たまにツイッターなるものや、ネットに接触してみると、とてもじゃないがバカバカしく、腹が立ち、これほどまでにおかしな人間がいるのかと嘆かわしくなる。
どうも、福島は“不幸”でなくてはお気に召さないような。そうあって欲しいという願望でもあるような。
この地に住んで、普通の暮らしをしている人達を「バカ」だと言わんばかりの。
それも「おためごかし」のように言うから余計腹が立つ。
それらにいちいち“反論”するのもばからしい。ほっては置くが。
汚染水問題が報じられる。海に流れているという前提で。そうするとどうだ。
「海水浴をしている人なんていないと思っていたのに・・・いるんだね」と来る。海水浴場は厳重な放射線量のモニタリングをしている。なんら異常がないから海水浴場をオーオプンさせている。
なにかい、福島県では福島県人は、そこの子供たちは海水浴もしてはいけないのかい。どこの海にだって「放射性物質」はある。
この地に住んでいることを“危険”だという人たちがいる。専門家と称する似非学者。彼らは、なんでもいい。自分たちが書いた本が売れればいいから。
印税稼ぎの福島論。本を出せる人はカネになる。カネにもならないのに、そんな“学者”の著作や言辞に飛びついて「自説」を披露してなんの得がある。
原発事故以来見えたのは、この国の国民と称する人の多くの“劣化”。
人が“不幸”であることが快感らしい。自分が正義を主張していると勘違いして、「いっぱし」を気取っている。
「他人の不幸は蜜の味」、あったな、そんな諺。
甲状腺がんのこどもの数が発表される。県の県民健康管理調査委員会の報告。前回調査よりもその数は増えた。県紙の見出し。
「甲状腺がん診断確定18人に 原発事故の影響否定」。県の医師会から参加している医師のコメントも載せている。
「原発事故による放射線の影響とは考えにくい」。「がんの状態から2、3年以内にできたものではない」と。
疑いの子供もいる。中央紙の見出しは「子の甲状腺がん 疑い含め44人」。
この見出しが独り歩きする。数字が。憶測が、“悪意”を持った推測が、だれかが言い出したデマが、そう、例えば奇形児の話など。それに拍車がかかる。
汚染水問題、300リットルの漏水。高濃度の線量。韓国のチャーター便は運行取りやめ。そのことだけをNHKも伝える。ローカルニュースで。
汚染水と福島観光。福島に来るのは危険だということか。
せめて一言コメント言って然るべき。「汚染水の流出が、全県の空間線量を高いものにするとは思えませんが・・・」くらいの。
まともなマスコミ、まともな報道を希う。まともとは事実を言っているだけではなく、それに関する見方、捉え方もだ。丁寧な報道と言ってもいい。
“報道”の一部だけを切り取り、そこに自分のフィルターをかけて再論を放つ。よく言ったもんだ。「色眼鏡で見る」って言葉。
食品にしてもそうだ。
とにかく福島は汚染されて地域であり、人が住んではいけない県であり、そうでなければいけないらしい。
結婚出来ないと悩んでいる女性がいる。子供が産めないと言っている人たちがいる。
それに激しく“同情”する。気の毒だと言い、人権問題だという。ばかばかしい。低線量被ばくは遺伝しません。まともな医者に聞いてごらん。まともな医者だよ。
疎開、疎開との”同情論。
この「空気」は何だろう。福島をダシにして自分たちのイデオロギーを成就させたいのか。
「不幸の象徴」として福島を“愉悦”の対象にしているのか。
こういえば当然否定されるだろう。私たちは「正しいことを言っているのです」と。
確たる論拠も無く福島を語って欲しくない。つまらん社会ネタの一つとして福島を報じて欲しくない。論じるだけなら、語るだけなら、放っておいて欲しいとも思う。
汚染水に対する解説もない。漏れた、大変だという“事実”だけ。
言い訳程度にすぎない扱いの、いわきの漁師たちの声・・・。
僕の周りの人たち、東京の人たち。「福島の野菜はおいしいから」と言って買う。コメも。果物も。桃を送った。喜んでいる。
こっちに年中くる。どこにでも行くし、何も気にしてない。気にしてないのが能天気なんじゃない。当たり前なのだ。
自分たちで“不幸”な人を見つけ、いや不幸だと決めつけ、それをとやかく言う。いじめの構図と同じなのだ。弱い者いじめ。
八つ当たりではない。怒りが収まらない。ボクもかつては東京人であったから尚更。