たぶん、東電も政府も、もはや使い物にならなくなった「原発」はどうでもいいや、ということなのだろうか。
事故処理をめぐる対応をみていると、もちろんあり得ないことだとはおもいながらも、そんな「投げやり、お手上げ」の様子が見えてきて仕方がない。
一昨年のあの大事故後、東電は隠しに隠してきた。いろんなことを。いまさらスピーデイーのことを持ち出すまでもなく。
それは東電だけではない。政府なるものもそうだった。“逃げろ“。当てもないまま高線量の地域に、まるで放置された民のように。勝手にどこでも行けと言わんばかりに。
「隠し」を、人は「隠ぺい」と呼んだ。隠ぺいが、“被害”を大きくし、それからすべてが始まった。そして、今も続く「東電」の「原発事故現場」の怪。
もちろん政府は隠ぺいに加担する。なにせ国策原発。一心同体なのだから。
マスコミ、メディアが隠ぺいを見破る。暴く。すると“ウソ”で塗り固めた返答をしてくる。
結局、そんなことが連日繰り返されている。
東電が毎日のように開いている記者会見。腕扱きの記者がその“偽計”を見抜いても、はたしてそれを書いているのか。書いたけど紙面に載らなかったのか。放送されなかったのか。
今や、原発に関しては政府は表に出ない。なんでも東電に丸投げする。
規制委員会なるものを作った。規制委員会を隠れ蓑のようにして、そこにも丸投げ。それこそ再稼働の判断まで。責任は東電、責任は規制委員会と言うような具合。
そして福島に対しては、例えば中間貯蔵施設のことにしても、区域再編にしても、なんでもかんでも「住民合意」「住民理解」「合意形成」。県民に丸投げしてくる。
たぶん、今問題の汚染水海洋放出のことに対してもそうだろう。
そして、「帰還困難区域」の除染は放置。一部除染は下請けに丸投げ。
マスコミは仕方なく、除染を巡る不当解雇や暴力団関与を必死に伝える。そのことは民間同士の問題。政府、国は無関係と思っているから。
「福島の復興無くして日本の再生無し」。参院選の公示日、安倍は福島市で大見得を切った。
その後、選挙で大勝したあと、福島に言及したことはあったのだろうか。
“福島”と接触したのは、恒例のミスピーチとの楽しい懇談だけのような。
焦眉の急であるべき汚染水問題、地下水問題。規制委員会は東電の対応に業を煮やして文句を言ったというが、そこに強制力はあるのか。
国が前面に出て取り組むべきことを、ほとんど知らぬ顔の半兵衛を決め込む。
とにかく、悪者つくりはもういい。責任転嫁ももう結構。
それぞれの立場の人がそれぞれの責任において、やるべきことをやる。そんな国にはならないのかな。
意図してか、うっかりか。麻生発言に関心が集中する。
もしかしたら計算づくの「失言」とう名の騙しか。麻生発言に目が行っている間に普天間にはまたもやオスプレイが配備された・・・。
心穏やかでない日曜。如何にあればいいのか。この“連続なる”日々・・・。
“駄弁”を諌められているのか。地震速報。宮城で震度5強。ふくいちライブカメラに目が行く。