2013年8月29日木曜日

「踏み台」としての福島

それはたまたま「福島」だった。「福島」で起きた大事故だった。
いや、必然としての「福島」だったのか。原発事故。

おそらく、日本中の多くの人は、それまで、福島県と言う県名すら知らなかったのではないか。
知っていたとしても、それがどこにあるのか、東北のどこなのか。日本の白地図を出して、そこに名前を入れられる人は少ない。

福島県の県土は日本で三番目に広い。それが起きたことにより、そして今の多くの問題を抱えているからか、福島県は日本で一番“有名”な県になった。

有名にはなったけれど、その実態を知る人は今も少ない。端的に言う。福島県全土が放射能に汚染されていると言う言辞。
そうでは無いのだけど。

「福島」という一括りで言われることへのいらだち。福島という総称で語られる原発事故被害。
「福島の子供たちが・・」。「福島の人は・・・」。「福島の食べ物は・・・」。
「福島の酒は・・・」。違う。括るな。

そう言いながら、ためらいながらも「福島」と書いていることへの逡巡・・・。

「反原発運動」と福島は同化しない。運動家は、ここぞとばかりに「福島」を利用している。福島を踏む台にして、運動の“成果”を高めようとしている。

今はどうなっているのだろう。官邸前の「再稼働反対集会」。そこにも、福島県人はたしかに居た。避難している人も、そでない人も。その人たちが携えていったメッセージは、事故の直接的な被害者としてのメッセージは、運動の道具の一つとして消費されつくしていたような感がある。

メディアもそうだ。自分たちが思う「正しい報道」、「原発報道」の一つの材料として福島に言及しているようにしか思えない。

IAEAからも、その国際機関としての権威性をすべて是とするかどうかはともかく、汚染水の流出は「レベル3」とすることが“認定”された。

運動家と言われる人たちは、一部メディアは、その汚染水については、問題だ、怖いとしか言わない。問題なのは皆わかっている。

唯一の被爆国として、反核を訴える運動。その“組織”は、原水禁と原水協に分裂し、いつしか消えていった・・・。

広島、長崎と福島はどっかで同化する。そこを知って、見て、聞いて、それを語るのは、語り続けるのは、運動家ではない人たち。

福島のことは福島に聞け。

ボクは忘れない。一昨年、郡山にやってきた「反原発集会」の人たちの振る舞いを。彼らの中にあった、郡山と言う地に、多くの人たちが暮らしているところに降り立つことへの“ためらい”の表情。東京で積み込んだ弁当をバスの中で食べる光景。

そして、東電も国も、福島を踏み台にしている。福島よりも安全な原発の建設。
もし、他の地域で原発事故が起きた時の対策としてのデータ集積。

もっとメディアは仔細に福島を伝えられないものなのか。
テレビでまたもやっていた。宮城県の栗原の牧場。除染が終わった。牛の放牧を始めた。よかった、よかったと。
福島にも牛はたくさんいる。餌の牧草が無く、飢え死にしそうな牛たちが。
原発構内だけが福島ではない。そこに入ったからと言って福島を知った気になるな。

きょうは今日とて、「郡山や福島市には人は住めない」と。
ばかばかしい。住んでいる。


そして、運動家たちは、当然、労働組合もその中核にいるのだろうが、その人たちの労苦が無ければ事故処理は覚束ない、原発構内の労働者、作業員には言及しない。過酷な環境で汗を流している人達に。

運動のための運動。反対のための反対。

核心を見つつ、俯瞰して見る。目先だけにとらわれているメディアとも。

はだしのゲンは麦だと作者の奥さんは言っている。麦は踏まれて“育つ”。
しからば福島県は麦か。麦にはなろう。踏まれる麦に。でも踏み台にされるのは受け入れ難い。


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