沖縄の米軍基地の事である。
米軍基地は日米安保条約の地位協定によって、日本のあらゆることが及ばない、いわば「治外法権」の場所。
基地は日本の領土であっても、そこは領土ではない。立ち入れないのだから。管轄権が及ばないのだから。
沖縄だけではない。すべての米軍基地がそうであるように。
基地内にはもちろん警察権も及ばない。そこで何があっても、捜査は出来ない。
キャンプハンセン内で起きたヘリコプター事故であらためて思ったこと。
米軍からの情報提供を待つ以外に、その模様を知る手立てはないということ。
僕が一番初めに沖縄に行った時は、まだその施政権はアメリカにあった。
“パスポート”が必要であった。空港内には“デューティ・フリー・ショップ”、免税店があった。
沖縄本島には戦争の「臭い」はなかったが、訪ね歩いた、その痕跡、例えば壕、戦争の気配を感じるには十分すぎるくらいだった。
壕特有の湿気みたいなものが、からだにまとわりついて来た。
硫黄島にも行った。茫漠とひろがる赤茶けた土地。島特有の硫黄の煙。遺骨収集作業が行われていた。臭いがあった。火葬場で感じる臭い・・・。
日米安保があることによって、日本は「国防費」を気にすることなく、土地を提供する代わりに、この国全部が大いなる恩恵に浴した。
朝鮮特需で湧き、ベトナム特需で湧いた“景気”。沖縄の基地からも参戦した米軍。
基地内では多くの日本人が働き、雇用が生まれ、繁華街には米兵が溢れ、地域経済を“うるおして”いた。“危険”を背負いながら。
日米安保条約にかかわった総理大臣。吉田茂、岸信介。その孫が二人して、政権の中枢にいる。たまたまの政治史の偶然なのか、歴史の必然なのか・・・。
福島県はれっきとした日本の領土である。日本国の一部である。
私有地や国有地以外、人の往来は自由であった。
そこに突然、あの原発事故によって、たとえ自分の土地であっても入れない土地が出来た。
頑丈な鉄条網ではない。道路を封鎖しているバリケードは。そこを遠巻きに囲っているのは。
正確な対比では無いだろうが、「領土であって領土でないところ」。核による、汚染された放射性物質に「支配」されてしまった“領土”。
「八月の夕凪」という詩集がある。作家は、広島に生まれ、広島に在住している詩人に上田由美子という人。1938年生まれ。
その中に「靴を脱ぐ」という一編がある。
その一部。
“今日こそ 時々 公園に来る老人の
一人言を聞かそう
一人言を聞かそう
その老人は 公園では靴をぬぐ
「公園ん中をのお 靴をはいて歩くこたあ わしにゃでけんのお
こん土地ん下にゃ わしのとうさんやかあさんが 眠っとるけん
ほかんもんも ぎょうさん霊になって こん下に広がっとるけん
こかあ 全体が 墓地なんじゃけん
この土いみんさいや 白い骨の粉がまぶさっとるけんのお
わしゃ そう思うとる」
「公園ん中をのお 靴をはいて歩くこたあ わしにゃでけんのお
こん土地ん下にゃ わしのとうさんやかあさんが 眠っとるけん
ほかんもんも ぎょうさん霊になって こん下に広がっとるけん
こかあ 全体が 墓地なんじゃけん
この土いみんさいや 白い骨の粉がまぶさっとるけんのお
わしゃ そう思うとる」
八月六日
公園を一日だけの墓地にして
むせかえる青葉が
あの日のことを覆い隠そうとする“
公園を一日だけの墓地にして
むせかえる青葉が
あの日のことを覆い隠そうとする“
ボクは沖縄の地も、硫黄島の地も、何も考えずに靴のまま歩いていた。
福島の、「汚染された領土」。そこは先祖が眠る墓でさえ、防護服に防護靴を履かないと入れない。墓石にその靴のまま上がる。
百も承知の上で、あえて“暴論”申し上ぐるなり。「日本を取り戻す」と安倍は言った。領土であって領土とされない場所は、「日本」に入っているのかと・・・。