「水の日」だという。素直に受け入れられない「なんとかの日」。

きょうから田村市の都路地区の一部が「長期宿泊可能」となった。
テレビのニュースは言う。
「三カ月の宿泊が“特別に認められ”・・・」と。特別とはどういう意味なのか。
普通、特別という言葉は格段の配慮を意味する。特別扱いというのは。

家に帰るのは当然のこと。特別という言い方。そんな些細なことにも腹が立つ。

帰宅した住民は言う。「嬉しいけれど、原発で何かあったらすぐに逃げなくてはならないし・・・」。そういう意味の特別なのか。決して安住の地ではないという。

肌寒い中、きょうから郡山は夏祭り。「うねめ祭り」。浴衣で踊り流す人の輪ができる。

祭りには行かなくてはならない。でも、足が向かない。祭りの気分に浸れない。
集まってくる子供たちのためにも、全国から集まってくる「ゆるキャラ」のためにも、豪雨は降って欲しくないという雨雲への陳情。


「水の日」に水のことを思い、水の怖さと貴重さを思う、特別な、あれから3回目の八月一日・・・。

“チェルノブイリ”異聞

  ロシアがウクライナに侵攻し、またも多くの市民、日常が奪われて行く。 ウクライナという言葉、キエフという言葉、チェルノブイリ・・・。 そう、あの最大の原発事故を起こした地名の幾つか。 「チェルノブイリ原発事故」。1986年4月26日。 ウクライナの北部にあるその...