昨日は花火大会で盛り上がりの日だったような。
須賀川の釈迦堂川の花火大会。夕方から郡山駅にも若い人たちが“集結”。
須賀川行きの特別列車の待ち合わせらしい。
浴衣姿。男女とも。風情があっていいのですが・・・。なんとも、単なる流行りを追っているとしか思えない、あまりにも似合わないその格好。
女の子は丈が短く、大股、外股歩き。あげくびっくり。中学生か高校生にしか見えない子が喫煙場所で、およそ様にならない格好で煙を吐き出し、相方の男の子はすでに着くずれ。襟元ははだけ、履いたことない下駄で歩くのに四苦八苦。
そして女の子の化粧のどぎついこと。なんだかな~って気分にさせられて。
夜、花火大会本番。フェイスブックには次々と「友達」が写真を掲載。花火を。
それを見ている人たちの表情も欲しいな・・・。
大会の趣旨には「復興」が含まれている。それはそれで嬉しいことではあるのだが。
昔は、いや20数年前までは郡山の花火大会があった。開成山球場で。駅から通じるメインストリート、さくら通りは、人で溢れていた。
「予算の問題」と聞いている。ある年から中止に。代わってカルチャーパークというところで、安積町を中心にしてやっていた花火大会がメインに。安積野花火大会。
数日後は冨久山の花火大会、そして須賀川。郡山界隈の夏の風物詩の光景。
開成山の花火大会が無くなるのと時を同じくしたように、中心市街地から人が消えていったような。
テレビでは大曲の花火大会の中継。たしかに見事な大輪の花が夜空を焦がす。
感動も覚えなくはないが。演出が下手で、アナウンサーも下手。解説の秋田魁新報の論説委員長さんも、なんだか・・・。興ざめの感。
津波に襲われた石巻だったか、釜石だったか。鎮魂の盆踊り。雨の中、揃いの浴衣で真剣に踊る踊り手さんたち。皆、綺麗だった。想いが違うからだろうか。
踊りの仕草も素晴らしかった。そしてテレビカメラ。その踊り手さんの手を映す。指先一つ一つに意志を感じる。その手つきに涙した。
そして、海に打ち上げられていた、本物の鎮魂の花火。カメラは花火とともに、それを見上げる人の表情も捉える。
花火に祈りが込められていた。
きのう夕暮れ時、仮設に行った。お年寄りと子供が花火に興じていた。線香花火・・・。
線香花火の小さな火花と、最後の小さな火の球・・・。
大輪の花もいいけど線香花火のほうに惹かれる。語りかけてくるものがあるようで。
それは被災のことだけではない。子供時代の思い出、光景が呼びもどされるから。
兄弟姉妹4人で縁側で興じた線香花火のあった光景。
それを懐かしく思い出すから。
鎮魂の花火を見ている人たちにもそれぞれの思いがあったのだろう。勝手に思う。亡き恋人と見た花火、家族で見た花火・・・。
隅田川の花火も見た。東京湾の花火も見た。長岡の花火も見た。皆、それぞれ綺麗だし、楽しまさせてもらった。
でも、花火の原点は線香花火・・・。
明治神宮外苑の花火。それに合わせて歌われた星空のハーモニーという歌。好きな歌だった。陽水と安全地帯との。たしかに、次々と打ち上げられる花火は夜空と同化して、ハーモニーを奏でていた。
昨日の花火大会もそう。
ならば、線香花火は、地上の星だ。
そしてさだまさしの線香花火という歌にこんなフレーズがある。
♪きみは線香花火に息をこらして、虫の音に消えそうな小さな声で、いつ帰るのと聞いた♪。
こんな歌の歌詞を知ってか知らずか、「帰る」ということへのこだわりを、仮設の片隅でパチパチとはじける線香花火に聞いたような気がして・・・。
花火大会が終わり、きょうはもうすっかり秋空。トンボも舞っていた。