その席で川内村の遠藤村長はこう述べた。
「原発事故から2年5か月が過ぎた。帰還まで6年よりもっと時間がかかるところもある。
避難者に現実的でない希望を持たせることがいいことなのか。考える時が来ている」と。
現実的でない希望。まさにその通りなのだ。現実的でない希望にもかかわらず、あたかも実現可能のように「帰還」をいう県や国・・・。
その時が来ている。とも思う。
知事の答弁は相変わらず。何のタシにもならない。
「その辺も含めて国としっかり話をしていく」。何の意味も持たない。
地方自治体の長として、広島市長や、長崎の田上市長の“勇気ある発言”を聞いた者にとっては、“唯一の原発被曝県”である福島県知事の存在はあまりにも悲しい。
国は・・・。おととい福島市で行われた福島復興再生協議会、なにやら
いろんな会議があり名称さえはっきり覚えられないような会議、会議。
鵺(ぬえ)のような復興庁福島本社。
そこで石原環境相はこう言ったという。またも意味不明の言。
「県をはじめ皆様方が、福島県のために自ら行動するという認識を持っていただくことが必要」と。
地元に求める“責任”。そんなこと言われなくたってわかっている。地元に責任を求めるなら、まず国が始めよだと。
国が主導のもと決めると言っていた廃棄物の中間貯蔵施設。永久貯蔵施設は県外。それやこれや、皆県民が決めなさいという意味か。
ならば前言撤回。本当のことを言え。奥歯に物が挟まったようなこと言わないで。
同席していたという郡山選出の根本復興大臣はどういう思いだったのだろう。
棄民という言葉を一昨年以来何回も使った。書いた。「福島」はないことにしようとしているとも書いた。
それが現実に婉曲な言い方で進んでいるということではないのか。
原発マネーは確かに福島県に落ちた。それをもってして、ぐちゃぐちゃ言うなよ“知識人”を気取った奴らよ。
原発マネーは福島にも落ちたが、政治家にも大量に落ちている。
福島の犠牲はどこにも生かされない。やはり棄民という言葉が浮かぶ。
明後日は終戦記念日。
敗戦と同時に朝鮮半島、特に北朝鮮に取り残された多くの日本人。国策により半島にわたった人達、満州におもむいた人たち。
その人たちの「帰還」、引き揚げに時の日本政府は手を付けなかった。
現地で生き延びよとさえ指示した。
様々な恐怖、ロシア兵による殺戮や強姦。伝染病と飢え。とにかく飢え。北朝鮮による略奪。命からがら「自力」で38度線を越えて帰国を果たせた人たち。
その人たちも棄民だったのだ。
いつのの時代も「国」とはそういうものなのかもしれない。引き揚げを促進すれば内地の食糧が無くなるという懸念だけで。
原発事故処理に国は国費を投入するという。しかし額は決まっていない。決めようがない。いくらかかるな、新たな問題が陸続と出ている現状。
棄民に税金を投入していては、この国の財政が持たない。そんな終戦直後と同じ発想が、生まれてこないという保証はどこにも無い。
国が守るものとは・・・。あらぬ想念さえ浮かんでくる。歴史は繰り返されるのかもと。
たぶん、また、ここ数日、夏の暑さが記憶を呼び覚まし、素直に夏を歓迎することが出来ない日々となるような気がして。
現実的でない希望のるつぼの中に我々はいるのかもしれない。