ベトナム戦争のまった只中だったか。1970年代。「戦争を知らない子供たち」という歌がヒットし、多くの若者に歌われていた。
戦争が終わって僕らは生まれた 戦争を知らずに僕らは育った
おとなになって歩き始める 平和の歌を口ずさみながら
僕らの名前を憶えて欲しい 戦争を知らない子供たちさ
「反戦歌」だという。反戦歌にあたるかどうかの当否は置いておく。
戦争を知らない子供たちと高らかに歌った人たちは、もう立派な大人になった。
子供もいるはず。知らずに育った世代が、その子に戦争を教えられるわけがない。
「戦争を知らない大人たち」。そう、そういう時代になった。
広島の原爆を扱った漫画「はだしのゲン」。その本が松江市の教育委員会の指示によって図書館で“閉架”、つまり、自由に閲覧できない状態になっているという。
去年の12月からだ。
「作品の中の暴力描写が過激だ」ということがその主な理由らしい。
作者の中沢啓冶さんは去年亡くなった。作者が亡くなった頃合いを見計らったような“閲覧制限”。
作者の奥さんによれば「子供向けに描写を和らげた。実際の残酷さはあんなものではない」と言っていたという。
作品の撤去を求める声は市民の中にもあったという。
戦争を知らない子供たちと言っていた世代が、戦争を隠す。戦争を知らない大人になって、また、知らない子供を作る・・・。
「はだしのゲン」が少年ジャンプに連載されたころ、戦争を知らない子供たちという歌が多くの若者に歌われていた・・・。
残酷な描写・・・。一昨年の東日本大震災は多くの人たちの命を奪った。津波のあとに残された遺体。残酷だったはず。原発事故で捜索すらできなかった遺体。残酷だ。
テレビは決して、その遺体の映像を流さない。新聞の描写は「抑制」が効いている。
遺体すらない、津波が町を呑み込む瞬間の映像を流すときも、テレビは「お子様が見ている時は留意してください」などとの“言い訳”をスーパーで流す。
戦争とは、もちろん原爆も含めて、余りにも残酷なものである。残酷であるがゆえに人の心に突き刺さり、戦争を考えるようになる。
それが残酷であり、悲惨であることを隠すということは、忘れるということにつながる。
相馬地方の寺には首だけしかない遺体もあんちされているという。それも身元が判明しない遺体。
余りにも悲惨で残酷な映像を切り落としたテレビ。それは致し方ないことだったのか。
実相を伝え無いことが、忘れる力に作用する。
最近、新聞の投書欄にあった東京の14歳の中学生の女の子の投稿。
「授業で伝わらない惨状教えて」。広島の原爆資料館を見学して思ったこと。
「そこにあるのは気分が悪くなるほど衝撃的なものでした。戦争や原爆の恐怖に体が凍り つきました。
授業では、戦争の年表と出来事ばかりで、このような悲惨な状況をあまり実感できませ ん。戦争経験者の高齢化が進む今、若い世代が戦争をもっと知る機会を増やしてほしい です」。
この子の願いは、その機会は、松江市では確実に減っているかもしれない。
大人が子供を守るということは「覆い隠す」ということではない。実態を知らせ、その意味を大人が説くことから始まる。
今、子供たちや若い世代が夢中になっている「ゲーム」とは何か。液晶画面の中で、何も考えずに殺し合いをしている。“敵”を殺すたびに歓声を挙げている。
おかしな風が吹いてきている・・・・。