昔はね、よく言われてもんだ。年寄りは寄るとさわると、「近頃の若いもんはなっちゃいない」。
ひとしきり若者を貶していた。少なくとも昭和の時代はそうだった。
平成になってからも決まり文句として使われていたかもしれない。
どういう時代の変化なのだろうか。最近はめったに聞かなくなった。真逆の「最近の年寄りは・・・」っていうのも。
大人と称する人たちが「だてに」年をとったのか。大人たちが若者を語れなくなったのか。
「3・11」以降、特に、そんな“若者評”が消えたような気がする。一部を除いては。
いわゆる被災地には、大人以上の若者がいる、いたことを知ったからかもしれない。
大人が若者を叱り励ましの時代ではなくなり、若者が大人を、叱り、支え励ます時代。
少なくとも東北の地を見ているとそんな感覚が生まれてくる。
どうなんだろう。枕詞のように、決まり文句のように、「最近の若者は・」と世を嘆いていた世代は、戦争の世代だったような。
とにかく強い男が、辛抱する女が求められていた時代。その世代はもう80歳以上だ。
男は強くなければ生きられない。そういわれた。それが、やがて優しくなければという言葉が付け加えられるようになった。そんな漠然とした感覚がある。
社会システムとして見てみれば、大人とか年配と言われる世代の人たちは、戦争という“負の遺産”を残した。“負の遺産”を受け継いだ世代は、高度経済成長の波に飲み込まれ、疑う余地も無く、豊かさと便利さを追い求めた。
そして、結果・・・。またも次の世代に負の遺産を背負わした。
その若者たちに期待する以外にない。若者たちが寛容の心を持って年寄りを受け入れるかどうかはともかく。時代を変えて行ってくれることを願う。
そのためにも“教科書”には書かれていないことを学んでほしい。多くのことを知って欲しい。
かつての決まり文句は通用しなくなった時代・・・。色褪せた時代・・・。
ある時は主体的に大人を否定し、ある時はまともな大人から学び・・・。
昨夜、NHKの東北Zというローカル番組を見た。やはり全国には放映されない東北だけの東北の局による番組。制作NHK福島。
テレビはテレ・ビジョンの略だ。遠くを見るという意味だ。
「明日に向かって駆ける~父と娘の“相馬野馬追い”」。
南相馬で、津波で母親を失った(正確には行方不明)娘に父親が教える野馬追い。馬に乗れるようにして、出陣の合図の法螺貝の吹き方を教える。
甲冑競馬では父親は妻のために、1位になることを誓う。
その娘、女の子の名前は星 幸栄紀ちゃん。10歳。彼女は母親のこと、父親と二人だけの暮らし、野馬追いのことを、淡々と、時には明るく語る。涙ぐむ父親の傍らで気丈に・・・。
南相馬。震災後、原発事故後、さまざま話題になった地域。野馬追いという伝統行事に支えられている地域。
人々を支え続け、力を与えているのはその伝統があるから。父親の騎乗する馬には妻の名前がつけられている・・・。
出陣の日、二人は母親の霊前に向かい、母親に法螺貝の音を聞かせる。音の出し方は父親に教わった。
父親は初めて甲冑競馬で勝利する。娘の法螺貝に送り出されて。
死者に支えられている。と父娘も言う。
その娘は、母親がやっていたパーマ屋さんになると明るく言う。
彼女のけなげな、気丈な姿に地域の人たちは励まされ、励まし、力を貰う。
被災した東北の、福島のはずれの方にある一つの家族の軌跡。
「無駄に生きちゃいけないんだな」。そんな気持ちに彼女はさせてくれた。
東北に見た、一つの、一人の「光」。その光が、やがてこの国中に・・・。そんな想いに捉われながら、「若者」を、「大人」を考えて・・・。
若者に媚びる年寄り・・・。決して悪い意味ではないが。
若者言葉が蔓延し、それを大人が咎めるわけでもなく、大人もそれを使う。そんな風潮が蔓延している。そんな世情を憂いながら。